Wikipedia:井戸端/subj/作品リストを作るにあたっての校歌の選び方

作品リストを作るにあたっての、校歌(社歌・自治体歌・団体歌など)の選び方[編集]

詩人・作詞家・作曲家の作品リストに「校歌」(以下、校歌・応援歌・社歌・市町村の歌・団体歌などを「校歌」と略します)の項目が掲載されているケースがあります。山田耕筰のように「代表的な作品」リストのなかで、「校歌」があれこれ掲載されている場合も少なくないようです。私は何も「校歌」という文学・音楽作品の価値を無視するつもりではありませんが、文学者・作曲家のプロフィール中の代表作に「校歌」が列挙されることは普通ないので、違和感を感じているのも事実です。皆さんはどうお考えでしょうか。なお、私は「著作リスト」「音楽作品リスト」の編集をしたことは幾度もありますが、それらに「校歌」を列挙したことはありません。

さて、山田に限らず、少なからぬ人たちが数十、数百の「校歌」を制作しています。全部載せると記事が長大になりますが、それを覚悟で平等に全部掲載するか、何らかの基準によって選択して掲載するか、いっそのことまったく載せないか、作品リストを編集する者はどれかを選ぶことになります。そして現状においては、誰かが3番目を選んでも別の誰かが「校歌」を掲載することを止めることはできないわけです。一方、2番目をとるにあたっての課題は「どうやってさまざまな『校歌』を記載するもの、記載しない(記載されても除去する)ものに選り分けるのか」ということになります。これらの問題について答えが出なければ、記事の方向は「逐一列挙」へ向かっていかざるをえなくなります(何らかの客観的基準がなく『校歌』を排除すれば加筆者からの批判を招くはずです)。

逐一列挙には、記事を膨大にすること以外の問題点もいくつか考えられますが、次のようなメリットがあるのも事実です。

  • 音楽書を概観する限りであるが、作曲家の作品リストに「校歌」が含まれるケースは少なく(たとえば『日本の作曲20世紀』音楽之友社、富樫康『日本の作曲家』音楽之友社のなかの山田耕筰作品リストには「校歌」は載っていません)、Wikipediaが「『校歌』作品網羅」の希少な場となりうる。

私なりにこの問題についてあれこれ考えてみましたが、皆さんのご意見、対処法を聞きたいです。--Sasuore 2008年7月18日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

基準は難しいですね。ただ、一般的に書籍などの紙媒体では収録する容量にそれなりの制限がかかるので、個人的にはそのような制限をあまり気にしなくていいウィキペディアでは網羅しといてよいとは思います。有名なものと取り上げる価値があまり見出せないものの区別については、有名なものはリストだけではなく何らかの解説を書くことができるであろうことから、その解説によって区別可能だと思っています。--iwaim 2008年7月18日 (金) 21:33 (UTC)[返信]
私もあまり掲載の制限は考える必要はないように思います。リスト部分が長くなるようであれば分離するなり、表示を省略(隠す)するなど方法もあるかと思います。制限されていないから見えてくるものもあると思います。(山田耕作と校歌の多く作られている蟹江町の関連というような視点を見ると祖母の出身地というつながりが見えたり。)116.82.19.57 2008年7月18日 (金) 23:24 (UTC)[返信]
ありがとうございます。「全作品リスト」を作ろうとするのであれば、「校歌」をも網羅するのは当然ですが、山田も含め多くの人物について「主要」あるいは「代表」作品の項目が立てられている場合、何らかの制限が必要ではないでしょうか。歌曲や器楽曲においては、何が代表作か、録音の多寡や人物プロフィールを参照することなどである程度客観的に決定することができますが、「校歌」においては困難です(東京六大学のようにCDが一般発売されるようなものは例外なのです)。なお、「校歌」においても何らかの解説(制定年、歌の内容、制定時のエピソードなど)を書くことは、学校のサイトや校歌集を見ることで可能です。学校関係者(OB)ならばなおさら容易に書けることでしょう。
「代表作」「主な作品」と書かれていても、それを作品を絞り込む枠だととらえず、「全作品リスト」に成長させるための仮のリストだと考えればよいのでしょうけれど。--Sasuore 2008年7月19日 (土) 06:33 (UTC)[返信]