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Wikipedia:井戸端/subj/私見を基にした一覧表は独自研究にあたるか

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私見を基にした一覧表は独自研究にあたるか

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プロジェクト‐ノート:サッカークラブ#「出身選手一覧」の記述方法について」から派生する話題なのですが。

育成組織等における出身選手の一覧表に項目(具体的にはサッカーのポジション)を追加するかどうかの議論を進めている際に、ある方が「とえば柏レイソルU-18や青森山田高校でどのようなGKを育てているのかというのは知りたい人も多いと思います」という掲載必要性の“根拠”(この考え方自体に、誰かがそう言ったというものは存在しません)を示されたので、私が「それは“執筆者の独自分析”にならないのか」と申したところ、「明確な基準に沿ったリスト自体は“執筆者の独自分析”にはなりません」という反論を受けました。

ついては「私見を根拠にして、客観的に検証可能なデータのみを集計した統計表を作成することは、果たして本当にWP:ORなどに反しないのか」について、皆様の見解をお伺いしてみたく思います。--Bsx会話2017年1月31日 (火) 10:56 (UTC)[返信]

コメント 争点が「私見か否か」に集約されるのでしたら、要するに「ぼくのわたしの考えた最強の○○一覧は、きっと世の中のみんなが同じように知りたがっているはず」という提案者主観の願望が多く含まれた状態での個人主張でしかありませんから、明確な基準というならば、大前提としてそのように分類してあるそれなりの信頼性のある定義出典を提案者に提出して頂くことを求めたり、確実にこれくらいの方々が知りたがっているはず、という公式アンケート結果や統計データベースが存在するかどうかを確認した方が水掛け論に陥らずに済むと思います(Wikipedia:論争の解決)。
でなければ、「ゴールキーパーのゴールセーブ率に関して、選手自身の手の大きさは重要なファクターであるに違いない、選手の手の大きさとセーブ率を比較検証することにはきっと意味がある」なんて個人的な着想から発した古今東西世界のゴールキーパーの手の大きさ順一覧なんてのも作成可能になるわけですし(WP:NORそのもの)。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年1月31日 (火) 15:52 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。「そのように分類してあるそれなりの信頼性のある定義出典を提案者に提出して頂くことを求め」ることに関しては、既にやりとりの中で暗にそのことを示唆していたのですが、その上で上述のような反論を受けたことを申し添えておきます。--Bsx会話2017年1月31日 (火) 22:33 (UTC)[返信]
出典があるのでしたら出典を元に記事中へ加筆すること自体は独自研究ではありませんでしょう。その上で、「その内容加筆が記事主題の解説にどのように役立つのか」についての合意を得るフェーズに進むべきなのではないでしょうか?(WP:IINFO、出典さえ在れば関連するデータベースを何でも収集列挙して良いわけではない)。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年2月1日 (水) 16:10 (UTC)[返信]
どうもうまく伝わっていないようで恐縮です。要は「データそのものは検証可能」だが「ただしデータの集積方法についてそのように分類してある定義出典は示されていない」という状況です。私も(同じ話題の別の場所で)WP:IINFOの可能性を示していますが、ガイドライン文書のどこにそういうことが書いてあるのかと反論されている状況です。--Bsx会話2017年2月2日 (木) 10:08 (UTC)[返信]
WP:NOT守ることが推奨されるガイドラインではなく、全員が遵守すべき方針文書 なんですけどね。方針文書の中で挙げられているのは「代表的な事例」であって「(それそのものがはっきりと掲示されていないことを理由に)例示にないから何をやってもいい」という免罪符ではありませんから、質疑そのものが水掛け論であり建設的意見とは思えません。結局のところ、「例示にない(だから書いてもいい)」「少なくとも(自分が)便利に思う」と当初からご主張なさっておられるおひとりだけが反論している状況(WP:IDIDNTHEARTHAT)ですので、Wikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメントへ進むことも検討されてはどうかなと思います。ただ、既に相手の方が似たようなコメント依頼を提出しておられますから、それが終了するまで時間を開けた方が良いとも思います。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年2月2日 (木) 11:20 (UTC)[返信]
コメント 一般論としてコメントします。そのような一覧表の作成は「Wikipedia:独自研究は載せない」でいうところの「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」で懸念されている問題になる可能性があると判断します。--iwaim会話2017年2月5日 (日) 00:37 (UTC)[返信]
返信 Iwaimさんの懸念は、他の記事などで問題のある一覧表の作成があったという「経験」によるものでしょうか?あるいはWikipediaの方針などから論理的に導かれた「潜在的な問題」でしょうか? --j8takagi会話2017年2月5日 (日) 03:42 (UTC)[返信]
返信 過去に見かけたことはありません。(だからといって「存在しない」という結論は導き出すことはできませんが)--iwaim会話2017年2月5日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
返信 回答ありがとうございます。そうすると、iwaimさんが仰るとおり「一般論」であり、「潜在的な問題」と考えます。なお、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」は主に2つ以上の文を接続詞でつなぐ場合を想定しており、一覧表の作成についてこの方針をどのように適用するかは議論の余地(解釈の幅)があると考えております。--j8takagi会話2017年2月5日 (日) 05:44 (UTC)[返信]

WP:NOTの解釈について

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以下はNami-ja(凪海)さんの 2017年2月2日 (木) 11:20 (UTC) のコメント差分への返信から発展した話題です。

WP:NOTの例示にない」、ほかのWikipediaの方針にも反しない、ならば書いてもいい(除去やメンテナンス用タグ貼りの対象にはならない)、というのはWikipediaの方針に沿った考え方だと思いますが。--j8takagi会話2017年2月4日 (土) 01:22 (UTC)[返信]
いいえ。J8takagiさんも書いているようにWP:NOTにあるのは例示ですよね。「WP:NOT#内容」に《以下にウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例を挙げます。ただし網羅的ではありません。》とあります。つまり、WP:NOTの精神を汲み取れば、WP:NOTに例示されていなくてもWP:NOTに該当するような記述はあるはずです。故に、《「WP:NOTの例示にない」、ほかのWikipediaの方針にも反しない、ならば書いてもいい》という考えは明確に誤っています。--iwaim会話2017年2月4日 (土) 05:44 (UTC)[返信]
では、《「WP:NOTの例示にない」、ほかのWikipediaの方針にも反しない、でも俺のルールに反している。だから書いてはならない》ということになるのしょうか?--j8takagi会話2017年2月4日 (土) 08:59 (UTC)[返信]
いいえ。対話が必要です。--iwaim会話2017年2月4日 (土) 17:37 (UTC)[返信]
補足です。対話が必要ですが、それは「対話する前に編集除去や取り消しを実施してはならない」という意味ではありません。各自が自分の判断で「編集」を実施した結果、意見の対立が明らかになった時点で対話を開始すれば問題ありません。--iwaim会話2017年2月4日 (土) 20:09 (UTC)[返信]

すると、《「WP:NOTの例示にない」、ほかのWikipediaの方針にも反しない、でも俺のルールに反している。だから対話の前に編集除去や取り消しを実施する。》がWikipediaの方針に沿った行動だとIwaimさんは考えるのですね。Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずにに記載された「配慮」や「慎重さ」と矛盾すると考えます。--j8takagi会話2017年2月4日 (土) 22:20 (UTC)[返信]

いいえ、矛盾しません。一つ伺いたいことがあります。もしかして、j8takagiさんは「すべての記述を編集除去する際にはその部分の執筆者等に確認を取るべき」という主張をしているのでしょうか? --iwaim会話2017年2月4日 (土) 22:54 (UTC)[返信]
Wikipediaの重大な方針に反する記述、とくにWikipedia:存命人物の伝記の方針に反する記述は執筆者等の確認なく除去すべき場合があると考えます。また、Wikipediaの3大方針であるWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに明らかに反する記述を確認なく除去することは容認できると私は考えています(私自身はそうした記述は、除去する場合はできるだけ議論を経るようにし、上書き編集の場合は表現やフォーマットは変更してももとの記述はなるべく残すようにしています)。WP:NOTの例示に明らかに当てはまる記述の除去も、同様に容認できるでしょう。もし「明らかに当てはまる」が誤りだった場合には、あとで謝罪くらいはすべきだとも思います。一方、Wikipediaの3大方針やWP:NOTの例示に当てはまらない記述の除去には、Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずにに記載された「除去によって改善を行うのであれば、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をしてください」が適用され、執筆者等への確認を取るべきだと考えます。配慮なき除去は、本件に限らずトラブルの原因になっていると認識しています。--j8takagi会話2017年2月5日 (日) 00:07 (UTC)[返信]
j8takagiさんのスタンスは了解しました。しかしながら、それを他の利用者に強要することはあまり良いことではないと判断します。ウィキペディア日本語版は2001年に開始されて以来、長い年月が経過していますし、それに伴って記事の「履歴」も積み重なっています。編集除去しようとしている記述を誰が記載したのかということを調べるのも大変な場合もありますし、そもそもプロジェクトから去っている場合もあります。
また、私としては本件をトラブルであると認識なさっていることに違和感があります。他者の編集行為は基本的に善意にとってください。削除や編集除去、取り消しなども含め、(本人の観点から)記事やウィキペディア日本語版の改善のために実施しています。ましてや、その部分の執筆者自身への否定ではありません。--iwaim会話2017年2月5日 (日) 00:29 (UTC)[返信]
Wikipediaの方針に反しない記述が除去されるときに配慮を求めるのは、「強要」ではなく、Wikipediaの方針に沿った正当な権利の主張だと考えます。また、「トラブル」の件についてIwaimさんのお考えは了解しましたが、回答は保留します。--j8takagi会話2017年2月5日 (日) 00:47 (UTC)[返信]
追記です。「調べるのも大変…」というのはその通りだと思います。ですが、除去や変更をするときに、ノートで提案して少し様子をみるということは比較的容易だと考えます。--j8takagi会話2017年2月5日 (日) 00:53 (UTC)[返信]
良い実例もありますし、お互い気をつけたいですね。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年2月5日 (日) 22:40 (UTC)[返信]
返信 どのような意味で「良い」と仰っているのかわからないので、説明してもらえますか?--j8takagi会話2017年2月5日 (日) 23:27 (UTC)[返信]