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Wikipedia:井戸端/subj/ケースB-2について

ケースB-2について

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Wikipedia:削除依頼/雅樹ちゃん誘拐殺人事件の削除依頼を見て思ったのですが、どこからがケースB-2の例外「歴史的な記事」として判断されるかは今一つ疑問な点があります。津山事件は極端な例ですが、仮に「1人でも生きていれば記述不可」となってしまえば論争の嵐ですし、例えば「加害者(被告人、被疑者、及び死刑執行された死刑囚、以下単に「加害者」と表記)死亡と同時に書いていいのか」という問題でもないでしょう。
私の草案としては、以下のものを考えています。
  1. 事件発生から概ね50年以上経過しているもの、または被告人死後(死刑執行によるもの含む)50年以上が経過しているもの。
  2. 加害者がすでに死亡している上で、加害者遺族が事件について言及していること。

なお、ここに書き込む前に、附属池田小事件、殺人事件を起こした元プロ野球選手の一件、東池袋自動車事故加害者の一件のノートには目を通しております。--Newkaisoku1995会話) 2019年12月13日 (金) 08:25 (UTC)タイトルを変更。--Newkaisoku1995会話2019年12月13日 (金) 08:37 (UTC)[返信]

  • コメント ケースBには「歴史的な記事(ほとんどの関係者が既に死亡している場合)」とあります。したがって、「○年経過した」のような機械的判断ではダメです。「ほとんどの関係者がすでに死亡しているかどうか」を検討してください。
  • たとえば「事件の被害者が乳児である」ような場合には、「事件から50年経過」しても存命である見込みは十分に高いです。
  • ・・・って言うと、「ほとんどって何%?」「関係者ってどこまでを指すの?」「死亡しているかどうかはどうやって確認するの?」という疑問が返ってきそうな予感もします。まあ、そういう疑問が涌く事自体はわかるんですが。
  • Wikipediaは規則主義ではないので、そういった事柄をいちいち厳密に法律のように定義することはありません。合理的で良識的でしぜんな判断をすることになるでしょう。たとえば関ケ原の合戦は、どこまで「関係者」の範囲を広げようとも、間違いなく全員死んでいるでしょうから、全く心配する必要はないでしょう。戊辰戦争も、まあおそらく。日清戦争(1895)ぐらいまでくるとどうでしょうね。「関係者」の捉え方にもよりますが、「出征した兵士の子」みたいなとこまでいくと、存命の可能性は十分に出てきます。「出征した兵士の子」が「関係」あるかどうかは、その記事次第ですね。あくまで一般論としてのたとえ話ですが、被爆二世の遺伝的影響がどうのという文脈で「親が被爆者であることを秘匿したい」みたいな話があります。そのような事情のもとでは「関係者」の範囲は相当広くなるということもあるでしょう。あとは記事の内容との兼ね合いです。
  • ほかの要件、たとえば「積極的に実名を」の「積極的」は何を以て判断するのとか、「著名人」の範囲は、とかも、厳密な定義は存在しません。
  • 最も根底にあるのは存命人物の権利です。Wikipediaの規程でこうなっているからいいだろう、ではなく、毎回、個別具体的な事情・情報源や記事の中身を考慮し、心配があるなら安全側にたおす、ということになります。機械的には判断しないでください。--柒月例祭会話2019年12月13日 (金) 08:49 (UTC)[返信]
  • 例えば、上述の誘拐殺人事件の場合は、被害男児(事件当時で7歳、同年代ならば2019年時点で66歳)は、生きていればまだご存命の可能性があった(ある)が、加害者(死刑執行済み、事件当時で32歳、同年代は91歳)は、まあギリギリ存命かどうか。逆に、小石川七人斬り事件(この時点で削除依頼が出されていた)の場合は100年以上前なので、事件唯一の生存者である幼児はギリギリ生きている(いた)可能性もあるにせよ、加害者(死刑執行済み)の同世代は(少なくとも記録にある以上は)全員鬼籍に入っていると。まあ一件一件精査する必要はある、ということですかね。--Newkaisoku1995会話2019年12月13日 (金) 08:58 (UTC)[返信]
    • 返信 「歴史的」かどうかは、年数の問題ではなく、世間一般に「歴史として扱われているかどうか」「歴史的分析的評価が与えられているか」にもよるんでしょうね。ヒトラーやJFKはもっと新しい時代の人物ですが、世間一般では既にその生涯の詳細まで歴史として扱われているがゆえに、ヒトラーのプライベートな部分まで取り扱っても問題はあまり起きないだろう、的な。
    • 問題提起はもっぱら犯罪事件についての事柄であるようにお見受けします。私はその方面には詳しくないので、突っ込まれるとわからないのですが、「犯罪事件」の詳細を伝える情報源というものは様々にあるでしょう。ニュース系の報道や、事件簿的なもの、裁判の記録やそのルポなど。そういうものは「歴史」というよりは、「現在進行系の事象」として取り扱われているのだろうと、私は思います。たとえば大津事件みたいな時代の出来事は、我々は同時代的資料にも容易にアクセス可能で、それによって同時代に報じられた詳細を知ることができるでしょう。ただ、それらの全ての詳細情報が、この事件の歴史的評価を行う上で必要であるかどうかです。
    • つまり、(適当な拵え話ですよ)X事件の犯人の家族が事件を苦に無理心中したみたいなことがあり、当時の新聞ではその家族の実名や生い立ちが事細かに報じられていて検証可能である。で、今の我々が百科事典をつくるうえで、その「家族の実名」を掲載する必要があるのか・その実名がなければX事件のことを理解できないのか、を検討することになるでしょう。なんとなーく、別にそこは仮名でも事件理解には差し障りがないようにも思いますので、別に何らかのリスクを負ってまで「実名を乗せる必要はない」んじゃないかなー、と思います。
    • 個別具体的なことを話し始めるとアレなのですが、私のセンスだと「近代」以降のことは常に要注意と思います。お示しの「小石川」の場合、削除依頼では「加害者の実名」記載のために削除を取り沙汰されています。その場合に最も考慮すべきなのはその「加害者の実名記載によって困る存命人物がいるか」です。被害者の中に幼児の実名記載ではないなら、その幼児のことはあまり考えなくてもよさそうです(よさそうってだけで、本当にそうなのかは細かい事情次第です)。加害者側については、加害者本人は存命でないとしても、その身内(子どもとかね)が存命で、実名記載によって名字や居住地などから絞り込まれて困るんだ、みたいなことを検討するわけです。
    • たとえば江戸時代の事でも、幕末のことで容易に今の子孫を特定できる、話題が被差別部落に関わるんだみたいになってきたら、それは江戸時代のことでもNGでしょ、みたいなことになるでしょう。単なる年数の問題ではないです。
    • 右側に「書く必要性」、左側に「困る人がいる可能性」を並べて総合的に考慮する、って感じでは。そう考えると、私個人としては、「犯罪の加害者の個人名」がないと記事が成り立たない、みたいなケースってのはあんまりないんじゃないかなー、とは思います。たとえば赤穂事件(赤穂浪士による仇討ち事件)みたいなのだと、流石に加害者の属性が伏せられていると理解できないし、困る人もいないだろう、みたいなね。
    • まあ、そこまで心配する必要はない、知る権利、という意見の方もいるかもしれません。--柒月例祭会話2019年12月13日 (金) 10:14 (UTC)[返信]