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Wikipedia:井戸端/subj/改名提案なしの記事移動について

改名提案なしの記事移動について

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Swaneeと申します。記事の改名についてご意見をお伺いしたく書き込ませていただきます。

私が過日立項した「関の五本マツ」という記事をある利用者の方が「正式の名前」との理由でリダイレクトの「関の五本松」に移動していらっしゃいます。[1]

私がこの記事名を選んだのは、文化庁編集の『天然記念物事典』(1981年)と文化庁編集の『史跡 名勝 天然記念物指定目録』(1984年)に依拠したもので、もともと民謡の記事ではなく天然記念物の記事として書き始めたためでした。(民謡主体の記事なら「関の五本松」で何ら問題ない、と思いますが…)

できれば「関の五本松」が「正式の名前」であることの典拠をノートに記載の上改名提案していただければ、と思ったのですが…。この件について、ご意見をいただければ幸いに存じます。--Swanee会話2015年12月21日 (月) 11:27 (UTC)[返信]

Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことが成立していない事を理由に即時差し戻しても良いと思います。その上で、どちらの記事名が適当なのかWikipedia:改名提案で提案してはと思います。元々の執筆者であるSwaneeさんが天然記念物主体で書いていると思われ、その中での正式名称を取っていることからです。民謡を含めての議論は、議論の上での移動が望ましいと思います。--Taisyo会話2015年12月21日 (月) 11:51 (UTC)[返信]
Taisyo様、初めまして。ご意見をありがとうございます。おっしゃる通り(言葉は悪いかもしれませんが)拙速の感がぬぐえませんので、アドバイスをいただいた通り、移動については差し戻した上で記事名について議論してみようと思います。--Swanee会話2015年12月21日 (月) 12:56 (UTC)[返信]

(戻します)明らかに、議論の方向性がずれてきていますので、思い切って節割りしました。改名議論系について必要があれば移動してください。本来の議論の意見について。Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことは、守るべきだと思いますし、編集合戦になった場合に、無提案で移動した利用者が文句を言われても仕方ないと思います。「明らかに違う場合」も、変に拡大解釈されている印象です。もしかしてと思いつつも、改名提案を起こす。利用者ノートで聞いてみる。記事のノートで聞いてみるとか、移動する前に出来る事は多くあると思います。元々、トラブル回避のために長い間に作られたルールです。面倒くさいかもしれませんが、自分の身を守るためにもなりますので、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことは、無視しないことをお薦めします。--Taisyo会話2015年12月22日 (火) 11:33 (UTC)[返信]

まあ一方で、提案が無いというだけで戻して編集合戦誘発、みたいなこともあるので、編集をする際にはひとつひとつ内容を判断し、疑問があったら強行しない、引くべきときは引くようにしましょう、というのがよいと思います。--Ks aka 98会話2015年12月22日 (火) 11:41 (UTC)[返信]
Taisyo様、Ks aka 98様、ありがとうございました。井戸端に書き込むことで、頭を冷やす時間が取れてよかったです。(脊髄反射で差し戻しでもしていたらどうなったことか…)Wikipediaは「共同作業の場である」ということを念頭に置いた編集を心がけていきたいと思っています。--Swanee会話2015年12月24日 (木) 12:05 (UTC)[返信]

記事スタイルについて

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コメントまあ最低限、通常の改名提案手続きを経るべきですよね(ルールの問題)。
マナーの問題としては、主筆者に対する礼儀は欠いているかなあと思います。ずっと昔に書かれて放置されたままとか、主筆者がもう2年ぐらい投稿歴がないとか、誰が主筆といえるような利用者がない記事だとかいうならともかく、出典も揃った10000バイト級の記事を、登場から3日で主筆者に声もかけずに改名するというのは乱暴かなあ。あくまでもマナーの問題なので、ルールでどうこういう話じゃないですけどね。
私の話をしちゃいますが・・・、まあ黙っていようと思っていたのですがこういう機会があるので言っちゃうんですけど、実はこの方に関しては私もちょっこっと気になっていて、[2][3][4]など、私が加筆した直後にやっていらして、画像のサイズや位置とか、改行位置とか、===参考文献===の節レベルとか、「どっちでもいいんじゃない?」というようなことを変更していくのが続いているんですよね。「どっちでもいいんじゃない?」と思っているのでノーリアクションで放っていたんですが、本音では、どっちでもいいなら書いた人のスタイルを尊重してくれないかなあという気分にはなります。私なりに記事ごとに重要だと思った画像を大きくしたり、補助的な画像を小さくしたりしてみたりとか、私なりにいちおー考えてやったものではあるんですけどね。(Wikipedia:画像利用の方針#配置にある通り、サイズ指定が300pxを超えるときは要注意とありますが)そうでない300pxを250pxにしてみたり、120pxを150pxにしてみたり、右にあったものを左にもってきてみたり・・・。この方は自分はこっちのほうがいいと思ってやっているんでしょうし、文句言う程でもないや、と思っていたことをここで言うと私のほうがすごくカッコワルイ感じになるんですけど、「記事は誰ものでもない」とは言うものの、この程度の事なら記事を書いた人の好きにさせてくれないかなーという気分になります。ほんとカッコワルイけど、黙っていようと思ってましたがちょうど話題に上がったので。--柒月例祭会話2015年12月21日 (月) 13:05 (UTC)[返信]
㭍月例祭様、こんばんは。コメントをありがとうございます。
移動を実行した方とは、私は今まで全く接点がなかったので、この事態を見たとき当惑してしまいました。(単に提案忘れなら良いのですが)ご本人の意図がどうあれ、少なくともWP:NCでない限りは即時移動にはなじまないと思ってますので、せめて移動実行の前にもう少しご配慮いただければ…と感じた次第です。--Swanee会話2015年12月21日 (月) 14:01 (UTC)[返信]

ノート:関の五本マツで改名提案を改めてしましたので、そちらをご覧ください。私が参考にしたのはそれより古い文部省の本と、名称の利用状況を参照しての判断です。書籍でも地図でも看板でも五本松の方が用いられていると思います。民謡はこの五本松のことを唄ったのだから同じ名前なのは当然だと思いますし、民謡のタイトルと天然記念物の名称は同じなのは自然でしょう。一本一本は植物のマツですが、総称なわけですから「関の五本松」というものだと思います。ま、詳しい話はノート:関の五本マツでよろしくお願いします。あと特にSwanee氏に他意はありません。たまたま見かけたので直そうとしたというだけです。

あとこの件とは関係ないことですが、㭍月例祭氏についきましては、「どっちでもいいんじゃない?」とおっしゃってますが、、×===参考文献===、○==参考文献==の節レベルは、Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)ではっきり決まってますね。参考文献節は検証可能性を満たす上で一番重要な節です。基本的に絶対必要なものです。利用者がレイアウトを好き勝手にやったら収拾が付かなくなります。私はむしろ㭍月例祭氏が参考文献を脚注節の中にいれるという独自の編集の方を問題視しておりました。画像サイズ等は見栄えを調節しただけで別にどうということはないのですし、フレーム形式を用いるもルールではないかもしれませんが、節に関しては自分独自のマイルールでやるのは違反行為だと思いますし、訂正されてもしょうがないのではないでしょうか。何か非常に心外です。画像サイズと位置は、文字量と節の位置で調節しました。基本的に300pxというのは通常用いる最大サイズであり、通常サイズが180pxなのですから倍近い大きさの画像になります。300pxはかなり大きなサイズで、しかも両サイドに画像がサイズも違って並んでいるところがあるので、大きすぎるし統一性も欠くという判断です[5]。基本的に(記事にとって)良かれと思ってやっているので、現状の方が見やすくなったと私は思いますが、この判断は第三者に委ねたほうがいいかと思います。--Quark Logo会話2015年12月21日 (月) 18:41 (UTC)[返信]
私のカッコワルイ吐露にお応えいただきありがとうございます。「画像のサイズや位置」については「大きすぎる」とか「統一性重視」というのは主観そのものでして、「300px」が「通常用いる最大サイズ」であるならいいんじゃないの?と私は思いますが、Quark Logoさんにとってどうしても直さないと我慢がならないほど気になるというのでしたらそれで構いません。見栄えは個人設定や利用環境で変わっちゃいますし、ウィンドウの幅を変えたりブラウザの設定でいくらでも変わりますし。
節構成については、WP:ORDERで示されているのは
==付録==
===注と出典===
===参考文献===
===関連項目===
という基本構造であり、「付録節の名称や順番、テンプレートの位置は一例です」「節の名称は記事の内容・構成によって変化します」とか「この節の名称・構成は、本体節や他の付録節を反映して様々な形式を取ります。」とありますように、記事毎の多様性を許容しており、問答無用で統一しなければルール違反だ、というほどのものではないように思います。
実際のところ、
==脚注==
===出典===
===参考文献===
==脚注==
===出典===
==参考文献==
では、意味合いや効力が大きく変わるとは思いませんし、「どっちでも大差ない」と思います。これも画像の話と同じで、Quark Logoさんが後者でないと我慢がならんというならそれでもいいのですが、私は前者のほうが節単位での編集ができて(参考文献と出典は有機的に連動するので)執筆に便利だなあということで前者を使っています。
まあ、ここらへんについては、私も最近Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル_(レイアウト)#参考文献節と出典・注節の位置関係についてでほかの方の意見を参考にやり方を変えて間もないものですから、後者にしなければ違反行為だ、ということであれば今後は直しますよ。--柒月例祭会話2015年12月22日 (火) 01:50 (UTC)[返信]

いや、それが間違いでしょう。 節構成については、「本文節」、「付録節」というセクションは書かないのであって、付録節をセクションだと思っているところが、㭍月例祭氏の間違いだと思います。正しくはこうです。

=本文=(※造らない)
==解説本文A==
==解説本文B==
==解説本文・・・==
=付録=(※造らない)
==注と出典==
===注釈===(※必要ある場合)
===出典===(※必要ある場合)
==参考文献==
==関連項目==
==外部リンク==

ページの地の階層である本文、付録という節はありませんし、造りません。だから考え方が一個づれているのです。本文節と付録節は、説明上の表現、もしくは想定上のものです。また付録と脚注も別のものです。そこも誤解していると思います。脚注というのは、注と出典を合わせた部分ことで、Help:脚注を読めばそのつもりであることは分かります。それに㭍月例祭氏の理屈だと、付録節は上位にあるので、脚注に関連項目や外部リンクもサブセクションとされるはずなのに、それはしない時点でおかしいはずです。また「どっちでも大差ない」とされておりますが、そこに敢えて違いを付けるために意図的に分けてあるわけですよね? どうでもいいと思われているなら皆さんがやっているようなスタイルにしたらどうですかということですし、レイアウトは一例とされますが、集団で編集を行うというウィキペディアの性質上、基本的に(記述の構成上の)特別な理由がない限りは、統一性は保たれるべきです。

レイアウトの順番を変える場合の例は、項目内に内容の異なる記述が併記されており複数の参考文献節があるとか、項目毎に脚注を設けるとか、本文小節に関係の深い関連項目をすぐ後に置くとか、合理的な理由があるものは許容されるということをさしています。「記事の内容・構成」によるとはそういうことでしょう。--Quark Logo会話2015年12月22日 (火) 02:50 (UTC)[返信]

追記ですが、「脚注節(footnote)」と「参考文献節(Source)」の違いは、基本的なレイアウトが書籍を模した、または論文のスタイルだからだと言えると思います。英語書籍(もしくはそのスタイルをとる日本語書籍)では書籍のページの下部を仕切って、注釈や出典を書きますが、それが脚注です。日本語書籍の場合ではページ下部ではなく、章末や巻末部まとめられていることも多いですが、基本的には脚注というぐらいなのでフッターの部分の書かれるものです。対して参考文献というのは、巻末ページにまとめて一覧が書かれています。参考文献は義務的に掲示するものであり、脚注は補足情報。参考文献リストには、一定の書式もあるということで、扱いの違いはそういう視点から考えると割と明白ではないでしょうか。--Quark Logo会話2015年12月22日 (火) 03:44 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:画像利用の方針#配置にあった、「通常この場合、画像の幅は180ピクセルに縮小されて表示されますが、読者はHelp:個人設定#ファイルにある方法で表示サイズを変更することができます。」という記述ですが、現在のデフォルト値は220pxなので(Help:画像の表示#表示形式)、「通常この場合、画像の幅は220ピクセルに縮小されて表示されますが、読者はHelp:個人設定#ファイルにある方法で表示サイズを変更することができます。」に先ほど書き換えました。Wikipedia:井戸端/subj/画像の既定表示サイズについてで、2010年にも井戸端で同じ話題が挙がってますが今まで更新されずにいたようです。以上お知らせまで。--Yapparina会話2015年12月22日 (火) 11:14 (UTC)[返信]

返信 まあちょっと私が話を脱線させてしまって申し訳なかったです。上で書いた通り、節のレベルについては私としては「そんな大きな問題ではない」「大差ない」「どっちでもいい」と考えており、どっちでもいいならこれを機に、Quark Logoさんがおっしゃるように「参考文献」は節として独立させるようにします。お騒がせしました。--柒月例祭会話2015年12月23日 (水) 10:19 (UTC)[返信]