Wikipedia:井戸端/subj/政治家記事の中立的観点
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政治家記事の中立的観点
[編集]こんにちは。政治家の記事などで、よく、対立する野党の批判だけとか、批判に重点をおいて記しているケースをみかけます。しかし、野党が批判するのは当たり前だし、一種のパフォーマンスも兼ねているので、昨日の新聞やワイドショーで話題になった程度で、与党議員が野党からわんやわんや過剰にいわれたことを、Wikipediaに書く必要があるのでしょうか? 長期間話題になって特筆性がある騒動であった場合であるとしても、最低限、野党の批判であることと、当事者の弁明の双方を書く必要があると思うのでしょうが、いかがでしょうか? Wikipediaでは「この存命人物の記事には検証可能な出典が求められています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。」というアナウンスがありますが、もし、出典がついていても、対立する野党の批判だけが誇大気味に書いてあり、当事者の言い分がないなど、中立的な観点から見て疑問の余地があり、「潜在的に中傷あるいは有害となる」可能性が考えられるものは、すぐに除去しても良いのでしょうか? 私はどの政党を支持しているなどの政治的信条はとくにありませんが、度を超して批判に焦点をあてた内容を、毎日のニュースから拾って書くことには疑問を感じ、とくに気になったときに編集に参加させていただいている程度です。余談ですが、今日は、2ちゃんねるを出典に、冒頭部にネガティブな記載をする編集などを見て、2ちゃんねるなら出典といえないからと除去しました。しかし、2ちゃんねるでなく昨日のウェブニュース等の出典があり、ネガティブ寄りで中立的な書き方ではない場合には、「特に潜在的に中傷あるいは有害となるもの」を「すぐに除去」しても良いのかどうか、いかがでしょうか? どうぞ、よろしくお願いします。--はるみエリー(会話) 2015年7月28日 (火) 05:13 (UTC)
- 複数のメディアが大きく取り上げているようなら、それは批判か賞賛か、与党か野党かは問わず、記事に含めても良いでしょう。批判しないこともあれば、強く批判することもあります。野党だけが批判したなら野党が批判したと書く、野党もメディアも批判したなら、そのように書く。野党が批判したのか、評論家なのか研究者なのかという点は具体的に記述したほうがいいでしょう。数行程度の記事をいちいち反映させる必要はないとしても、複数のメディアが大きく取り上げているなら、その取捨選択には様々な意見があるでしょうから、意見が食い違ったなら、ノートで合意を探ってください。
- ウィキペディアの記事の中で批判が多いか、擁護や賞賛が多いかはWP:NPOVから考えます。批判的な情報源が多いならば、批判的な意見に重みを付けて書くことには問題はなく、むしろそのようなバランスで書くことが望まれます。当事者による抗弁がなされていないこともありますから、抗弁がないままの記事が中立的でないとは言い切れませんが、当事者の抗弁などがあるならば、比較的影響力の弱い情報源(本人が発信している場合も含む)でも、記事に含めるべきです。基本的な情報に欠けるまま、不祥事の情報が肥大化するような記事は避けたほうが良いと思います。
- 政治家については、公的人物ですから、否定的であることや、題材については、(家族などは別として)それほど過敏になる必要はありません。WP:BLPでも「浮気」が例示されていますが、政治家にはある程度人格や品性が求められるとされ、スポーツ選手などの「有名人」とは基準が違ったりします。ただし、信頼できる出典があり、出典が示す情報から逸脱せず、誤解を招かないように書かれていることが求められます。その上で、得られる情報源のバランスなどからWP:NPOVに則って書くことになるでしょう。
- このため、信頼できる出典がある批判的な記述は、ただちに潜在的に中傷あるいは有害となるものとは言えず、政治なり報道なりの状況などを見て、編集や議論に参加することが期待されます。出典のない批判的な記述は、直ちに除去しても構いません。
- なお、3RRの記述は、リスク回避のために、多少安全側に倒してリバートしちゃっても良いよってことで、中立的な観点、存命人物の伝記が基本てことになると思います。--Ks aka 98(会話) 2015年7月28日 (火) 07:22 (UTC)
2ch出典の編集をRvした一人です。言うまでも無く2chは論外です。今回のケース(下村博文の[1]を元にした野党の批判のみの記述)は、「特に潜在的に中傷あるいは有害となるもの、すぐに除去」には該当しないと判断しました。信頼できる情報源が、野党が政治活動に対して批判している事を報道しているのであれば、(家族の事やプライバシーを含む場合などの例外はありますが)問題はないものと思います。一方、別の観点から見れば、今回のケース(下村博文の[2]を元にした記述)は、私は(個人的に)不要だと思います(除去する程ではないけど、私なら書かないかな、という程度)。--JapaneseA(会話) 2015年7月28日 (火) 07:39 (UTC)
- ありがとうございます。参考にさせて頂きます。--はるみエリー(会話) 2015年7月29日 (水) 16:18 (UTC)
- 個人的には「そればっかり」にならないことだと思います。人物名鑑的要素(プロフィール)、業績、社会的評価(批判もこれの卑近な例かと)がバランスよく書けていればよいという認識。とりあえず業績の卑近な例としてCiNiiで調べて、その人物の著作があれば必ず書くように私は心がけています。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年8月6日 (木) 14:17 (UTC)