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Wikipedia:井戸端/subj/ノートや井戸端、コメント依頼での発言の削除

ノートや井戸端、コメント依頼での発言の削除について

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ノート:佐藤ゆかりで多数見られたのですが、他人や自分の発言の削除がしばしば見られることがあります。[1] Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Yassieでは私と別の人物の発言をその別の人物によるコメントアウト化といったものもありました。[2] 自分の発言が説明不足であると感じた場合などに、修正を行なうことはある程度OKなのかもしれませんが、議論の内容はきちんと他の人が確認できるように可読性を残すべきだと思いますがいかがでしょうか。改ざんにあたるのではという疑問を持っています。なお、ノート:佐藤ゆかりは、署名もれや連続投稿も多く自身の発言意外の復活はあきらめています。--Tiyoringo 2007年1月22日 (月) 16:03 (UTC)[返信]

そのページを具体的に見ていません(すみません)が、ノート・話し合い・議論での他者の発言を書き換える行為は、投稿ブロックの対象です。整理するのは薦められています。Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.2項 他者の発言の改竄ご参照。自分の発言を書き換えるときは、都度署名を追加することが薦められています(これは明文のルールではなくマナーだったかな?)。Uryah 2007年1月23日 (火) 14:50 (UTC)[返信]

1つは当事者なので詳しくはここで述べませんが、ノート:佐藤ゆかりに関していうと、佐藤ゆかりが編集合戦で保護になり、その後短期間に50回以上ノートの編集がされ、しかも署名もれや[3][4]、投稿後の編集で自身の投稿も含んでいると思われる(ログインしないで論争当事者による投稿もあるのかもしれません。)ものが多く、署名があっても投稿時間の入らない署名で、下に追記していかずに上の方に書かれたりで可読性が損なわれているのが現状です。[5][6][7][8][9][10]--Tiyoringo 2007年1月23日 (火) 15:13 (UTC)[返信]
わたしも一度書いたものは削除してはいけないんだと思っていたのですが、「要約」だけでなく、以下の観点においては「削除」が推奨されているように見えます。
Wikipedia:ウィキケットウィキペディアにおけるエチケット(ウィキケット)の原則古い批判は消去するか要約して下さい。に「批判した相手があなたの書き込みを読んだだろうと確信できた時点で、(例えばレスがついていたら)、敬意を持ってその不満を除いたり要約したりするようにしましょう。ときには、苦情を書き込まれた人は、批判を恐れているように見えることを懸念して、その苦情を消去することに消極的になることがあります。更に一歩進んで、あなたの問題に取り組んでくれた(または少なくとも考慮してくれた)ことに対して感謝を表すこともできます。」とあります。これは「ウィキペディア日本語版の公式な方針」という位置づけですね。意味が読み取りづらい書き方ではありますけど、「ときには、苦情を書き込まれた人は、批判を恐れているように見えることを懸念して、その苦情を消去することに消極的になることがあります。」の部分は、自分の書き込みの消去だけでなく、相手の書き込みも削除できることを認めている前提で書かれている文章に読めます。どこか別のところに、正確に削除の条件を認めている文章があることを期待させるような書き方ですね。これとブロックとの絡みの記述はどこかにあるのでしょうか。とりあえず、ご参考として。--Pararinpooh 2007年1月23日 (火) 22:40 (UTC)[返信]
“自分が批判した相手が、あなたの意を受けとめただろうと確信できたら、その相手の振る舞いに敬意を払って、書いた批判を取り除いたり、要約としてのみとっておくようにすることは素晴らしい振る舞いだ” “さらに一歩進んで、受けとめてくれた(少なくとも考慮してくれた)相手の振る舞いに感謝の意を表することはより素晴らしい”ということですね。
相手が受けとめるどころか一顧だにしない、読んだだろうという確信すらできないという状況で、いきなり相手が自分の書いた批判を削除したら、それは・・・。
その記述は、ルールより前の、人間としての誇りやプライド、つまりはエチケットのことを言っているのですね。Uryah 2007年1月24日 (水) 15:16 (UTC) Uryah 2007年1月24日 (水) 15:36 (UTC)[返信]