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Wikipedia:井戸端/subj/独自研究では?

独自研究では?

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浮世絵#歴史の冒頭に、「諏訪(2008)に従って、以下の4期に分けて説明する(注釈10)。」とありますが、問題は注釈で、「4期区分はあくまで便宜上であり、この説が絶対ではない。例えば、石田ほか(1987)では3期、稲垣(2011)では5期区分を採用している。」と記されているのですが、「あくまで便宜上であり、この説が絶対ではない。」というのは、記事執筆者の独自研究にあたると思うのですが、いかがでしょうか。そもそも「諏訪(2008)に従って…4期に分けて説明する」と定義しているのですから、3期・5期等、それ以上ここで書く必要は無いと考えますが、それで宜しいでしょうか。ご回答、お待ちしております。@--Falcated会話2022年8月21日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

  • Wikipedia:中立的な観点も関係しますね。ちょっとした言い回しの問題で、「A説のほか、B説、C説がある」にとどめておけば、当座はゆるされるでしょうかねえ。ただし、だったらなぜ本文でA説を採ったのかという問題は残ります。A説が主流だということを示す必要がありますよね。
  • いわゆるハイカルチャーについては、十分な品質の情報源が多数見込めるでしょうから、それらを使えばよいでしょう。本件について具体的な知見は私はないので一般論になりますけど、「研究史」をまとめた情報源によって「研究史」について書けるはずです。
  • おそらく課題になるのは、そうした「学説史」研究はたいてい歳月を要するということ
  • 机上の空論をいうと、「『18世紀にA説、19世紀にB説が出た』という20世紀の学者の説が定説だ[21世紀の文献]」という格好になるのがベストのはずです。しかしこの方式だと、最近の新しい説を採用するのは難しいでしょうね。ここらへんは、いわゆる理系分野と文系分野で違いもあるでしょう。難しく考えると難しいですね。--柒月例祭会話2022年8月21日 (日) 08:18 (UTC)[返信]
      • (追加情報)あくまで主題に詳しくない素人によるオマケとして。
      • 小学館『日本大百科全書』と平凡社『世界大百科事典』の「浮世絵」の項は、いずれも小林忠が執筆しています。この方の経歴は、記事に従えば「国際浮世絵学会会長」で、「浮世絵の専門家」と呼ぶに相応しいでしょう。
      • で、小学館と平凡社がそれぞれ、日本を代表する百科事典を編纂するにあたり、「浮世絵」の記事の執筆を依頼する程度には、小林は「専門家」として第三者から認められているとも言えるでしょう。
      • で、両事典の「浮世絵」の項はよく似ています(当たり前)。それによると、「浮世絵の歴史」は3期に区分されるとしたうえで、(1)初期;1657-1764、(2)中期;1764-1801、(3)後期;1801-1868、としています。また「浮世絵の様式史」については「諸説ある」としつつ「ここでは次の3期」とし、(1)初期(1657-1764)、(2)中期(1764-1801)、(3)後期(1801-1868)としています。これは「浮世絵の歴史」と完全一致します。そのうえで小林は「さらに終末期を別に設ける必要があるかもしれない」として、明治から日清戦争まで(1868-1895)とも言及しています。
      • 仮にこの小林説を採用するとして、いまの記事と比較すると、ビミョーに1年のズレがあるのですが、最初の三期についてはほとんど一致しています。(他の諸説を知らないので、この1年のズレが重要なのか些末なのかはワカリマセン)四期目については、小林は1895年でオシマイとしていますから、記事の「現在まで」とは乖離があります。
      • 国史大辞典』の「浮世絵」の項は楢崎宗重(日本浮世絵協会理事長)によるもので、参考文献として藤懸静也『浮世絵』を挙げた上で書かれています。同項では、上述の小林ほど明快に「○○期」のような区分を示していませんが、1897年に木版が廃れたのを期して「浮世絵の様式史も一段落をつげた」と書いています。これを採用するならば、小林の「1895でオシマイ」説と誤差は2年ほどあるとはいえ、明治後期に大きな節目があるという点では小林と楢崎の見解は一致しているといえるでしょう。
      • 厳密に言うと、「浮世絵の歴史」と「浮世絵の様式史」は別モノ、と言えるのかもしれません。
      • 記事と比較すると、小林や楢崎は単に浮世絵史としての「初期」「中期」と表現しているだけで、「江戸初期」「江戸中期」などとは表現していません。日本史の一般論として「江戸時代」をいくつかに区分する場合にも諸説あるでしょうけど、記事では「江戸初期」を150年、「江戸中期」を35年、「江戸後期」を70年としており、これは日本史学での一般的な江戸時代の区分とはずいぶん差があるようには思います。
      • 現代までも含めた「浮世絵の通史」を記述する上で、研究者による「浮世絵史の区分」に基づくのか、一般的な歴史学の区分に基づき編年体で記述するのか、アプローチには違いはあるでしょう。後者の方式を採用するならば今の記事の区分はちょっとヘンだね、ということになります。前者の方式を採用するなら「江戸前期」ではなく単に「前期」でよい、という話になるでしょう。そのうえで、現状の4区分ではなく、たとえば5区分として、前期・中期・後期+「終末期」(-1895頃)+それ以後(1896-現在)みたいな分け方とかね。
      • 私は記事で採用されている石田1987・諏訪2008・稲垣2011は見ていませんから、「小林や楢崎の古臭い説はとっくに定説じゃなくなってます」みたいな話ならばそれでもいいでしょう。でもまあ、「明治以降」以外の3期については、今の記事と小林説は概ね一致しているので、たぶんきっとおそらく定番の分け方なんでしょうねえ。--柒月例祭会話2022年8月21日 (日) 11:52 (UTC)[返信]