Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアのメールマガジンおよびおすすめ記事のポータル化

ウィキペディアのメールマガジンについて[編集]

唐突ですがウィキペディア公式のメールマガジンというのはないのでしょうか?例えば週一回ウィキペディアのニュース・面白そうな情報等様々な事を発信してくれる広報誌みたいなメールマガジンなどあると嬉しいのですが。HTML式でまぐまぐなんかで発行してくれると助かります。--16toki 2006年11月18日 (土) 07:13 (UTC)[返信]

メーリングリストではなくメールマガジンをお望みでしたら、ウィキペディアに限らない全言語のウィキメディア・プロジェクト全般を扱うAnnounce-l (Wikizine)がおよそ週一回の間隔で配信されております。英語で書かれており、かつ文章量が長いので、読むには相当の気力が必要になるかと思われます。日本語版でのメールマガジンはなかったように思います。あったらコメントお願いします。--snty-tact (Talk) 2006年11月18日 (土) 08:32 (UTC)[返信]
英語版ウィキペディアでは、Wikipedia Signpostなる週単位発行のメールマガジンも発行されています。Snty-tactさんが既に指摘されているように、日本語版には同様のものは存在しないようです。--Masao 2006年11月18日 (土) 13:52 (UTC)[返信]
色々教えて下さり有難うございます。各ユーザ個人がメルマガなりブログなりをつくるのもいいかもしれません。--16toki 2006年11月19日 (日) 05:51 (UTC)[返信]

お勧め記事のポータル化[編集]

メールマガジン > 面白そう…と思ったものの、あんまり有用性もないような気もします。メールでするより、珍項目とは異なる観点から、ユーザーが自由に「記事を紹介できるページ」があったほうが、有用なのではないでしょうか? 面白い記事、いま話題になっている記事、タメになった記事…などなど、ユーザーに近い視点での「タイムリーな話題」を知るためのページがあれば、便利なのですが…。--idea 2006年11月18日 (土) 09:33 (UTC)[返信]

Wikipedia:おすすめ記事なんてのがあるにはあります。Wikipedia:メインページ新着投票所は選考過程を経なければなりませんが、Wikipedia:おすすめ記事は誰でも好きな記事を追加できます。いかがでしょう?--ikedat76 2006年11月18日 (土) 10:24 (UTC)[返信]

Wikipedia:おすすめ記事は、Wikipedia:秀逸な記事の前段階みたいなページですね。ウォッチ登録させてもらいました。もう少し、肩のこらないページがあれば良いのですが…。こういうのって、ポータル化しても良いのでしょうか?--idea 2006年11月18日 (土) 12:22 (UTC)[返信]

Wikipedia:秀逸な記事というよりWikipedia:メインページ新着投票所のゆるくなったものという感じでしょうか。ポータル化というのはちょっと意味が分からないのですが、どういう趣旨でしょう? ちょっとよく分からないのですが・・・--ikedat76 2006年11月18日 (土) 13:11 (UTC)[返信]
例えば、Portal:テレビのようなデザインにおいて、「面白い記事」「いま話題になっている記事」「タメになった記事」「それ以外で紹介したい記事」などに分類してサブページ化し、それぞれ紹介者が書いていくのが、良いかと思ったのですが…。--idea 2006年11月18日 (土) 14:14 (UTC)[返信]

うーん、やっぱりどういう意義があるのかよく分からないです。「いま話題になっている記事」ということであれば、最近の出来事や(別プロジェクトですが)ウィキニュースがあるし、「面白い (interesting) 記事」「タメになった記事」「それ以外で…」なら新着記事 (画像) 紹介があるし、「面白い (funny) 記事」なら珍項目が…という風なわけで屋上屋を重ねる感が否めません。「タメになった」「それ以外…」にまでなってくると、純然たる個人的な主観で選ぶしかないわけで、そうしたことをわざわざリソースを消費してまでやることかなあ、と思うのですが…。同じ様にリソースを消費するにしても、現行の各ポータルはテーマによる縛りがあるし、新着投票や秀逸な記事なら投票による選考というプロセスを経て純然たる主観を排しているわけで、「ユーザーが自由に」(悪く言えば「個人的・主観的かつ勝手に」)記事を「お勧め」する場所を設けるというのは、あまりpublicなリソースの使い方として名案とは思えません。キツイ物言いだったらごめんなさい--ikedat76 2006年11月19日 (日) 14:36 (UTC)typo--ikedat76 2006年11月19日 (日) 14:37 (UTC)[返信]

むろん、そうした考え方があるのも、承知しています。ただ、「百科事典を作る」作業のみを延々とするのは、一部のウィキペディアンは別として、多くの人間にとっては面白みのかける作業です。マスコミとは異なる視点で、一個人が「面白い感じた記事」を参照するのは、非常に魅力的で刺激的なものであると、私は思います。
それにより、記事の編集が促進されるのであれば、有用性もあるでしょう。リソースについては、基本的にレスのないものであり、追加だけに限られるので、そう問題にはならないと思いました。「珍項目」「秀逸な記事」などは、それが認められなかった時に、どうしても挫折感・敗北感が付きまといます。もっと気楽な紹介の場があれば、良いのですが…。--idea 2006年11月20日 (月) 09:22 (UTC)[返信]
「基本的にレスのないものであり、追加だけに限られる」のであろうとも、結局のところ「一個人が「面白い感じた記事」」にすぎないもののためにというなら、なおのことpublicなりソースを消費すべきではないと考えます。執筆の励みに、ということであれば、なおのこと(厳しく言えば)自己満足に陥りかねないような場を設けるよりも、新着記事投票や珍項目、究極的には秀逸記事のように他のユーザーの眼にさらされ、選考される場を通過することの方が、執筆者本人のためにもプロジェクトのためにもなります(執筆者の質の向上になる、という意味で)。
「気楽な紹介」と言うところがideaさんにとってはポイントなのかもしれませんが、むしろ選考を経て質が有る程度確保された記事が紹介されるほうが、「まだまだ上がいるんだ」という向上心の喚起につながってよいと思いますよ。少なくとも、私はそう思いながら新着記事紹介所の投票に参加しています。--ikedat76 2006年11月20日 (月) 14:46 (UTC)[返信]
Portal:ゲームPortal:災害などを参考にしてください。--草薙 2006年11月20日 (月) 19:16 (UTC)[返信]
2006年11月18日 (土) 10:24 (UTC)のikedat76さんの意見の繰り返しのようで恐縮ですが、そもそもideaさんがおっしゃる『一個人が「面白い感じた記事」を参照する』場としてはWikipedia:おすすめ記事があるのですから、ポータル化にこだわる必要はないように思うのですが、なぜポータル化を強調なさっているのかが、私にはさっぱりわかりません。--汲平 2006年11月21日 (火) 06:56 (UTC)[返信]
条件に合った項目を利用者ページに一覧化している方はいますので、利用者ページ(のサブページ)に個人的に面白いと思った記事を紹介するという方法ではいかがでしょうか。--草薙 2006年11月21日 (火) 10:48 (UTC)[返信]
電気山羊です。そういうポータルがあってもいいじゃないかと思っていたのでコメントしてみます。といってもideaさんの考えるものとはちょっと違いますが。秀逸な記事、新記事賞などの評価の高い項目や画像を紹介するポータルを考えていました。でも、既にメインページがその役割の一部を担っていますので、私の中の優先順位としては高くなく、また軌道に乗るまでのメンテナンスには関われなさそうなので手を付けていません。それから、すでにいくつかご指摘がありますが、英語版などでもやはり同様のアイデアは以前からあり、メールマガジンやポータルなどが実際に動いていますし、日本語版でもブログの試みはありました。それらを参照してみると具体的にどのようなことをすればよいのか、またどのような問題点があるのかわかるかもしれません。
 さて、それでideaさんのおっしゃる「気楽」についてですが、パブリックな場所では、誰でも好きに追加できるWikipedia:おすすめ記事よりも気楽なページはないと思います。もっと気軽に、というのであれば草薙さんのご提案のように利用者ページでやるのが良いと思います。私も以前やったことがあります。
 ところで、「気楽」と「無批判」は違うものです。というか、批判があった上でできるだけ気楽にできるようにするのが良いのではないでしょうか。手を抜いて無批判にすばらしいコンテンツができるか、というとまずそんなことはあり得ません。他人に批判されなかったとすれば、それは自分で批判を繰り返して改良してきたはずです。すばらしいと思われるコンテンツが作られるとき、その裏では様々な試行錯誤があり、エネルギーが注がれています。それは項目自体にもポータルについても言えることです。厳しく言えば、無批判に出来の悪いものができるなら、いくら気楽でも、ない方が良い。
 種(アイデア)を撒くことはとても大事ですが、それを育てておいしい作物を刈り取るためには、水やり、草引き、虫除け、間引き、剪定などが必要になります。このことを考えておくと、より良いアイデアの発信の仕方ができるのではないでしょうか。私のこの意見に対して「ウィキペディアはウィキだから、あとは誰かがサポートしてくれるはずだ」という反論も可能です。しかし、それは「私は種を撒きました。他の人がそれを育ててくださるでしょう。私は収穫されたものを食べます」という論旨に近くなります。もしくは、「種を撒けばあとは自然に上等なメロンができる」という感じかもしれません。甘いメロンは手がかかっているのです。
 先にも書きましたが、この手のアイデアはすでに何度も「発見」されています。誰も考えつかなかった史上初のアイデアなら提案だけでもその貢献は大きいですが、再発見の提案では残念ながらあまり評価されません。発案自体を評価されたいならば、発案者はこれまでに行われたことの下調べもして、具体的な長所短所を洗い出しておくと良いと思います。
 発案までのプロセスはこんなところですが、「ウィキ」ペディアですからその後の他人の協力は確かにとても大事です。必須と言っても良いです。とすれば、発案者はどうすれば他の人に協力してもらえるか、考えることになるでしょう。例えば、試行錯誤して魅力的なものの具体例を作り上げ、かつ、他の人は「気楽」に参加できるようにしておく、とかです。発案者が手抜きをしていると、使い物になるものを作り上げるまでに、他の人がその労力を払うことになります。これでは他の人が「気楽」に参加できません。そのあたりを具体的に先のことまで見通して考えておくと、「この人はビジョンがある」と思われて、賛同する人もでてくるかと思います。
 ともあれ、アイデアの提唱自体は良いことだと思います。アイデアを抱えつつも、実行に移さない人もたくさんいると思います。誰かが声を出すことで、同じことを考えていた人たちの共同作業が始まるかもしれません。声を出す人が上手に提案を行うと、そういったことも起こりやすくなると思います。電気山羊 2006年11月23日 (木) 15:14 (UTC)[返信]
共同主観のようなもの? 閲覧者や読者の集団意思、その実存を探る行為? それは価値観(の物差し)の多様性を認め、<個々の価値観に応じたポータル>の現存を求める試みでしょうか? 広い概念としては在ると思います。共有しうる価値、共感しうる近接性は、どこかに在ると信じられる。
しかし、いくらか問題があると思われまして、例えば言語化や定義化できるでしょうか? こう言った文化的なコミュニティーを基軸とするならば、説明らしさが遠のきますし、ポータルに置ける編集や収集の客観性が成り立つのかも疑わしい。またプロジェクトの本質とも相反する可能性もあり得ます。
ただ、つい寄り道したくなるような場所は、在ると心地よいですよね。ウィキペディアには、ガラスのような素直さはありますが、布のような人間味がありませんので。キリカ 2006年11月23日 (木) 22:06 (UTC)[返信]