Wikipedia:井戸端/subj/書籍のプロット・シチュエーションを記事とすること。著作権の切れた画像についての扱い。
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書籍のプロット・シチュエーションを記事とすること。著作権の切れた画像についての扱い。
[編集]最近購入した書籍(ノンフィクション戦記物)を元に、何本かの記事を作ったところ、著者の方からやんわりと苦情が来ました。私なりに要約してみますと
- 自著のプロット・細かいシチュエーション(その著者が独自で取材された内容)を記事にしてもらっては困る。
- 書籍に掲載した写真は、本人・遺族から"私の本のなかで使用する目的のみで提供を受けて"いるものだから転載は困る。
だと思います。
1. については(作中の会話部分を除いては)言い回しの変更などで完全なコピペにはしていないつもりです。プロット・細かいシチュエーションでも問題になるものでしょうか。
2. については1945年以前の写真でPDだと思い、遠慮なく使ってましたが、私は著作隣接権というものがあまり理解できていません(ネットで調べても音楽関係の事柄ばかりで、写真については参考になる解説がありません)
著作権などに詳しい方のアドバイスをお願いします。--Soica2001 2011年2月4日 (金) 10:53 (UTC)
- 著者本人から直接苦情が来たのであれば基本的に受け入れて削除すべきです(よほど理不尽な物言いであれば別ですが)。著作権的にはグレーゾーンですから、安全側に倒さなければなりません。訴訟に発展してしまうことがWikipediaにとって最も恐るべきことですので。--QQ81 2011年2月4日 (金) 11:21 (UTC)
::個人的には、Soica2001さんは直ちに違法行為をしたとは思いませんが、応じない場合は、遺族さんに対してそのような約束をしてしまった記者さんは立場を悪くしてしまうでしょうね。 投稿した写真は個人の一存で簡単には解決しないかもしれませんが、応じられる範囲で、要望に応じてあげたらいかがでしょうか。--Gyulfox 2011年2月4日 (金) 13:32 (UTC)--Gyulfox 2011年2月5日 (土) 17:18 (UTC)
- コメントSoica2001さん記載のリンク先を拝見しました。まず、「言い回しの変更などで完全なコピペにはしていない」程度では、著作権回避には全くならない筈です。「プロット・細かいシチュエーション」に限らず、「記述と状況より、この原典から作成したとしか推定できない」だけで既に、裁判でも無断使用(= 著作権違反 = 犯罪行為)が立証されうると思います。確実な著作権回避は引用ですが、引用側文章の量や内容が「主」で、引用される側が「従」である必要もあります。更にWikipedia:原典のコピーはしないでは「自分で新たに書き起こした、自らが著作権を保有する文章表現を持ち寄るのが、ウィキペディアの原則です」ともあり、著作権切れかどうかも無関係です。(細部は不正確かもしれませんが、とりあえず)--Rabit gti 2011年2月4日 (金) 14:23 (UTC)
- コメント (1)については、Soica2001さんの認識では著作権上の問題が「ある」可能性が高いと思われます。参考文献における、構成や文章表現などの「創作的な特徴」を残しているのであれば、『言い回しの変更など』を加えていてもそれは「複製」にあたります。(※ 複製は、厳密に一字一句そのままということを意味しません)
(2)について。- 『1945年以前の写真』であれば、普通は、財産権としての狭義の著作権は(Soica2001さんの仰るとおり)既に消滅しており、パブリックドメインとみなして問題ありません。もはや「著作権者」は存在しません。(※ 著作者と著作権者は別の概念です)
- 会話ページで指摘されていた「著作隣接権」は、実演家・レコード製作者・放送事業者の権利なので、本件には――撮影者にも、原板所有者にも、許可を得て写真を記載した本の著者にも、ウィキペディアにも――無関係なはずです。
- いわゆる著作権保護期間に限定されず、「著作者」の死後も相応の保護が求められる「著作者人格権」の一つに「公表権」がありますが、著作者が公表を禁止していないのであれば差し支えありませんし、そもそも「未公表の著作物」にかかる権利ですので、一旦公表されてしまった写真の利用については無関係です。
- …したがって、写真については『無断複写を禁止する旨の断り書き』が著作権とは無関係にどのような法的効力を持つのかどうか、という問題になろうかと思われます。著作権の保護期間終了後は、写真の撮影者も原板所有者も「複製権」は行使できませんし。民法とかは詳しくないのですが……「無断複写禁止」がどのように表示されているのか分かりませんが、それを契約のように?順守する義務を負うことになるのでしょうか…? --氷鷺 2011年2月4日 (金) 16:31 (UTC)
- コメント氷鷺さんご指摘の「著作者人格権」ですが、上記の「公表権」の他に、「氏名表示権」と「同一性保持権」もあります。ウィキペディアでは上記のように「自分で新たに書き起こした、自らが著作権を保有する文章表現を持ち寄る」のが原則で、翻訳やノート分割では履歴継承するなど、各投稿者が各著作者として扱われています。従って、仮に出典の明記なく、引用でもなく記載した場合は、真の著作者から見れば「他人が勝手に自己の著作物としてウィキペディアで公表し続けている」形となり、「氏名表示権」に抵触すると思います。次に、仮に出典が明記されていても「言い回しの変更など」をしてしまっていれば、今度は「同一性保持権」(無断改変の禁止)の方に抵触します。一般的にも、作家や芸術家は、文字や文への拘りが強く、自己作品の断片化や表現改変は苦痛である場合が多いとも思います。以上から、今回の事例は「著作者人格権」違反の可能性が高く、著者からの丁寧な申し入れは正当かと推測します。なお繰り返しますが、日本の法律である著作権や著作者人格権に仮に違反しなくても、ウィキペディアのガイドでは本人の著作物である事が原則と思います(単に日本の著作権をクリアするだけでは不十分で、真にフリーなコンテンツである必要があります)。まとめると、「言い回しの変更」は、著作権回避にはならず、逆に同一性保持権の侵害になり、更にウィキペディアのガイドにも反する投稿、という事かと思います。--Rabit gti 2011年2月4日 (金) 17:17 (UTC)
- よく読んでください。私も、(1)については著作権的に「問題がある」という判断ですが。--氷鷺 2011年2月4日 (金) 17:55 (UTC)
- コメント氷鷺さんご指摘の「著作者人格権」ですが、上記の「公表権」の他に、「氏名表示権」と「同一性保持権」もあります。ウィキペディアでは上記のように「自分で新たに書き起こした、自らが著作権を保有する文章表現を持ち寄る」のが原則で、翻訳やノート分割では履歴継承するなど、各投稿者が各著作者として扱われています。従って、仮に出典の明記なく、引用でもなく記載した場合は、真の著作者から見れば「他人が勝手に自己の著作物としてウィキペディアで公表し続けている」形となり、「氏名表示権」に抵触すると思います。次に、仮に出典が明記されていても「言い回しの変更など」をしてしまっていれば、今度は「同一性保持権」(無断改変の禁止)の方に抵触します。一般的にも、作家や芸術家は、文字や文への拘りが強く、自己作品の断片化や表現改変は苦痛である場合が多いとも思います。以上から、今回の事例は「著作者人格権」違反の可能性が高く、著者からの丁寧な申し入れは正当かと推測します。なお繰り返しますが、日本の法律である著作権や著作者人格権に仮に違反しなくても、ウィキペディアのガイドでは本人の著作物である事が原則と思います(単に日本の著作権をクリアするだけでは不十分で、真にフリーなコンテンツである必要があります)。まとめると、「言い回しの変更」は、著作権回避にはならず、逆に同一性保持権の侵害になり、更にウィキペディアのガイドにも反する投稿、という事かと思います。--Rabit gti 2011年2月4日 (金) 17:17 (UTC)
- コメント私も(1)は氷鷺さんと同意見です。私は氷鷺さんのコメントへの批判は何も書いていません。(2)で氷鷺さんが言及された「著作者人格権」について、「公表権」以外の話を追加し、最後の「著作権回避にはならず」は(1)について私も氷鷺さんと同じ意見です、という積もりで書きました。これを氷鷺さんへの批判と読まれてしまったのでしたら、私の書き方が悪く、失礼しました。--Rabit gti 2011年2月5日 (土) 02:58 (UTC)
- 話がずれてきているようですが私の聞きたいのは「その本独自に描かれていることを記事にすることは問題があるのか?」です。この場合読者は、どの部分がその本独自の記述なのか(ある程度の推測はできても)分りません。
- 本題とずれた話ですが、Rabit gtiさんの意見はちょっと極端すぎる気がします。原則として記事のすべては出典に拠って書き、出典を要約したり自分流に表現を改めたり(場合によっては出典そのままの記述で)して書きます。Rabit gtiさんの説のように作品の断片化や表現改変が出来ないとなると、すべての記述を出典通り引用して書かなくてはいけないことになり、結果として引用にはなりえずwikipediaの記事は成り立たない気がします。--Soica2001 2011年2月5日 (土) 00:46 (UTC)
- ケースバイケースで、…たとえば「程度」などにもよりますので『その本独自に描かれていることを記事にすることは問題があるのか?』という極端に単純化された質問については、「問題がある」も「問題はない」も、答えとしては間違いでしょう。[1] や [2] の記事を拝見しましたが、比較的ボリュームのある記事で、ある著作物のうちの相当の範囲を「要約」したもの(であるかのよう)に見え、参考文献の構成や文章表現などが本当に排除されているとは、あまり考えにくいように感じました。実際にどの程度手を加えたのか私には分かりませんが、一般的に『言い回しの変更などで完全なコピペにはしていないつもりです』という認識では、ほぼ「アウト」でしょう。--氷鷺 2011年2月5日 (土) 01:35 (UTC)
- その[1],[2]の記事とも、それぞれ約30ページの章の文章を参考に書いたもので、両方の文章を見た人なら参考文献名を見なくても「これを元にして書いたな」と推察できるとは思います。やはりアウトっぽいですか・・・--Soica2001 2011年2月5日 (土) 02:46 (UTC)
- ケースバイケースで、…たとえば「程度」などにもよりますので『その本独自に描かれていることを記事にすることは問題があるのか?』という極端に単純化された質問については、「問題がある」も「問題はない」も、答えとしては間違いでしょう。[1] や [2] の記事を拝見しましたが、比較的ボリュームのある記事で、ある著作物のうちの相当の範囲を「要約」したもの(であるかのよう)に見え、参考文献の構成や文章表現などが本当に排除されているとは、あまり考えにくいように感じました。実際にどの程度手を加えたのか私には分かりませんが、一般的に『言い回しの変更などで完全なコピペにはしていないつもりです』という認識では、ほぼ「アウト」でしょう。--氷鷺 2011年2月5日 (土) 01:35 (UTC)
- コメント私も氷鷺さんと同じ見解です。Soica2001さんの「原則として記事のすべては出典に拠って書き、出典を要約したり自分流に表現を改めたり(場合によっては出典そのままの記述で)して書きます」では、著作権にもウィキペディアのガイドにも反する可能性が高いと思えます。Wikipedia:原典のコピーはしないやWikipedia:著作権を再読ください。ウィキペディアは他人の著作物を(そのまま、または改変して)投稿する場ではありません。引用の他、自分の創作物などを大幅に加えて同一性保持権に抵触しないほど全く別作品になれば別ですが、その判定は事例ごとに裁判所で判定するか、過去の判例から推定するしかありません。なお「ちょっと極端すぎる」とありますが、私はそうは思いません。私はいくつかの記事を作成し、出典や引用もしましたが、原典自体を「言い回しの変更」程度で本文に使用した事は無いと思っています。なお、重要な点ですが、原則と実際の運用は異なります。警察・検察・裁判所などは(税金で運営されているため)低額な損害への捜査や訴訟はまともに扱わない傾向があります。しかしそれは「訴えられないから違法ではない」なのではなく、大多数の被害者が「泣き寝入り」しているだけでもあります。訴訟回避も重要ですが、(軽微でも)著作権違反をしない事は重要で、更にウィキペディアのガイドでは投稿して良いのは他人が自由に改変・二次利用して良いコンテンツだけです(つまり、自分自身の著作物か、著者から検証可能な承認を受けたもののみ)。専門家ではないので細部は不正確かもしれませんが、大筋では以上と思っています。--Rabit gti 2011年2月5日 (土) 02:58 (UTC)
- 民法上の不法行為的にアウトかも。その本に描かれている「創作性ある文章表現や記事構成」を用いて記事にすることは、程度によりますが、原則として著作権の侵害に当たると思います。また、その本に描かれている「創作性のない文章表現や記事構成」を用いて記事にすることも、その本が新刊書であり、ウィキペディアの記事がその新刊書に明らかに「依拠」しており、ウィキペディアに掲載することで原作者の営業上の利益を不当に侵害する場合は、民法上の不法行為(成果冒用型)に問われる可能性があります(山根崇邦、2007年「判例研究 著作権侵害が認められない場合における一般不法行為の成否 通勤大学法律コース事件 知財高判平成18年3月15日平成17(ネ)10095等最高裁HP 原審:東京地判平成17年5月17日判時1950号147頁」『知的財産法政策学研究』(北海道大学)18巻221ページ参照)。この判例では、依拠性(類似性)を認め、だがその該当箇所の創作性は否定し、しかし依拠している以上、営業上の利益を不当に侵害(競合)したのは確かで、不法行為の成立を判示しました。この判例が「いけませんよ」と言っているのは「競合行為」であって、「権利侵害」ではないことに注意してください。つまり「著作物性のない範囲なら、転載は咎めないけど、それで原作者の利益を侵害しちゃだめだよ」ということです。これを踏まえると、新刊書を情報源としてウィキペディアに書きこむ行為は、かなり危険であることが理解頂けるのではないかと思います。ウィキペディアを読めば全部わかるのであれば、まぁ、本なんて買いませんよね。これは十分に原作者の利益を侵害しているでしょう。ですから、新刊書を元にウィキペディアに書きこむ際は、その行為によって原作者の営業上の利益を損ねることのないように配慮する必要があるかもしれません。ここで語尾が弱腰なのは、「公知の私的独占は許されない」という私の信念と矛盾するからです。悩ましいですね。類似案件としてWikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧があり、こちらはデッドコピー案件として削除されています。判例から考えると、新刊書でなければ削除するべきではないかもしれません。
- 次に、画像の件について。
写真提供者の主張は、ちょっと無理があるのではないかというのが、正直な感想です。Commons:Commons:When to use the PD-Art tag#Copy of an old public domain photograph that you have scanned in from a recently published bookをお読みいただければ、同様の感想を持っていただけるのではないかと思います。日本の博物館で横行している「撮影禁止」に似た、法的な根拠を欠く権利主張ではないでしょうか。画像の件については、先に挙げたコモンズの方針文書を案内する等で、原作者・関係者に納得してもらうべきなのではないかと思います。--Akaniji 2011年2月5日 (土) 07:39 (UTC) - (追記)画像について意見を修正します。削除要請は法的には無理筋な気がしますが、その上で、コモンズ投稿者がどういう意志を持っているかも重要に思えます。もしも、コモンズ投稿者が、原作者や写真提供者に我慢してもらってまで画像を存続したいという意志がそれほど強くないのであれば、何も法的根拠に則らなくても削除することは可能だったと思います(投稿者希望)。法律的にどうなのかを述べはしましたが、投稿者としてどうしたいのか、原作者に我慢してもらってまで存続させる価値があるのか、そこらへんは、コモンズ投稿者のしたいようになさるのがよろしいのではないでしょうか。--Akaniji 2011年2月5日 (土) 09:04 (UTC)
報告 進藤三郎・志賀淑雄についてWP:CSD#全般8で削除依頼を出しました。画像については手をつけずに置いておこうと思います。コメント頂いた皆さん、ありがとうございました。--Soica2001 2011年2月5日 (土) 08:23 (UTC)
- 文章の扱いについて盲点を見逃してしまって済みませんでした。今更ですが意見を変更します。文章量と表現にもよりますが、オリジナルの言い回しを変えたものは、あくまでも改変を受けたオリジナルですから、投稿すると著作権の侵害に当たります。おまけに「言い回しを変えた」と自分で表明してしまった時点で完全にアウトとだろうと思います。 引用するか書籍の内容を理解して自分の言葉で書いたものなどはセーフという事です。--Gyulfox 2011年2月5日 (土) 15:00 (UTC)
- コメント写真のほうは、正直良く分からないです。
- 著作権の問題はないとしても、肖像権としてどうなるか、遺族の名誉感情とか、写真の所有権とかから公表のみではなくコントロール権を持つかどうなるかというのがひとつ。たとえばデジタルコンテンツ協会のQ&Aでは「判例上故人の肖像権が行使できるか否かは明らかではありません」としつつ、著作権法の人格権から「プライバシーの権利においてもその人物の名誉声望を害するような使用は問題であるとする考え方をとることが無難かもしれません」としていました[3]。
- もうひとつは、それらの権利があり、著者と提供者の間に契約関係があったとしても、書籍での表示によって読者に及ぶかどうか。
- 望まれていないものを無理に使うかどうかというのは、投稿者自身のリスク評価と写真の重要性によって判断されるものだと思いますが、法的に問題を生じないからと言って写真を使わなければならないというものではないので、個人的には十分著名でない、公的な性質を持たない肖像の類は、抑制的であるのがよいと思います。
- なお直接答えになるものではないですが、関堂幸輔「パブリシティ権の再構成」著作権研究 29号 掲載[4]、村上 孝止「肖像権とその周辺 : 写真の撮影・公表をめぐる法律問題と判例の展開」(久留米大学法学 39, 25-112, 2000-11)[5]、死者の人権の保護に関する質問に対する答弁書[6]、情報公開条例関係ですが公文書非公開決定取消請求事件[7]を参照しました。実務書で扱っているものもあるようです(佃克彦『プライバシー権・肖像権の法律実務』弘文堂)、青柳武彦『情報化時代のプライバシー研究 「個の尊厳」と「公共性」の調和に向けて』NTT出版)。前者未見、後者は読んだんですが覚えてませんすみません。--Ks aka 98 2011年2月5日 (土) 18:33 (UTC)