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Wikipedia:井戸端/subj/手に入りにくい書籍を出典とする場合の明記方法

手に入りにくい書籍を出典とする場合の明記方法

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Wikipedia:出典を明記するを読んでいたのですけど、絶版とか手に入りにくい書籍について何か表記の仕方はありますか。--Global H 2008年6月22日 (日) 13:22 (UTC)[返信]

絶版なのは出版社の都合なので、記述するときには考慮する必要はありません。 ねこぱんだ 2008年6月22日 (日) 13:34 (UTC)[返信]
絶版でも全く何も出典が提示されないよりはましかと思いますので、絶版であることが分かるようにしておけばよいと思います。現在も確認が可能で同じ内容を扱っている情報元が別に見つかるのなら差し替えるなり併記するなりした方がベストではありますが。--KM-0901 2008年6月22日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
一応、Wikipedia:出典を明記するの趣旨はどこからその記述のアイデアを持ってきたかをしめすためにこれこれこうこう書きましょうというものです。ですので、絶版ないし入手の困難さについてはふれられていません。で、そういうことを記述すべきかと聞かれれば、すべきでないといえると思います。絶版ないし入手の困難さは上にあるとおり出版社の都合ですし、「今は」絶版ないし入手困難かも知れないけどもしかしたら再版されるかも知れません(このあたりはWP:DATED参照)。仮に再版される予定が全くなったとしても、ハンドアウトすれすれの超マイナーな書籍でない限り、必ずどこかの公共図書館で参照可能でしょう。それが外国の出版物だとしても(発禁の制度があって、それに引っかかっていない限り)その国のどこかの図書館に必ずあります。ですので、取り立てて表記する必要はないかと存じます。--あなん 2008年6月22日 (日) 14:10 (UTC)[返信]
それを真に受けて出典を記載すると”著作権侵害の怖れアリ”とイチャモンつけて消されるのがオチです。トックニPDになっている文献を記載するしかありません。ソノ場合でも”そんなもの実在するのか”とかイチャモンが付きます。ウィキペディアは腐っています。書き手として係ることはストレスの素になるだけであり人生の生命時間の無駄使いに過ぎません。211.133.19.196 2008年6月22日 (日) 20:34 (UTC)[返信]
出典の「書式」としては、絶版、版元在庫切れなどの流通の状態や、あるいは地方小出版など流通の形態などは、それほど気にしなくてよいでしょう。復刻版がでているような場合や、著作集として別の本にまとめられている場合は、あなたが見た本の書誌情報を書くようにしてください。なお、出版社や流通の規模は、情報源としての信頼性や適切かどうかという判断に関わるものですから、記述する上で十分検討していただければと思います。--Ks aka 98 2008年6月23日 (月) 05:46 (UTC)[返信]
IPさんへ。そういうイチャモンは、本を読んだりしているので、良くない温床の環境に浸ってデタラメをまかり通そうとする人より何倍もマシじゃないでしょうか。確かにイチャモンを付けることで欲求解消(不快を与える事が快、破壊カルト的な幸福感)している人数が、本当に編集する人数を遥かに上回っているかも知れませんけど、悪意に満ち溢れてても善意に取れる箇所は多いし、改善の見込みが全く無い訳ではないでしょう。それに、悪い人が参加したらいけないというルールはありませんし(←ですよね?)、自分に欠けているものに詳しい、つまり、知らない分野に特化していたら認めざるを得ないんじゃないですか?弱肉強食でいうと、ルールを守らない者(何でも有り)がフツウに強い。
今まで、参考文献が複数冊であっても、Wikipedia:検証可能性が守れたら1,2冊でもいいかなと思っていました。妙な希少価値が出た書籍は避けたいので、そういった場合、別の書籍(もちろん適切な書籍)が記事のWikipedia:検証可能性を守る形に置き換えてもいいでしょうか?--Global H 2008年6月23日 (月) 10:36 (UTC)[返信]
んー、ここで「置き換えてもいいでしょうか?」と質問して「置き換えていいですよ」と誰かの言質を得ないと安心できないくらいに自信がない案件なのでしたら、置き換えではなく並記にしといた方が無難ですよ。入手(アクセス)可能性が低いが定番で「筋のいい」文献を挙げる、ということ自体にも相応の意味があります。参考文献が複数冊のときにも、(例えば自然科学系だと)どの総説を選び、どの原著論文を選ぶか、というのにも意味がある。ここらへんも常にケースバイケースだから、とりあえずは並記の方がトラブルは起こしにくいです。
参考文献の選び方には、学術の各専門領域ごとに、それなりのお作法みたいなものがありますけど、それらの「文書としての適切な参考文献の選び方」と「ウィキペディアにおける適切な参考文献の選び方(検証可能性のための出典提示の用を満たす)」は、必ずしも一致するとは限らないんじゃないか、と最近考えていたりします。「ウィキペディアにおける〜」を重視して、文書としての質が台無しになるようなら、そもそもの「良質な百科事典」からすると本末転倒ですし(例えば、いくら誰かが実際の「出典」にしたものだとしても、まともな文書にこの程度のを載せるなよ、というのもないことはないわけで)。まぁ、このあたりは英語版でも、en:Wikipedia:Layouten:Wikipedia:Citing sourcesなどのノートで、何度となく議論が起こってたりするようなので、どのように整合性をとっていくかは、そのうち(今後数年くらい)に方向性が見えてくるかもしれません。一朝一夕の話し合いでどうにかなるものでもないですし、英語版の動向なども参考にしながら、しばらくの間、出典情報については「並記・追加」をメインに作業されるとよろしいかと。--Y tambe 2008年6月23日 (月) 11:16 (UTC)[返信]
ども、いろいろ参考になりました。んーと、分野や概念が多岐に及べば参考文献数を増やせば良いと考えてたけど、予定記事の概念的な問題がありまして...教科書的なのは希少に、他の書籍から良いトコ取りしても書籍自体の方向性がちょっと違う、しかし、文献にしか無い情報が多いかなと。真面目に考えていたら記事名は良くとも執筆そのものが難しいかもなので、関連記事が増えた頃に考え直します。それはそうと、今でも参考文献の中にオススメとか教科書はコレと追記したい時はありますね。--Global H 2008年6月25日 (水) 10:46 (UTC)[返信]

貢目数が不明の場合の明記方法

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Wikipedia:出典を明記する見て思ったのですが、手元にはないが、以前読んだことがあり、著者名、著書(論文)名、雑誌名、巻数、発行所名、叢書名、刊行年は解ったり調べることができるが、参照ページが解らない場合は絶対に表記する必要はあるのでしょうか?できれば表記するようにはした方がいいとは思いますが、(論文等の学術的な文献ならともかく)雑誌等なら参照ページが解らなくてもそこまで神経質になる問題ではないと思いますし、実際、参照ページの記載がないだけの理由で削除されているページもみたこともあります。別の資料を提示して削除するならともかく、これだけの理由で勝手に消すのはいかがなものかと思いますが、皆さんの意見をお聞かせください。--61.119.148.15 2008年10月1日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

「参照ページの記載がないだけの理由で削除されているページ」というのは、その資料が掲載されている版が管理者によって削除されたのではなく、その資料のことが編集で除去されているということでよいでしょうか。ページ数が書かれていないからといって編集除去するのは適当ではなく、除去する側としては、除去するのではなく当該資料を探して自ら加筆するのが最善ですし、労力などを勘案するならノートや会話ページで該当部分の投稿者とのやり取りを経て、入手が難しい状況であれば情報の確かさや記事における必要性から判断する、という流れがよいと思います。その資料による記述が信頼できず除去が適当であれば、資料を除去すると共に、その資料を情報源とする本文を除去しなければならないでしょう。また、記述と情報源の関係や書式の都合から、具体的なページを挙げる事が適切ではない場合もあると思います。
ただ、仮定されているような場合であれば、ページ数が書かれていないからではなく、手元にない本の内容について記憶に基づいて書いているから好ましくない、ということになるかなあと思います。それから、雑誌を情報源とされている場合のほうが学術論文よりも求める記述は探しにくいことが多いと感じますし、学術の定期刊行物と比較して容易に得られるところに所蔵されていない事が多いですから、国会図書館などで複写を依頼できるだけの情報があったほうが好ましいでしょう。書く立場の心がけとして、またさまざまな目的で百科事典を利用する読者への配慮として、書ける場合は書いていただきますようお願いします。--Ks aka 98 2008年10月1日 (水) 16:56 (UTC)[返信]