Wikipedia:井戸端/subj/外国語の文章を和訳した文に出典が付いていない場合の取り扱いについて質問します。
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外国語の文章を和訳した文に出典が付いていない場合の取り扱いについて質問します。
[編集]慈悲の瞑想という記事の本文には現在、外国語の文(出典あり)とその和訳(出典なし)が3組ほど掲載されています。
このうち、和訳文のほうには出典がありませんので、当該部分を執筆した利用者に対して、和訳文の出典を付けるよう要望を出しておりますが、この和訳文がその利用者自身による訳業である可能性(その利用者自身が行った翻訳である可能性)もあると私は思っています。
そこでお訊ねしたいのですが、「出典情報の付いている、外国語の文や語句」を和訳した文(や語句)がウィキペディアの記事に記述されている場合、その和訳文・語句に出典情報が付いていないならば、そのような和訳文・語句をウィキペディアの記事に記述することは「独自研究の披露」に該当するでしょうか?
また、「独自研究の披露」に該当する以外には、どのような問題があるでしょうか?--Leonidjp(会話) 2016年6月4日 (土) 04:38 (UTC)
- コメント「日本語でない文章などの和訳」に関する出典、ということでしょうか。基本的には不要です。それが必要なのだとしたら、他言語版からの翻訳記事にも、すべて出典が必要で、しかしそのような出典は見つからないので独自研究ということになってしまいます。また、訳出されていたほうが好ましいテキストに関して、どこかの訳文を持ち込むのであれば、その訳については著作権が効いてきますから、そういう場合は、執筆者が翻訳をする必要があります。歴史的な題材や著名な小説など定訳があるものならば、それを用いるのがよいこともあるでしょう。意味の揺れや解釈の揺れを誤認したり、意図的に偏らせたりしたら独自研究にあたりますが、翻訳があるならそれを参照し、あるいはその言語についての知識を用いて、検証することが可能です。--Ks aka 98(会話) 2016年6月5日 (日) 11:06 (UTC)
- ks aka 98さん、ご回答くださりありがとうございました。--Leonidjp(会話) 2016年6月6日 (月) 05:03 (UTC)