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Wikipedia:井戸端/subj/記事に使う出典の優先度や制限とは?

記事に使う出典の優先度や制限とは?

[編集]

ノート:松江騒擾事件で議論が噛み合わなくて困っているのですが、その中で当惑している編集方針の違いについて、ご意見を伺いたく思います。

当方の理解では、先方の主張はインプットを重視しており、「該当記事において使用される出典の相対的優先度は該当記事名を中心に取り扱っている物である。客観性の担保が出来ないと考え、文意や語意の解釈は提示しない。結果として読者の文意や語意に対する不理解や疑問に対しては出典を読んで自己理解を深める努力をして貰うか、読み飛ばすことで解決すべきである。出典から借用した語句が妥当でない可能性もあるが、その語句を書き換えるのは現在最も信頼する出典以上に信頼できる該当記事名を扱った出典が普及した時だ」との主張です。

当方はアウトプットを重視しており、「実際に書かれている該当記事自身の内容に対応した出典があればWikipedia:検証可能性を満たしていると考え、かつ出典は必ずしも記事名を主題とした出典に限定する必要はないと考えます(記事内容が出典で確認が取れればOK)。直接引用以外の、多くの記事の書き方は筆者の出典読解や解釈から内容をまとめるものであり、文責は当然編集者に起因する。結果ノート等で検証不足等が指摘されればコンセサスに基づいて改善をしていけばよい」であり。優先順序で有れば、記事内容に対して「1.出典の有る事実」「2.出典のある意見」「3.出典のない事実」「4.出典のない意見」などの内容による優先度があるのではないかと思います。

もう少し具体的に言えば、前述ノートで事件の背景説明文について先方は「事件を取り扱った出典による背景説明が優先される」と主張し、当方は「実際に表現された文章(事件の前提である時代背景や社会背景の説明文)を検証可能にする出典があれば充分であり。文章に誤解を招く表現は避けて改善すべき」と主張しており、議論が噛み合いません。

なお当たり前ですが、先方も一文一語に出典が必要とは考えていないようであり、例えば章題などは独自に作文された物のようであり、また改善を求めている該当文章は出典より先方により語句の省略語順の入れ替えが為されており、状況から出典の解釈無しに作文された物とは考えにくいと思っています。良きアドバイスをよろしくお願いします。--yasumi 2009年6月2日 (火) 11:56 (UTC)[返信]

Wikipedia:井戸端/subj/用例は存在し正しい日本語ではあるものの辞書に載っていない語をどうするか。というのと似通った部分もあるので、これを引き合いに意見を述べさせてもらいます。
ある出典に「触媒する」という言葉がある。「触媒する」は辞書に載ってない、つまり確固とした定義を持たない、極論を言えば「曖昧な定義」の言葉です。主執筆者は、これをもっと一般的な言葉に直すべきかもしれないが、直しようが無くて、そのまま出典にあるように「触媒する」と言う言葉を記述した。ところが、これ(Yasumi氏の言葉を借りるなら「アウトプット」)を見たある人が「触媒する」では「曖昧な定義」だから、辞書(あるいは別の出典)にあるような(確固とした定義に)これを書き換えるべきだと異議を唱えた。でも、それは無理です。アウトプットしか見てないから曖昧でわからないはずの言葉を、アウトプットしか見てない人が適切な語には直すなんて無理。無理に直せば誤ってる可能性が高い。(蛇足:今回の発端は、「触媒する」が「無条件降伏」という極めて政治的な用語になったというお話です)
ある記述を書き換える・置き換える際には、その記述の元になった出典を読むというのが理想ですが、それは少し窮屈すぎる。だから、ある程度の合理的な理由を持っていれば、例え出典を読んでいなくても(より適切な記述に)書き換えを行うことは私は悪いことだとは思いません。しかし、例え、合理的な理由があろうと、その書き換えに対して、その記述の元になった出典を盾に反論されたら、その出典にあたらなくては、書き換えは不可だと考えます。なぜなら、出典元の方が、アウトプットしか読んでない人間の書き換えより間違いが無いからです。しいては、これは出典というWikipediaの正確性を保障するシステムを蔑ろにする可能性があります。出典が参照されなくて書き換えが可能であるなら、出典を用いる意味など無いのですから。--EULE 2009年6月3日 (水) 04:18 (UTC)[返信]
EULEさん、議題が正しく捉えられていないせいか、早速話が逸れています。私は書かれた表現は出典に書いてあるという前提に立って話をしているのです(実は出典には記事内容が書かれていなかったという場合もあるのでしょうが、この話をする上では除外します)。何度もはぐらかされていますが議論が進んだ段階の今こそ言わせて貰うと、今回で言うと実際に表現されている記事「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた」に対し、私はある程度の終戦経緯を知っているため「玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない」という「事実」が存在する、それ故に書き換え提議を行っているのです。逆に「触媒する」については用語の専門性が問題となっているとはいえ「事実」なのでしょ?(踏み込まないまま言わせて貰えば「触媒する」に「用語の補足説明」なり、「リンク張りと立項」があると読者に親切だと思います。なお、私は違和感なく読めました) また「曖昧でわからない」とは具体的に無条件降伏の意味を知らないという意味ではなく、一般的な使い方を含めた使い分けのどのケースを使用しているのか分からないと言うことです。好意的解釈はできますが、それ以外の読み方をすれば誤解誤読を招くという危険をはらんでいると言うことです。それを踏まえて、文責者にどのような意味に於いて表現したのかを問い合わせたのですが、「解釈は公表しない出典を引き写した」との趣旨の回答だけでした。状況から言えば語義文意は解釈しているはずなのですが・・・これらの問題は出典に依存することなく実際に表現された記事に起因して存在し得ます。
今回の場合、なるほど先方のご主張通りに単体編集として放送内容を出典POV(意見が表明された事実)として無条件降伏と表現することは確かにルールに則った編集でありましょう。それが「出典を持つ事実」を書く記事に対して独特の解釈による出典選択への信頼性を盾に優位性を担保できるのでしょうか?
もう一つは、同手法同士での編集優位点について、例えばノートでも発言していますが、ZERO氏が出典より「天皇」を削除省略したのと同じ手法を使って「無条件降伏」を削除省略した「1945年(昭和20年)8月15日の正午、天皇による玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」という編集がされたとして、前後の編集記事にどのような優位性が担保できるのか?また、それが出典の正当性のみ述べて自己文責を放棄して文意を解説しない者に言えることなのでしょうか?
EULE氏の最終行については更にミスリードを誘う言葉ですね。私は出典無しに書き換えろなんて主張していませんよ。だから、出典のある記事同士の編集案で優位性は何によって決まるのかというこの節を設けているのです。--Yasumi 2009年6月3日 (水) 10:27 (UTC)[返信]
あの、すみませんが、何を言っているのかわかりません。「私は書かれた表現は出典に書いてあるという前提に立って話をしているのです」といわれても、私は別に、氏の主張が「書かれた表現が出典に無い」という前提で話してませんから。というか、むしろ「表現が出典に無い」なら、私の異論すら破綻します。それとも「異論を発した方は、相手(主執筆者)が提示した出典を読んだという前提で話をしている」と言う意味でしょうか?そうであるなら、確かに私の意見は論点が外れていたようですが、そういうことで良いんでしょうか?
とりあえず上記の点を見極めてから、中段の論点について述べますが、最後の点に関しては、深読みのしすぎです。ちょっと冷静になって読み直してみてください。最終行で「Yasumi氏は出典無しでも書き換えが可能と言っている」なんて普通は読み取れません。ミスリードでも詭弁でも、あるいは寓話だろうが。 --EULE 2009年6月3日 (水) 11:24 (UTC)[返信]
なるほど、わかりませんか。当たり前ですが私は記事本文に関して指摘しているという点に留意して再度読み直しをお願いします。--Yasumi 2009年6月4日 (木) 21:08 (UTC)[返信]
わかりませんね。せめて、私が「書かれた表現が出典に無い」という前提で話しているところを指摘していただければ、わかると思いますが。--EULE 2009年6月4日 (木) 22:17 (UTC)[返信]
出典に書かれているとの前提が一致しているのであればたいへん結構なことです。そのまま読んで理解されれば良かりましょう。記事文について述べているのです。--Yasumi 2009年6月6日 (土) 07:34 (UTC)[返信]

yasumiさんが指摘しているのは具体的にこのような事でしょう。
以下ノート:松江騒擾事件/過去ログ2-1の2009年5月30日 (土) 11:26版より転記。

しかしながら、当ページにおいて信頼できる情報源として相対的に優先されるべきは、「松江騒擾事件を中心に取り扱っているもの」であって、「玉音放送」や「日本の降伏」を中心に取り扱っているものではありません(「玉音放送」の記事で優先されるべき情報源が「玉音放送を中心に取り扱っているもの」であるのと同様に)。記事の設計思想にはいろいろな考えの幅があるでしょうけれども、少なくとも本ページでは、こうした考えのもとに記事全体を構成しています。このあたりは、一部Wikipedia:秀逸な記事の選考/松江騒擾事件の際にも述べました。したがって、松江騒擾事件を中心的に述べている情報源のなかで、ことさら「無条件降伏」を否定しているものがない限り、「無条件降伏」の語のみを除去する理由とはなりえません。情報源の誤字であったり、数字の更新であったりといった些細な点を他の情報源で補うならまだわかりますが。

—--ZERO 2009年3月19日 (木) 09:37 (UTC)

「少なくとも本ページでは、こうした考えのもとに記事全体を構成しています。」微妙な見解だと思いますね。Wikipediaは立項者個人の考えを発表する場ではないでしょう。

以下ノート:松江騒擾事件/過去ログ2-2の2009年5月31日 (日) 00:16版より転記。

EULEさんの言うこととも重なりますが、厳密に言えば、「何のためか」など書いた本人にしかわかりませんし、読んだ人間が好きに読み取ればいいことです(ある作家のエッセイで、息子が国語のテストを受けたらその作家の文章について「作者は何が言いたいのか」と出題されて、どれが正解かわからなくて作家本人に聞いたら本人が解らなかった、そんな話があったと思います)[要出典]

—--ZERO 2009年4月30日 (木) 15:43 (UTC)

「本人」は出典とされている「竹永氏」なのか、この項目の立項者である「ZEROさん」なのかで大きくとらえ方が変わると思います。また、私が要出典範囲を付けさせていただきましたが、この部分は微妙な論調で、出典を重要視されるZEROさんらしくないですね。
--Qoop 2009年6月2日 (火) 13:52 (UTC)  この節を、セクション単位編集すると何故かウオッチリストで「フランスの民族について」を編集したことになってしまいますね--Qoop 2009年6月2日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

私はZERO氏ではないですが、普通に読めば、(置き換えるならば)ここで言う「本人」は竹永氏で、「読んだ人間」がZERO氏でしょう。そして、後半の、括弧付けされた、ある作家の話は、竹永氏でもZERO氏でも無い(もっと言うなら、今回の話とは全く関係が無い)第三者の話ですよ。普通に読めばですが。さらにいえば、これに要出典を付けるのはおかしい。例え話程度のものですからね。まあ、私は当事者だし、普通や常識なんて個人が担保できるものではないですから、何人かの第三者の意見を待った方が良いと思いますが、おそらく私と同じ意見を言うと予想します。
あと、節がおかしいことについてですが、Yasumi氏が投稿する際に、上部の「新しい話題を投稿する」からではなく、「フランスの民族について」から続けて書いたせいじゃないでしょうか?まあ、よくわかりませんが。--EULE 2009年6月3日 (水) 04:18 (UTC)[返信]
「普通や常識なんて個人が担保できるものではない」「すべての意見はPOVだ」との趣旨に対しては、Wikipedia:中立的な観点#客観的な視点など存在しないという項目があり「この路線のポリシーにとって何か問題含みな点があるとしたら、それは論争をフェアに描写することができる、だから全ての主要な参加者が結果として生み出された文章を見て全ての観点が好意的に、できるだけ完全な形で紹介されている(少なくとも議論の文脈に関係がある範囲内で完全である)と合意できるだろう、という含意でしょう。」と読みにくいですが、要は編集者は責任転嫁をせずに文責を負い、常識的であろうとの方針に基づいて意見を開陳し、他者と対話して合意を求めることが必要なのではないでしょうか?例えば、記事に関して事実関係についての追求があれば「事実」と「意見」の切り分けが可能となり、必然的に記事に記載する優位性が明確になると思います。「意見」同士であればあっちの出典とこっちの出典どっちが優位か?同レベルの出典での優劣はつきません。(編集後に「フランスの民族について」となる件について。申し訳ありません、投稿時に最終節「フランスの民族について」の下に新節を設けたためにWikipedia:井戸端/subj/フランスの民族についての付属別節扱いされているようです。システムに詳しくないのでどうすればよいか分かりませんが、Ks aka 98氏に修正して頂けたようで感謝します)--Yasumi 2009年6月3日 (水) 10:27 (UTC)[返信]
文章をよく読んでください。Qoop氏の2009年5月31日 (日) 00:16版の引用について述べてるわけで、全く論点が違います。--EULE 2009年6月3日 (水) 11:24 (UTC)[返信]

「該当記事において使用される出典の相対的優先度は該当記事名を中心に取り扱っている物である」いう見解についてのみコメントさせていただきます。あるテーマに関する出典を関連性の深い出典と関連性の浅い出典とではWikipedia:検証可能性について同列ならば同列に扱うべきですが、該当記事名を中心に取り扱っている場合その取材対象に対して何らかの思想的根拠を持っていたり、書き手に何らかの感情が含まれている場合が多いことを考えると該当記事名を中心に扱っている資料の方がWikipedia:中立的な観点について考えると出典とするにはより危険な書物だと考えます。勿論「出典」でなく「参考資料」であればその項目をより深く知るための資料ですから、本項目により深く関わっている書物を優先すべきだとは考えます。ですが出典として用いる場合には寧ろ本項目から遠い書物で当該事実を証明して頂いたほうがより記事の公正性、思想的中立性が増すと考えられます。なお、「『1.出典の有る事実』『2.出典のある意見』『3.出典のない事実』『4.出典のない意見』などの内容による優先度」に対して賛成するものではないことをお断りしておきます。--Himetv 2009年6月3日 (水) 05:45 (UTC)[返信]

コメントありがとう御座います。たぶんZERO氏の主張は比較を行わない新規の単体編集としては正しい手続きの元に編集された物なのでしょう。しかし他編集との比較に於いて、私の問いかけた内容の議論をすることなく出典の優位性を主張することにより議論が進まずに噛み合わなくなってしまいました。例えば「議論に参加するなら出典を読んでください」等の議論参加資格を要求されて各出典にあたりもしましたが、むしろそれは私の論点から遠ざかっていたと今実感できます(それにはZERO氏の表現作成過程を疑似体験するという有用点があったかも知れませんが本題とは異なります)。--Yasumi 2009年6月3日 (水) 10:27 (UTC)[返信]

コメント一般に、その項目で扱われる主題について、その記述に使用される情報源は、その主題について重点的に調査・検証・検討が行われたものが重視されるでしょう。それらの情報源をより広い観点から評価し、位置づけるためには、概観的な情報源が必要であり、記述を掘り下げるためにはその主題をさらに細分化した主題を専門に取り上げる情報源を用いることも必要です。

これらの情報源の間で、どれを優先させるかは、その情報源の公表時期、内容、全般的な信頼性などを考慮して決めることになると思います。項目全体を眺めている執筆者には手が回らない細部というのもあるでしょうし、細部における厳密な正しさは全体の中では追求する必要がないということもあるでしょう。文意や語意は独自に「解釈」すべきではないとしても、わかりやすく書き改めたり、より適切な用語があれば置き換えることを否定するべきではないと思います。

事件の背景の説明文について、その背景となる事実の説明としては、個別の事実についての情報源が必要であり(十分共有されている知識であれば、その項目でいちいち踏み込む必要はないとしても)、その事実が背景となっているということの情報源が必要であり(これがなければ独自研究です)、これとは別に事件当時の社会的な事実の認識や当事者の事実の認識の情報源が必要であり、本来ならば情報源の執筆者の認識もまた他の情報源を用いて検証する必要があるでしょう。特に、その資料が第三者のものでない場合や、多少古いものであったり、背景となる個々の事実について専門的な知識を持っていないと推察される場合などは。

ひとつには、玉音放送とポツダム宣言の受諾に対して「無条件降伏」という表現がどの程度一般的か、専門的な世界でどの程度誤りという合意があるのか、ということが問われると思います(議論すべき場所は、今の場所ではないと思いますが)。「無条件降伏」という表現が、少なくとも学問の世界では通説として誤りであるとされているならば、基本的にこの表現を使うべきではなく、強力な異論があるのならば避けておいたほうがよいでしょう。他方、「日本国政府の基本見解である(無条件降伏)」ということで、じゅうぶん一般的だが、論争があるという程度であれば、内部リンクでもよいかと思います。むしろ論争があることを脚注で付ける事が中立的ではなくなるという見方も出来ます。このへんは、藤田(2007)で検討されているように、「無条件」というのが、「まったく無条件」なのか、「些細な条件はあるとしても実質的に無条件と言えるもの」というような定義付けがされるのか、というような話だったりもするのかもしれませんし、評論家と、歴史学、政治学、法学の間で意見が異なるのかもしれません。[1]を見ると近年でも諸論あるようですから、無条件降伏#条件降伏論争の根拠[2]だけでは、「無条件降伏」という表現が、どれほど適切ではないか、という検証が不足しているようにも思います。

この記事について考えるなら、松江騒擾事件のなかで、また事件を中心的に述べている情報源のなかで、どの程度「無条件降伏」であることが重要なのか、ということが問題となります。積極的であれ否定的であれ、ことさら「無条件降伏」を取り上げているものがあるのでなければ、あるいはその事件において、「無条件」降伏という認識が鍵となるのでなければ、記事中で使われている「無条件降伏」という用語は、単なる事実として、言いかえが必要で、適切な表現があるならば言い換えるのが望ましいでしょう。「無条件降伏」であることが鍵になるが、事件当事者および情報源の執筆者がともに「無条件降伏」であることを当然なものとして認識している場合は、ことさら「無条件降伏」という表現を取り上げないこともあるでしょうから、その情報源を丁寧に読んで判断するか、その情報源または著者についての論文・書評などを探すことが必要になります。ウィキペディアの執筆者として、その判断に自信が持てないなら、情報源にある記述を用いておくということは、あってよいと思います。

松江騒擾事件で論点となった記述を見る限りでは、「無条件降伏」という表現に特段の意味は感じられず、玉音放送の内容の説明と思われますから、「玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による降伏が国民に伝えられた」と書きかえてもよさそうだなと思いました。

ただ、ぼくは事件や無条件降伏論争などの知識があるわけではないので、最初に書いた一般論を、Qoopさんのまとめやウィキペディアの項目などを見ながら、当てはめてみただけに過ぎません。書きかえるべきだ、と主張しているのではないので、「松江騒擾事件」の記述をどうするかについては、知識・関心のある方で検討してください。--Ks aka 98 2009年6月3日 (水) 12:20 (UTC)[返信]

特に議論に参加されていない方からのコメントを頂けて参考になります。さて今回、戸惑い、面くらったのは議論相手が文意語意の直接説明と読者への便宜性を「客観性が担保できないから」という趣旨で回避していることです。一見、中立的に正しいかのような主張ですが、Wikipedia:中立的な観点をよく読むと、合意が取れるように努力するなどのウィキペディア的なルールとは違うような気がします。ルールを隅々まで把握していませんが「分からないなら分からないと言うことも含んで、自分の言葉で書く」というのは当たり前だと思っていたので。当初はWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいの尊重を模索していたのですが行き詰まってしまいました。できますれば、議論の進め方に関してもアドバイスをお願いします。--Yasumi 2009年6月4日 (木) 21:08 (UTC)[返信]
「客観性が担保できないから」と指摘されたのはYasumi氏が一般事象とか固有事象という造語を用いて論理展開したからでしょう。一般と固有の違いは何だ?、その判断基準は何だ?と言う点から出てきた言葉じゃないですか。--EULE 2009年6月4日 (木) 22:07 (UTC)[返信]
(追記)そもそもYasumi氏のいう客観性って、単なる客観性じゃなくて、万人に通じる一般性・客観性のことでしょう?そんな物は無いですよ。--EULE 2009年6月4日 (木) 22:42 (UTC)[返信]

私個人としては、Ks aka 98さんの本文中で無条件降伏か否かについては触れない「玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による降伏が国民に伝えられた」という文案が適当かと考えます。実際のところ無条件降伏か否かという点については適切な場所で、ポツダム宣言の記事本文でも「無条件降伏であるか否かは論争がある。詳細は無条件降伏を参照のこと。」とあるため、ノート:無条件降伏あたりででも討議していただければよいかと考えます。--Himetv 2009年6月4日 (木) 22:20 (UTC)[返信]

Ks aka 98氏やHimetv氏が文意語意と事実を受けて現在の出典のまま「玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による降伏が国民に伝えられた」などの編集案を思いつくというのは妥当に思えます。私もノート:松江騒擾事件--yasumi 2009年5月10日 (日) 11:39 (UTC) で前者と同じ可能性を打診したつもりですが、議論になりませんでした。(なお、更に上案の文末直後に「(詳しくは日本の降伏終戦の日を参照のこと)」などのリンクを追加しても理解を深める上で良いかと思います。)
なぜなら、先方の意見はノート:松江騒擾事件--ZERO 2009年5月4日 (月) 03:52 (UTC) に象徴されるように「yasumiさんがご自分の目で確認されたとおり竹永氏は、日本国民に伝えられたものがポツダム宣言の受諾による「無条件降伏」だと書いています。第三者の方にも確認して頂きたい。これで「出典と見比べて誤解を招く表現だから正確にしろ」「出典に基づいて情報を増やせ」「別な情報源も使って両論併記しろ」といわれるなら、こちらならまだわかります。しかし、せっかく廿粁さんの意見に近づけるよう出典に基づく情報を増やしたのに、いまさら「あえて出典と乖離した不正確なものにしろ」といわれても応じられません。竹永氏の記述に基づく「無条件降伏」を、勝手に別な語へ書き換えてよいのかどうか。基本的に、話はこれで終わりのはずです。」と、出典から語句を加えるならまだしも、言い換えや削除を容認しない模様です。
つまり命題の通りなのですが、先方は編集過程で事件を本題とした出典を読み比べ(逆に言えば出典を限定し)、その中で背景説明に最も適した出典を選んでまとめて記事にしている。中立性を担保するために、出典を信頼することで文意語意を解せずに編集しているというのです。つまり、問題が提示された記事部分を背景説明文であるかないかを評価せず、採用した文意語意を解釈せず、出典に忠実なまとめをしたので現状文より出典に近づける方向以外は認めていないようです。ここで先方の言う正確性とは信頼する出典文からの乖離を意味します。上案もおそらく、出典からの語句削除は独自研究を載せないに違反する等の反論が予想されます。
私が背景説明文・一般説明文など事件に固有しない文章の出典は事件を取り扱った出典に限定されないと主張しても受け入れられません。私の背景・一般・などの表現が拙かったのかも知れませんが「出典は現実に表現された記事に由来するし、現実に表現された記事について合意の取れるような議論と改善を模索する」は空振り、先方の「記事は出典より作り出されるのだから、記事名を扱った出典から最適の出典を選び、出典に忠実なまとめと表現を行う」という主張と噛み合うことがありません。
草案ではありますが、出典先を良く読んで理解して記事にアウトプットするというWikipedia:引用のガイドライン/草案#執筆は自分の言葉での通りだと思います。でなければ、議論にも合意にもなりません。「実際に表現された記事に対しての出典であり、記事の妥当性や是非を論じるべき」かと思うのですが、「出典有っての記事だから、現出典を上まる新出典がなければ議事の改変不可」といわれてどう議論を進めて良いか戸惑っているのです。--Yasumi 2009年6月6日 (土) 07:34 (UTC)[返信]
安易な語句の置き換えが適切ではないというのは確かだと思うんです。「竹永氏の記述に基づく「無条件降伏」を、勝手に別な語へ書き換えてよいのかどうか」というと、安易に書き換えてはダメだけど、書き換えるべき場合もある、だと思うのですね。よくわかりませんが「全面降伏」に書き換えることは、Yasumiさんも同意されないのだと思います。ところが、ここで無条件降伏という表現のなかの「無条件」という部分に、今日の百科事典としての説明として問題が生じるということならば、「「無条件降伏」という表現を竹永が使っている」という理由だけでは、「問題が生じる」ことが妥当ならば、「無条件降伏」の語を保持する理由にはならない。もし、どうしても竹永が「無条件降伏」という表現を用いているということが重要ならば、これを「降伏」と改めることは編集者の独自の観点を推し進める改変とみなされるでしょうから、「竹永はこれを無条件降伏と表現し云々」という文章としてとりあげるか、カギカッコで囲んで引用とするということになるかと思います。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 08:50 (UTC)[返信]
Ks aka 98氏の上記指摘は一々ごもっともで。記事の文章や出典の文章を読んでも「無条件」自体に大きな意味を感じない(終戦の代名詞として使っているであろう)と思います。多くの人もそう思うでしょうという予感もあります。しかし、今まで話した感じでは先方はおそらく「無条件降伏」をただの「降伏」に置き換えるのはWikipedia:独自研究は載せないに違反すると主張することが予想されます。先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそう出典の内容や作文された記事の解釈について踏み込んだ議論を行わないようです。(--Yasumi 2009年8月13日 (木) 12:19 (UTC)本人指摘による打ち消し追加と書き換え)議論を始められる良い方法はないものでしょうか?--Yasumi 2009年6月6日 (土) 09:19 (UTC)[返信]
会話ページで声をかけてみました。EULE さんの考えも聞きたいところですので、ご覧になっていたらコメントください。なお、Yasumiさんがいらついているのはわかりますが、太字の強調など、相手を刺激する表現は控えていただければ。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 10:56 (UTC)[返信]
(インデントを戻す)この議題に関しては↑の方で、理由は「わかるはずです」としか言われなくて、噛み合わないどころか、私の意見のどこに反論しているのかも現状では掴めない状態で、もう諦めているのですが。まあ、ノート:松江騒擾事件に関してで、コメントを一応。
まず、先に言えば、今回の問題は、結局のところ1ユーザーと1ユーザーの対立に過ぎない物だと見ています。ある記述を巡って異論が出たので、その部分を記述した者が反論を行った。その上で、ZERO氏は実際に自身が用いた出典を根拠理由に挙げた。
その記事を構築した出典に、実際にそう書いてあって、主筆者が「これは書き換えるべきではない」と言うなら、私は少なくとも主筆者の言う出典に当たらないといけないと考えます。例えアウトプット上で、意味が無いように見えても、実際に、出典を読んで、そのアウトプットを書いた人間が「必要だ」と言うのだから、出典を読んでもいない人間が、その正誤を判断することはできない。また、実際の出典を証明の手段として前面に押し出すのは、これは至極正当な行為であり、ウィキペディア上で、自身の記述の正しさを証明するのにこれ以上の物は無いはずです。
Yasumi氏は、氏自身の意見が不当な物だと扱われていると勘違いしてますが、(少なくとも私は)それ単独なら構わないと思うんですよ(だから、ノートでの私の一番最初の意見などは、Ks aka 98氏と同じか近い物だったりします)。ただ、対立した時に、根拠としては弱い。何故なら、書き換え提案をすると言うことは、相手が間違っていることを証明しないといけない。つまるところ、Yasumi氏は、記述が間違っているから、正しい物に変えるって言う提案ですから。その上で、(特に提示された出典にすらあたらなかった序盤の)Yasumi氏の論調と言うのは、ZERO氏の意見を到底反論しきれるような物ではなく、とても支持できるような物ではなかった。
Yasumi氏は今回の議論に見られるように出典の優先順位と言うのを気にしていますが(それはZERO氏の方だと言われそうですが)、じゃあ、主題と直接関係の無い外部資料が、実際にしようされた出典に無条件で勝るか?といえば、そんなことは無いんですね。結局、出典の優先度と言うのはKs aka 98氏が言ったように、一概に決まるような物じゃない。だから、私の立場からは、2009年5月5日 (火) 14:18 (UTC)で言ったように、後は2人ですり合わせをお願いします。としか言えない。
とりあえず、以後は、この議題に関しては、有用な反論・意見を頂けないようなので、見るだけで、逐一書き込むことはしませんが、ただ、一点。ここ井戸端で、出典の優先順位だけで、事を解決できるような話では無いということは強調しておきます。--EULE 2009年6月6日 (土) 13:59 (UTC)[返信]

EULEさん、ありがとうございます。似たような意見を書いていながら、ぼくとEULEさんが別の立場にあるように見える理由がはっきりしたように思います。

さて、yasumiさんが、ZEROさんの言葉として「yasumiさんがご自分の目で確認されたとおり竹永氏は云々」というのを引いていますから、現時点では、yasumiさんは、典拠とされているものを確認されているのでしょう。また、出典の扱いについては、ぼく、EULEさん、おそらくはHimetvさんも同じような立場にあると思われます。つまり、ZEROさんが挙げている出典にある「無条件降伏」の部分については、その著者が特に意図的にその語を用いているのでなければ、他の信頼できる根拠を用いて適切な語に言い換えることは可能です。

出典の扱いについては、それでよいとしても、少なくとも、この井戸端での議論では、yasumiさんは「ある程度の終戦経緯を知っているため「玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない」という「事実」が存在する」と書かれていて、この事実性を疑いないものと捉えていらっしゃるようですが、ぼくの2009年6月3日 (水) 12:20 (UTC)の書き込みにある「ひとつには、玉音放送とポツダム宣言の受諾に対し」以下のところにあるように、単純に「事実」と言い得るものかどうかは明らかではなく、適切な情報源が必要な事柄だと思われます。ノートの「無条件降伏の表現を使う問題点」を見ると、辞典類や同時代的と思われる資料が挙げられていますが、「「事実」が存在する」というには、二次的な文献がないのは弱いように思います。上でciniiの検索結果へのリンクは置きましたが、そこに挙がっているもの、たとえば、無条件降伏の項目でも挙げられている藤田(2007)(PDFで読めます)などを確認し、「事実」であることの裏づけを補強するか、あるいは論争のある語句として使用を避けるということで合意をはかってみるというのがよいのではないかなと思います。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 17:58 (UTC)[返信]

まず何について議論するかという点で先方とは最初から食い違っていると思います。また無条件降伏については諸説があり無条件降伏論争であれば他で議論すべきという点については一致していると考えています。その上で表現の不適切について定義してきました。それは(現時点でノートログから合意無き削除をされていますが)当初ノート:松江騒擾事件#無条件降伏の表現を使う問題点に投稿した文の後半[3]で問題点を指摘しています。
  • 問題点1では当日の玉音放送に無条件降伏という説明が無い点を上げています。むしろ終戦の詔書を天皇が朗読した玉音放送の内容でには日本側条件であった国体の護持が得られたと書かれており、玉音放送に続く放送にも交渉経緯の説明と結果として国体護持の確保がされた内容があります。
  • 問題点2は語句としての無条件降伏の第一義に有る「全てを敵の権力に委ねた条件のない降伏」について記事本文に当て嵌まらないことを挙げています。
  • 問題点3で無条件降伏の定義を、出典及び記事本文を好意的に解釈して「敵の降伏条件を無条件で受諾する降伏」の場合に特定した場合の問題点として「無条件で受諾した説」に関しても疑問が存在するという問題点を挙げています。
  • 問題点4ではそれ以外の定義がされていた場合や竹本竹永本からの引用に特筆性がある場合は引用形態を取るべきであるという問題点を挙げています。
私は先方の執筆を尊重した上で、これら現状の記事本文の持つ内容の問題性について議論したいのですが、現出典に当たらない者は議論資格無しとか、現出典からの改変は方針違反するとの内容に踏み込む議論が回避されたままです。
EULE氏へ、「主題と直接関係の無い外部資料が、実際にしようされた出典に無条件で勝るか?といえば、そんなことは無いんですね。結局、出典の優先度と言うのはKs aka 98氏が言ったように、一概に決まるような物じゃない。」後半の一概には決まらないには同意ですが、前半について先方は「主題(松江騒擾事件)に関する出典が優先され、問題の記事本文(今回は終戦経緯や無条件降伏に関する出典)は却下されるという」優先序列を示されています。議論に入る前に、問題とした背景文に関係した出典の中から松江騒擾事件を扱っていない物を除外するという限定に大いに疑問を感じます。この議論に際してさえ、出典を制限することに対してEULE氏はZERO氏と同意見なんですか?--Yasumi 2009年6月7日 (日) 03:19 (UTC)[返信]


Ks aka 98さんから連絡を受けて参りましたが、、、、唖然としました。正直なところ「なぜ井戸端で話し合われているんでしょうか?」というのが端的な感想です、何重もの意味で。

「記事に使う出典の優先度や制限は?」・・・・約60万もの記事があるウィキペディア日本語版において、一般化した答えが井戸端で導けるはずがないです。もしもそういうものが万が一井戸端で決定なされたとして、机上の空論にしかなり得ない。「ウィキペディアのルールに従いつつ各記事やウィキプロジェクトで個々に考えるべき問題である」という結論以外に落ち着きようがないと思っています。

各記事主題において、それにまつわる資料の質や量は全く異なります(例えば、十分に学術的な研究がなされた主題であるならば情報源を「学術論文だけにする」という判断があるでしょうが、そうでない主題の場合、そうした判断は現実的ではない)。また資料の問題だけではなく、ウィキペディアにおける問題として、「記事と記事の関係」も、「それぞれが立項されている状況」も、「記事の成長の度合い」も全く違う(たとえば形式上の話として、記事「本能寺の変」が立項されていない、そうした状況下において「織田信長」のなかで「本能寺の変」について詳細に触れる、そういった事態がウィキペディアではあり得る。また別の場合として、元々親記事から分割されただけの子記事が、単独の記事として親記事を凌ぐ分量に成長することさえある)。また記事の組み方を考える上で、執筆者のウィキソロフィー(包摂主義・排他主義・削除主義といったもの)によって動く部分がある。さらにこれらの状況は固定することがなく、変化し続けます。これら幾億通の組み合わせと、それらが常時再構築され続ける現実があるのに、井戸端で一般化した答えを出そうとすること自体、わたくしは無謀なことだと考えます。各記事において、その記事内全体を現実的にまとめられる範囲において基準を決定するのが関の山でしょう。

井戸端で話される内容としての「記事に使う出典の優先度や制限とは?」について、私の意見は以上となりますが、Ks aka 98さん、こんなところでよろしいでしょうか。

さて。今までの議論の場とは全く別なところで告知もないまま、何日も前から自分の発言が話の流れから切り取られて歪められ、それを云々されることが平然となされている事態を見つけたとき、皆さんはどう思われるでしょうか。後々ちまちまと誤謬を指摘し続けるのは簡単ですが、もっと問題なのは、私がKs aka 98さんから連絡を受けるまで、それすら担保されない状態にされていたということです。こうしたやり方で発生した問題をひとつあげておきます。本議論においては、わたくしが「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」という発言をしたことにされていますが、私が本当にそういう不用意な言葉の使い方をしたのかどうか、興味のある第三者の方は検証して頂くとよいかとおもいます。あと、「〜等の反論が予想されます。先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです。議論を始められる良い方法はないものでしょうか?」って・・・・・・・相手のいない状況下の公の場で、反論予想を開陳してしまうことのまずさ(議論の存在すら知らせず、弁解の機会を与えない決めつけの披露)もありますが、ひとまずまだこの世に存在しない『予想される反論』を前提として、それに対する「良い方法」を自分で思いつかず第三者から募集せねばならなくなった時点で、議論の透明性であるとか自己の論理性であるとか、まわりを納得させるための大切なものを自ら捨ててしまっているような気がするのですが・・・という批判をせざるを得ないんですが、こういう事態になることは「予想」できなかったんでしょうか。--ZERO 2009年6月9日 (火) 03:51 (UTC)[返信]

ZERO氏が言う具体的議論が何に当たるのか分かりませんが、オープンな場で話されては困ることがあったでしょうか?私も何日も前から自分の発言が話の流れから切り取られて歪められ、それを云々されることが目の前で平然となされ、自己主張でない意見を理由に多数決に掛けられるような仕打ちを受けたばかりです。
ZERO氏のような議論の手練れにはとても敵いませんが、はぐらかさせ続けていた議論がどうやったら進むのか伺うために立項したのがここです。まあ、総論としては具体的に記事を読解して読者の便宜をはかる方向で考えれば議論が合意に至れるのではないかという点では一致しているように思えます。
議論をされていると言われましたが、具体的にノート:松江騒擾事件で記事の内容に対しての議論をしたいのですが、はぐらかされてばかりですし、かなり踏み込んだつもりの発言もノート:松江騒擾事件#無条件降伏の表現を使う問題点に投稿した文の後半[4]が削除を受けて現在に至っています。いい加減、ZERO氏の文責で書かれた記事の問題点について議論をしたいものです。--Yasumi 2009年6月10日 (水) 05:57 (UTC)[返信]
井戸端で発生した固有の問題から順に話します。
仮に、自分の意見を相手が歪めていたとします。双方の議論上(目の前で)でなされたならば、都合に応じて修正を求めることは簡単ですし、私は今までそうしてきましたし、この発言自体もその一形式です。ただ、もしもyasumiさん、改めYasumiさんが「目の前でされる」ことさえも許せないなら、「相手のいないところ」でそれをすることなど、絶対できないはずではないですか?
ましてや相手のいる場所であっても、相手の出方を「予想」してそれに対応する「良い方法」を募集したりしたことは、今まで見たことがありません。当否はともかく「予想」ができて、それに対する「良い方法」が自分で思いつかない。それならもう、しょうがないじゃないですか。結果が納得できないからといって、相手の意見のどこかに自分の見いだせない間違いがあると考えるのは、理屈としておかしいです。
次に、荒らしや個人攻撃でないのなら、個人の発言を同意なく削除してしまうのは極めてまずい。もしそれが事実なら、削除を差し戻して良いと思います。しかし、自分が不利益を被ったことを理由に、別の人間に不利益をかけてよい理由にはならない。わたしもKs aka 98さんも、実際に会話ページや議論の場に告知を出しても、何ら削除されたりすることはありませんでしたが。
井戸端で話されて困る理由なら沢山あります。その1、今までの議論参加者・閲覧者を置いてけぼりにすること。その2、議論の場を変えることで、いままでの議論蓄積を無視されてしまうこと。その3、その結果として、論点の拡散や双方の話の流れが齟齬をきたす可能性があること。その4、実際そういう問題が起きたこと。端的に示せば「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」太字で強調されてるんですが、私がこの発言をしたのはいつですか?・・・・という質問すら、こういう発言がなされていることすら知らされない状態だったんですけれども、そういう問題は起きてよいと?
「はぐらかされてばかりです」と言われても、私からすればYasumiさんが論点も提案も変え続けているように見える。論点を変えていっているのだから「議論がかみ合わない」のは当たり前です。先に指摘した部分も含め、この井戸端の議論上に限っても反論を加えたい箇所が沢山あるんですが、井戸端でやってもいいものでしょうか。それをやると、どうしてもWikipedia一般の話からは乖離して個別記事の話になっていくんですけれども。
  • ひとまず、「記事に使う出典の優先度や制限とは?」の特有の問題として、Yasumiさんが当然の前提としていままで扱ってきた「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです」これだけでもひとまず、説明していただけますか。「文責で書かれた記事の問題点」の話をするにしろ、いままで井戸端の話のなかで私のいないときに、私が言ったこととして扱われてきたわけですから、大事な点です。これはどういうことなのか、Yasumiさんに説明をお願いします。
  • せっかくお呼びいただいたので、Ks aka 98さんの話された(ある語が)重要なのか・強い意味なのか、という点について、不特定多数に話をふってみます。これならある程度は広がりのある話になりそうですけれど、それはいったい、「誰からみて」でしょうか。もちろん先に話したように、「最終的に一般化した答えは出ない」ことがわかったうえでの話です。--ZERO 2009年6月12日 (金) 15:35 (UTC)[返信]
よく分かりませんが、ZERO氏が私を許さないと言いたいのですか?ここはあくまでもZERO氏の文責で書かれた記事の内容について議論をはぐらかされている現状から、持ち出されたルールや優先度に関する問い合わせや話し合いに応じて貰うアドバイスに関して対話が為されており、松江騒擾事件のノート議論自体を進めているわけではありません。
また、問題文に関してのアドバイスを聞くことも出来ました。これらもZERO氏が書いた文章について議論をしてくれれば生かされることでしょう。また、これこそ話が歪められていると思うのですが、ここで私が反論を募集しているわけでもないのに反論を募集するかのような解釈をされて心外です。議論の上手とはこういうことを指すのでしょうかね。
「私がZERO氏が中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないと発言をした」との前提で話されていますが、どこでの発言でしょうか?態度に関してならば無条件降伏の語義や文意の照会に対して「出典の通り書いた」と定義をはぐらかされた回答しか貰えてい無いことと、こちらの理解とZERO氏の修正から主張併記をした部分の内容が元となっています。仮に違うのであれば早速文責者たるZERO氏より文中の無条件降伏の定義や文意を解釈していただき、ZERO氏が無視続けられている私の5/30の問題点投稿について議論を再開していただきたいものです。--Yasumi 2009年6月15日 (月) 11:40 (UTC)[返信]
  • 「出典の通り書いた」と定義をはぐらかされた回答
  • ZERO氏の修正から主張併記をした部分の内容
具体的にはどの部分ですか。全文引用しなくても良いので、日時だけでも良いので教えて下さい。私が「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」なんて言い方をするはずがないんですけれども。
仮に違うのであれば」と書いておられるけど、そんなに簡単に違っちゃダメでしょう。私はひとまず同意するに至っていませんが、Yasumiさんの一連の主張によれば「文責は当然編集者に起因する」。「先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです」(6月6日 (土) 09:19 (UTC))と書いたのはYasumiさんですから、私はこの一文の『文責者』たるYasumiさんに問い合わせているのです。ご自身の今までの主張が正しいなら「仮に違うのであれば」などと「自己文責」を放棄せず、ちゃんと解釈して下さい。その他の点についてはまた後日。--ZERO 2009年6月15日 (月) 17:18 (UTC)[返信]
「そんなに簡単に違っちゃダメでしょう。」いえ、本人による明快な具体的訂正や見解表明であれば前提は変わり私の認識問題は解消します。つまり私を疲弊させるためでない限り、全然ダメではないのです。--Yasumi 2009年6月18日 (木) 11:46 (UTC)[返信]
時間が出来たので私の認識について、追記します。「先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです。」という私のZERO氏に対する認識は私の「ZERO氏が作文した現状の該当記事とZERO氏が読解した出典文に於いて、記事文責者として無条件降伏をどのような意味として捉え、読者に読ませるべく書いたのか?」という照会に対して一貫して説明を果たしていないという点が基礎となっています。
個別に言えば--ZERO 2009年5月4日 (月) 12:52 (UTC)で私の質問(2について)「終戦の説明語句を松江騒擾事件の著述に依存あるいは制限しなければならないのか理由が分かりません。」に対して「文章を書いたときの出典に基づくべき、というそれだけの話です(情報源に書かれていないことは書けない)。読んだ人がいかに「あやふやな語句」「中立的ではない」と感じようとも、本文にそう書かれている以上は仕方のないことです。また、松江騒擾事件との関係が不明確な情報源をこの記事に持ち込む道理はないでしょう。それをもって記入したとしても「この事件に関係ない、だから削りなさい」といわれたら、削らざるを得なくなる。」との回答であり、また「ZERO氏の主張「(現在の文章は固有事象の説明であるので)(竹永氏が書いた内容に基づくので)この事件を著述した竹本竹永氏の背景説明に従う必要がある。逆に言えば、事件を主体的に記述していない者の記述を採用する根拠はない」(←Yasumiの認識ですので誤解の可能性もあります)(2009年5月5日 (火) 11:37 (UTC)修正、ZERO氏2009年5月4日 (月) 03:52 (UTC)コメントに基づき)」との修正済みまとめであるわけです。
結局の所、ZERO氏が論点とした記事の内容に踏み込むことを避け、出典読了を議論参加資格としたり、独自序列に従って出典制限を設けたりと、「事実」や「意見としての事実」に触れることなく、「竹本竹永本のような記事」にしている点で、それが読者の役に立つ者であるのかどうか共同執筆者同士の俎上に挙げていないことが非常に不審なのです。--Yasumi 2009年6月25日 (木) 12:02 (UTC)[返信]

記述について提案

[編集]

さて、ZEROさんは、「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」という意見ではなく、「ウィキペディアのルールに従いつつ各記事やウィキプロジェクトで個々に考えるべき問題である」と捉えているということでご理解いただけているように思います。

Yasumiさんは「無条件降伏」については諸説があり無条件降伏論争であれば他で議論すべきという点についてご理解いただけているように思います。また、当該資料を既に読まれています。

互いの振る舞いやノートのインクルードは、ここでの主題とは異なります。それらについて何か二人で話をしたいのであれば、会話ページやコメント依頼などでお願いします。相手のコメントの不備をいちいち指摘しなければ話ができないのであれば、好きにしてください。記述を適切なものとするため、あるいは方針類の理解についての合意に向かうことを考えましょう。

松江騒擾事件#日本の終戦から事件発生まで第一文「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた。」の部分について考えます。

松江騒擾事件#日本の終戦から事件発生まで第一文は、記事中の位置づけとしては、事件の発生に至る経緯の説明の最初の部分として、国、県、地区のレベルで、降伏なり終戦なりが、どのように伝えられたかを解説するなかの、一番最初のところに置かれています。

ここの文章は、主に島根あるいは松江における終戦の情報の報道と受容という事柄について、竹永による取捨選択はあるものの、基本的には歴史的な事実を伝えているもの、事実を伝えようとしているものと受け取られます。このような場面では、基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出し、表現として適切なものを用いるのがよいと考えます。つまり、竹永に完全に依拠するのではなく、たとえば、竹永以外に、島根あるいは松江における終戦の情報の報道と受容についての情報が得られるなら、それは加筆されるべきでしょう。

Ks aka 98の理解では、

  • 玉音放送は戦争終結ニ関スル詔書を放送したもので、天皇が共同宣言すなわちポツダム宣言を受諾することを表明している。
  • 詔書では「降伏」あるいは「無条件降伏」という言葉は用いられていない。
  • ポツダム宣言においては、軍隊の無条件降伏が明記されているが、政府あるいは国体の無条件降伏は明記されていない。

となりますが、そこに間違いはないでしょうか。

無条件降伏という表現をめぐる論争の論点は複数あり、「有条件降伏を無条件に受け入れる」ことを「無条件降伏」とするかどうか、また「無条件降伏」と書くことで「有条件降伏を無条件に受け入れる」と読者が受け取るかどうか、カイロ宣言からポツダム宣言にかけての条件の変更をどう解するか、ルーズベルトほか連合国側の見解や認識をどの程度重視するかどうか、といったもののようです。論争は、(かつて?)具体的に論争としても存在し、また現在もいずれかの表現にこだわる方もいらっしゃるようです。

「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた。」ということについては、およそ異論がなく、「ポツダム宣言の受諾」を「無条件降伏」とするかどうかには論争がある。ポツダム宣言の受諾を無条件降伏とすることは、比較的よく目にするものですし、政府見解でもありますが、この文脈で「無条件降伏」の語を用いないことが、中立的ではないとまでとは言えないように思います。この部分は、異論があるかもしれません。

次いで、記事のノートを参照すると

  • 松江騒擾事件の当該記述近辺は、主に竹永 (2005) を参考としている。
  • 竹永の記述は「昭和二十年(一九四五)八月十五日正午、ポツダム宣言の受諾による無条件降伏が、天皇の「玉音放送」によって国民に伝えられた」である(『島根県の歴史 県史32』)。
  • 竹永は、上記の文ほかを受けて「こうした敗戦直後の政治的激動」と続けている。

資料の記述についてはyasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)によりますが、このような記述があることについては、異論がないように受け取りました。

竹永の書いた「ポツダム宣言の受諾による無条件降伏が、天皇の「玉音放送」によって国民に伝えられた」は、記事では「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた。」となっていますが、語順の入れ替えと「天皇の」の除去があるのみで、本質的に意味は変わっていないと思われます。「天皇の」の有無は、「玉音放送」が天皇によるものであるという知識を読者が持っているとみなすかどうかで考えるべきことであると思います。

竹永が意図的に「無条件降伏」という語を用いたかどうかについては、yasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)にある竹永の引用を見る限りでは、「無条件降伏」の表現を抜きにしても、後の「こうした敗戦直後の政治的激動」と受けることはできるように思います。

そこで、(竹永の見解としてではなく)竹永を情報源として、当時の背景となる事実を選択・抽出し、それら事実の記述に努めるという作業としては、「無条件降伏」の語を避けることはできると思います。

ただし、

  • 竹永の関心は、Ciniiを見る限りでは、基本的には近現代地域史、民衆史にあり、政治や国際法にあるわけではないようですから、おそらく「無条件降伏」の語に強い意味を持たせて使っているのではないのではないかと推察しますが、引用部以外の文章を見て「無条件降伏」としなければならないという理由があるかもしれません。
  • また、2009年4月30日 (木) 03:01 (UTC)あたりを見ると、猪瀬直樹「恩赦のいたずら」の記述は、竹永よりもいくらか「無条件降伏」について重視しなければならない要素がありそうです。
  • 他方、yasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)に挙げられた騒擾を描く他の資料では、特に「無条件降伏」に言及されているわけではない。

といったところは考慮する必要があるでしょう。

島根における玉音放送の前後に放送局の発言として「無条件降伏」という表現が用いられていた、あるいは当時玉音放送が無条件降伏を伝えるものであったとする解説があったというような場合なら、今の文章を改めて、情報を加筆することになるでしょう。

竹永や猪瀬を情報源として、事件関係者がどのように受け止めていたか、という部分で、「無条件降伏」という表現が必要となるならば、書かれるべき場所や、記述の仕方は変える必要があると思います。理想的には、関係者の日記など一次資料を確認する、あるいはそれに基づく記述を探すということになりますが、これは困難かもしれません。

以上のような理由で、たとえば「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による日本の降伏が国民に伝えられた。」というように改めるということを提案したいと思いますが、いかがでしょう。「日本の降伏」の表現が適切ではないということであれば、ほかの表現でもよいです。ここでは、玉音放送の記述に従いました。松江騒擾事件#玉音放送の記述からは、「敗戦」がよいのかもしれません。

どんなもんでしょ。--Ks aka 98 2009年6月16日 (火) 10:03 (UTC)[返信]

何故「記事に使う出典の優先度や制限とは?」内でこの話を?その提案は松江騒擾事件のノートでせにゃ。

ちなみに玉音放送で伝えられたのは「終戦の詔書」で、内容もポツダム宣言の受諾と新時代のための戦時体制の終了(終戦)。あの文章の流れだったら「1945年(昭和20年)8月15日の正午、終戦の詔書(ポツダム宣言の受諾と終戦)が玉音放送によってラジオの前の臣民に伝えられた。」の方がいい。そうするとその後の「同月16日付『島根新聞』社説では、これを「休戦の詔勅」と伝えた。」が映えるかもだぜ。--119.150.8.2 2009年6月17日 (水) 11:44 (UTC)[返信]

記事に関する最終的な議論はノート:松江騒擾事件で決定されるものと思っていますが、今回の場合は特にZERO氏の応対についての打診に於いて、意義がありそうです。その打診としてのKs aka 98氏の提案内容について、私は賛成いたします。なお、日本の降伏にリンクを張れば更に良いと思います。また、言外になりますが、出典の付け方は現状を維持する前提と認識しています。
さて以下、提案内容の補足をします。Ks aka 98氏の理解に対する3点(詔書とポツダム宣言の内容)の事実照会について間違いないものと考えます。また、現在の出典となっている本の事件の項目は約4ページ半の記述ですが、無条件降伏の語は冒頭のみの一箇所で採用されており、その他は引用を除いて敗戦・降伏などの語が使用されています。更に、玉音放送の前後に付随放送された終戦関連ニュースなどの内容については、ニュース原稿より無条件降伏の語句は見られないことを確認しています。逆に終戦の詔書文内の「国体ヲ護持シ得テ」に代表され、かつ終戦関連ニュースでも条件付き受諾(君主統治権に変更なきこと)とバーンズ回答の内容などの交渉経緯の解説があり、その後に「国体護持の一線を確保」とのニュースがラジオ放送されたとのことです。--Yasumi 2009年6月18日 (木) 11:46 (UTC)[返信]
非常に明快な論理廻しと建設的な今回の提案だったと思っています。しかしZERO氏は不在なのか無視しているのか全く反応がありません。もともと、同様な提案は「出典通りでない」という理由で却下済みのようですが、今回はどうでしょう?
Ks aka 98氏に於いては、せっかくの提案を今後はノートへの転載を含めて検討して頂きたく思います。--Yasumi 2009年6月25日 (木) 12:02 (UTC)[返信]
もうしわけないですね。ちょっと月末の6/30まで相当立て込んでおります。Ks aka 98さんへのお返事をまとめておりましたが、結局ノートで既に話した部分とかなり重なる点が多いので、失礼ながら部分部分を端折って話をします。
『当時の背景となる事実を選択・抽出し、それら事実の記述に努める』(基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出し)という言い方をもって「無条件」の部分を外す、ということなら、それはまずいことだと思います。そこには『「無条件降伏」は、「著者の見解」であって「事実」ではない』という判断が働いている。「どんな『事実』も、誰かの『見解』のひとつである」という話はノートで既にしたつもりです。言い換えるならKs aka 98さんが、『事実』と『著者の見解』を、どんな基準をもって切り分けて話したのか、そのあたりを明確にしていただけるとありがたいです。論点として立ち上がった以上は、『誰が』語った「事実」なのかということを示しながら話をしないと、結局ウィキペディアのルールでシャットアウトされてしまう結果になるでしょう。--ZERO 2009年6月25日 (木) 14:31 (UTC)[返信]
あわてる必要のないものと思いますので、急がずともよいと思います。とても難しいものを問われてしまったので、どういう水準での説明がよいのか考えあぐねていますので、こちらの返答も多少時間がかかるかもしれません。--Ks aka 98 2009年6月27日 (土) 09:11 (UTC)[返信]
例えば、私は該当記事を読解するに於いてWikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなWikipedia:信頼できる情報源で定義されているところの「事実」と「意見」に関して、「ポツダム宣言が受諾されたこと」「玉音放送は天皇による放送であったこと」「玉音放送で無条件降伏とは伝えられていなかったこと」は『事実』であり、「無条件降伏」は竹永本を出典とする『意見の事実』であるとの認識から、出典より該当記事に「天皇」が省略されたり、同じく「無条件」または「による無条件降伏」を省略しても、読者に事実を伝える重要性と出典内容から妥当な編集であると認識するわけです。
翻ってZERO氏は出典を読解し、出典の「内容」を記事に転換したハズであるのに、今までの主張は編集過程の方法論に触れるばかりであって「内容」に関する議論、つまり出典を読解した内容や該当記事文を読解した内容について殆ど触れていませんよね?今回であれば出典から「天皇」を省略し語順を改変したときに前段落で私が記事や出典の読解を表明したのと違って全く「内容」についての表明がない。チラシの活字を切り張りして作られた脅迫状はチラシの「内容」を再現しているのでしょうか?ZERO氏の実施した編集は、どのような「内容」に於いて「天皇」省略や語順入れ替えが出展の内容を記事に反映しているのか、「無条件」または同じく「無条件」または「による無条件降伏」を省略することがどのように出典の内容を損ねるのか?説明して頂きたく思います。
可能性として、私は貴方の共同執筆者であり、貴方は私の共同執筆者であるわけですが、我々は記事内容に関しての議論が可能なはずですが、何故記事内容の照会を回避して別の為されるのでしょうか?質問をはぐらかすことが議論の巧妙さなのかも知れませんが、私にはWikipedia:中立的な観点に関連しての対話を拒否されているようにも思えるのです。
「どんな『事実』も、誰かの『見解』のひとつである」という主張はWikipedia:中立的な観点#客観的な視点など存在しないという批判に類似しているように思え、今回で言えばZERO氏が例え話で出したように提案文の「降伏」に対して「降伏でない」という見解があり得るのかも知れませんが、それを本気でZERO氏が主張し得るのですか?そのような主張をするのであればそこから対立と議論が始まると思うのですが、今のところそのような認識をされていませんよね?該当記事は無条件降伏説を前提とした解釈をしないと成立しない、あるいは理解できない文になっていると思うのですが、何時になったら記事の内容について議論頂けるのでしょうか?--Yasumi 2009年6月27日 (土) 02:15 (UTC)[返信]
記事の内容の話をしたいならノートへ。yasumiさんがここで示している方針の理解あるいは解釈などに関係しないZEROさんの振る舞いについては会話ページへどうぞ。--Ks aka 98 2009年6月27日 (土) 09:11 (UTC)[返信]
このサブジェクトの当初の内容から話が大きく広がりすぎているように思います。当初お話されていた編集方針の話に絞るべきかもしれません。--Himetv 2009年6月30日 (火) 09:45 (UTC)[返信]
そうですね、具体的な問題を起点にいろいろ引用していたので話が混在化してしまいましたが、編集方針の理解・解釈などに関係する話、及びそれらを受けた記事を成立させるための議論の仕方などについて、引き続きご意見を頂ければと思います。--Yasumi 2009年7月1日 (水) 11:00 (UTC)[返信]
ちょっとずつ時間が取れるようになりました。
Ks aka 98さんへ。「記事の内容の話をしたいならノートへ」という言い方をされてしまうと、元も子もないような気がします。この提案自体がすでに「記事の内容の話」になっているし、6月16日 (火) 10:03 (UTC)の提案にもまだ意見を加えたいところはありますが、どうやっても個別記事の内容と関わっての話になってしまうので、わたくしとしてはどうにも議論を進めようがないのです。『ウィキペディアのルールを守りつつ、各ページで状況を判断して考えること』以上に話が進展しようがないと思います。
あえて「記事の内容の話」をしないで、何か追加して言及するなら、注意すべきは『読者』という概念です。今回の議論に限らず、『Wikipediaにおける読者』の方向性って、根本的に真っ向から衝突しうるものです。そこを考慮しないで『(読者にとって)強い意味かどうか』とか『必要性/重要性』とか『読者の便宜』を語ってもしょうがないと思います。このあたりは前にも僅かに触れましたが、もう少し説明が必要でしょうか。--ZERO 2009年7月3日 (金) 04:41 (UTC)[返信]

以下、ZEROさんあてです。 まず、「記事の内容の話をしたいなら」云々はYasumiさんの 2009年6月27日 (土) 02:15 (UTC)宛と受け取ってください。

「記述について提案」以下で書いているのは、示されている資料をどう読むのが百科事典を執筆する上で自然か、というようなことで、ぼく自身が「無条件降伏」と書きたいかどうか、より多くの資料を参照した上で「無条件降伏」と書くべき、あるいは書くべきではないという意見を述べようとしているわけではありません。たくさんの留保を付けているのは、そのため、です。

編集履歴やノートでの議論・対話の経緯を見ると、「無条件降伏」から「無条件」を除去する上での手順や資料の明示、あるいは情報の共有が不十分だったための対立もあったように見えます。ZEROさんは、松江騒擾事件について、多くの資料を確認されているでしょう。Yasumiさんは、ポツダム宣言や玉音放送についてお詳しいようです。そして、今論点となっている記述は、それぞれの事柄に関係するものです。ぼくは、島根県史も日本近代史もそれほど詳しいわけではなくて、井戸端で方針の捉え方などについての話題に参加しているものですから、玉音放送だとか松江騒擾事件に関することについて、ここや記事・そのノートなどで示されていないけれど、当然知っておくべきことを知らない可能性もあります。

そこで、今の段階で示されている資料などから、いくつかの点で、こういう理由で異なる見解があることは踏まえているということも示したうえで、自然に百科事典の執筆ということで考えるなら、ぼくとしてはこう考える、ということを書いてみました。

ぼくの論旨の進め方のなかで、ZEROさんにとって受け入れがたいところがどこのポイントか、というところを示していただけたらと思うのです。「実はこういう資料もあって…」ということがあるならば、今の時点で指摘していただければ、改めることはできます。それを踏まえて、仕切りなおしということになりますけれど。ただ、どちらかというと、ここのところで、方針上、こうあるべきなので、ぼくの結論とは異なる、という指摘をしていただけるのが望ましいと考えます。上で書いたように、ノートは逐次的にレスするものですから、ZEROさんの意見の主眼が十分捉えにくいところもあり、またYasumiさんの要約の偏りも指摘されているところなので、ZEROさん自身による指摘をいただいたところで(繰り返しになるのであれば、ノートでの発言の日時を指定するなどの方法でも構いません)、方針の話、つまりは「ウィキペディアのルールを守りつつ」という時に、守るべきルール、あるいはその解釈のすりあわせができればいいなと思っています(ずいぶん迂回してしまったなあと思いつつ)。

事実とか見解とか言う言葉を、あらためて定義するのは、とても難しいのですが、自分なりに説明すると、ここでは次のように使っているということになりそうです。

  • 「事実に属する事柄」というのは、理想的には一意的に定まるものを指します。たとえば、歴史的な出来事や、数学的な演算で導かれることは事実に属します。
  • 事実に属する事柄については、客観的に検証しうる多くの資料があり、論理的な思考によって矛盾なくひとつの像を結ぶのであれば、「事実」とみなしうるでしょう。どのような観点から、どのような資料を用いても、同じ結論を得ることができるものを「事実」と呼びます。
  • 事実に属するもののうち、十分資料が得られないものや、その扱いや読み方などの周辺的なところで曖昧な点が残っているもの、あるいは複数の論理的な道筋があるような場合はあるでしょう。記録というものへの意識や、記録・保存技術の状態、その題材の重要さなどから、過去のものの多くは、実際には事実と言い切れるものではないでしょう。
  • ある程度の資料と思考の後に、到達した意見を「見解」と呼びましょう。ここでは、その資料を確認し、思考した主体が誰かという事が重要です。
  • 事実に属する事柄であれば、見解が一致しているなら、事実と呼べるものもあると思います。他方、「事実に属する事柄」ではないものについての見解というのもあります。たとえばある作品についての評価や、ある文章をどう読み取るか、といったものは、一意的には定まりません。
  • 「認識」というものもあります。これは主観的な知覚によるもので、曜日を間違えて思い込んでいたというような場合は、誤りなんだけど、その人にとっては、事実と認識される。この場合は、「誰が」そう認識していたかというように、主体を示す必要があります。

「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」ということについては、議論参加者にとって見解の相違のない事実と言えるのではないかと思っています。対して、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」ということは、上で書いたような意味での事実ではない、といえると思うのです。まずは、そこのところをZEROさんがどう思っているか、というところを確認しておきたいと思ってます。--Ks aka 98 2009年7月5日 (日) 07:38 (UTC)[返信]

そこのところをZEROさんがどう思っているか」というのと「ZEROさんにとって受け入れがたいところがどこのポイントか」というのを、同時にお答えする形になりますけれども、よろしいでしょうか。Wikipedia:検証可能性の面から考えていった場合、「事実」を「情報源ー書き手」から切り離された形で語ろうとする、ということ自体が、いろんな問題のもとだと考えています。ウィキペディアンのいう「事実」というのは、第三者から見た場合、それ単体では「事実」かどうかもわからない、ネット上のいち発言でしかありません。「記事の文面をどうするか」という話をしている限りにおいて、少なくとも『自分のいう「事実」はこの出典に基づきますよ』という言い方をしながら話を進めないと、情報源の提示を求められたときに、黙るしかなくなります。ですから「〜ということについては、議論参加者にとって見解の相違のない事実と言えるのではないか」と聞かれましたけれども、いずれにしても、情報源は何に基づいたうえでの「事実」か、ということを明らかにしながら、話をしていただきたいのです。そのままでは、「そういう書き方をしている情報源もあるでしょうし、そうでないものもあるでしょうね」というような答え方しかできません。
もう1点ほど。Ks aka 98さんのいわれる「事実」「見解」の定義自体に、一部無理な点が残されていると思います。そのままKs aka 98さんの定義を使うと、おそらく「事実」と言えるものが消え去ってしまうか、もしくはそれに基づいた「そこのところ」が崩れてしまう。まず、6月16日 (火) 10:03 (UTC)→6月25日 (木) 14:31 (UTC)の流れと同様ですが、竹永氏が「歴史的な出来事」を描いていないのか?と聞かれれば、そんなはずはないわけですし、少なくとも、『Wikipedianの議論参加者』が考えるよりは、よほど信頼できる書き方をされているでしょう。
  • 曜日を間違えて思い込んでいたというような場合は、誤りなんだけど、その人にとっては、事実と認識される
ここはKs aka 98さんの定義に同意できる部分でもありますし、私もこの構造は重要な部分であると思っています。この例えをそのまま使わせていただいて、もうひとつ私が付け加えるなら、「曜日を間違えている、誤りだ」という指摘自体が、「事実と認識している『その人』」にとっては「(まぎれもなく)誤った指摘」であるということです。ー『どのような観点から、どのような資料を用いても、同じ結論を得ることができるものを「事実」と呼びます。』これは、たぶん無理です。少なくとも「観点」と「資料」をかなり限定しないと、成り立ちません。たとえば、「右僕射源朝臣」という一文を読んで「徳川家康を討つための呪いの言葉だ」という論理展開をした学者がいたし、科学を前提とせず進化論を否定し、聖書を前提として理論の筋道を立てたID論がある。そして『休戦の詔勅』を信じず「あれは天皇の意志ではない」とした人々がいます。例示された主張そのものの正誤がいいたいのではありませんので念のため。要はどんな資料にも「複数の論理的な道筋」があるということです。そこまで考えていくと、Ks aka 98さんのいう「事実」というものが、無くなってしまうか、もしくは他の部分と矛盾するかしてしまうんではないでしょうか。
Ks aka 98さんのいわれる「百科事典を執筆する上で自然」という部分が、誰しも・どんな記事でも同じであるなら楽なんですけれど、同じルールの下でも、執筆者や記事によって「自然」とする部分が違うから議論になっているんだろう、と思います。6月9日 (火) 03:51 (UTC)でも一部述べましたが、私やKs aka 98さんの言われるものと、全く異なる理屈で記事を書き上げていらっしゃる方などいくらでもいるでしょう。私は「百科事典を執筆する上で自然」ということがどういうことになるのか、ということについては、井戸端で一般的な答えを導き出すのは難しいと思います。--ZERO 2009年7月9日 (木) 06:10 (UTC)[返信]

いくらかでも資料を確認しようとして遅くなりました。すみません。ここに割り込みます。

はい(ZEROさんの2009年7月9日 (木) 06:10 (UTC)への返答となります。)。「どのような観点から、どのような資料を用いても、同じ結論を得ることができるものを「事実」と呼びます。」というところを、突き詰めてしまうと、そうとう多くのものが「無理」になります。

「曜日を間違えている、誤りだ」という指摘自体が、「事実と認識している『その人』」にとっては「(まぎれもなく)誤った指摘」である」というのは、その二者に限れば、その通りです。しかし、多くの場合、話題となっている日の曜日というものは、複数の人に拠って検証しうる複数の情報源が存在します。指摘をした人と指摘をされた人が一緒に、その日の新聞を見れば、どっちが「事実」なのかを確定することができます。

もちろん、間違えていると言われた人が正しく、新聞を含めて、その人以外の全員が間違っているという可能性はあるかもしれません。間違えていると言われた人は、そのように言い張ることはできます。

ウィキペディアが「信頼できる」情報源を求め、「中立的な観点」という方針を持つのは、そのため、なのでしょう。

ZEROさんが「たとえば、」以下で挙げている例についても、同じようなことがいえるでしょう。「どんな資料にも「複数の論理的な道筋」がある」としても、その前提や結論への評価によって、その重要さは異なります。

事実に属するもののうち、十分資料が得られないものや、その扱いや読み方などの周辺的なところで曖昧な点が残っているもの、あるいは複数の論理的な道筋があるような場合はあるでしょう。記録というものへの意識や、記録・保存技術の状態、その題材の重要さなどから、過去のものの多くは、実際には事実と言い切れるものではないでしょう。

と、ぼくは書きました。近世以前の出来事では、そのほとんどは、事実に属することがらだとしても、「事実」ではなくて、「いつごろ書かれたと別の資料に書かれている、なんとかという資料には、こう書いてある」というような情報の積み重ねで、かなりの程度共通している「見解」に過ぎないでしょう。

そういうときには、複数の見解をその重要さに応じて併記する、ほとんどの人に支持されないならば書かない、というのが、ウィキペディアのやり方、というわけです。もし、その主張があったことが百科事典の記述として意味があるなら「だれそれは2009年の7月16日は日曜日だと主張する」ということは書ける。

検証可能性の方針からは、「事実」は「情報源」に依存せざるをえませんが、その「情報源」の見解にのみ拠ってたつことを求めるものではありません。複数の「情報源」を参照し、その情報源が根拠とする資料を確認し(これもまた別の「情報源」となります)、論理立てを追い(あきらかな矛盾があるならば、それは「信頼できる情報源」ではありません)、資料自体への評価となる資料を確認するなど、ウィキペディアの編集者が検証していくことで、その範囲において一般化した「事実と呼べるもの」とすることが望ましい。

化学の教科書を情報源とするのであれば、その記述のみを根拠として「事実」に近いものとして断定的に記述することもできるでしょう。それでも、複数の教科書を参照し、あるいは、原著論文や追試を行った論文などを確認するに越したことはない。

『自分のいう「事実」はこの出典に基づきますよ』といわなければならないというのは、その通りです。「無条件降伏」から「無条件」を除去する上での手順や資料の明示、あるいは情報の共有が不十分だったための対立という面があったことについては、既に示唆しています。

『自分のいう「事実」はこの出典に基づきますよ』というのが、編集者それぞれの出典の違いや、読解の違いによって「事実」が異なる場合もあります。ぼくの使う言葉で言えば、このように意見の対立(ウィキペディア外部での、いわゆる学説上の対立もあれば、ウィキペディアン同士の理解の違いによる対立もるでしょう)があった場合は、それを「事実」とは呼ばない。しかし、その「事実」とされているものを、分割したり、条件付けしたりすることで、「事実」と「意見」を分離することは可能でしょう。

「たとえば」以下の例にある「『休戦の詔勅』を信じず「あれは天皇の意志ではない」とした人々がいます。」というところでいうと、「終戦の詔書」というものが発布(用語法違ったらすみません)されたこと自体は事実に属します。草案作成から玉音盤吹き込みまでの過程を追うことは、ある程度可能と思われますし、偽造だという話ではないですよね。「天皇の意志」かどうかというのは、どこまでいっても「見解」です。「これこれという人たちは、あれは天皇の意志ではないとして終戦の詔書を信じなかった」と書くことはできる。

さて、話を騒擾事件の記述に沿わせることにします。

yasumiさんが最初に(2009年6月2日 (火) 11:56 (UTC))井戸端で問いかけたことで、後にQoopさんが引用した「(松江騒擾事件の記事において)信頼できる情報源として相対的に優先されるべきは、「松江騒擾事件を中心に取り扱っているもの」であって、「玉音放送」や「日本の降伏」を中心に取り扱っているものではありません」というZEROさんの意見があり、これが井戸端での議論の主題だと、ぼくは認識しています。

上記のZEROさんの意見は、方針の扱いそのものについての議論の中で述べられたものではありませんし、相手の主張に応じて強調する場所が異なることは理解します。

「8月15日に玉音放送があった」ということには、ZEROさんやyasumiさんらウィキペディアンだけではなく、竹永ら歴史の研究者も含めて、ほぼ異論がないでしょう。玉音放送は、終戦の詔書を読み上げたものだということも、同じく、ほぼ異論がないでしょう。終戦の詔書には、ポツダム宣言の受諾という内容を含むということも同じ。ポツダム宣言に書かれている文言についても同様。「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」ということは、事実と言えるでしょう(ノートでの議論なら、ここで情報源を示すべきでしょうが、ここでは「事実」という用語や方針の扱いなどの議論であるとして、省略させてください)。

意見が異なるのは、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」かどうか、です。今回の対立は、ここで生じました。

ポツダム宣言は、比較的容易にその内容を知る事ができます。「ポツダム宣言には日本軍の無条件降伏が書かれているけれど、日本の無条件降伏は示されていない、ということは、事実といえるでしょう。終戦の詔書では、共同宣言の受諾を述べてはいるけれど、「日本は無条件降伏する」とか、「朕は共同宣言の受諾をもって無条件降伏と解する」とかは述べていません。これらのことは、松江騒擾事件とは関係なく、判断できるものです。

「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」というのは、先に述べたぼくの定義で言うと、「事実に属するもの」ではない。これは、人によって見解が異なる類のもので、現に論争が生じているものです(論争の概要については、以下で簡単に書いておきます。付け焼刃ですが、いくつか資料を参照しました)。

もっとも、松江騒擾事件とのかかわりの中で、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」が重要になってくるかもしれません。

たとえば、松江騒擾事件の背景として玉音放送があったことが重要なのか、それとも戦争が終わるということが重要なのであって、ことさらに玉音放送が重要だったというわけではないのか、というような判断は、松江騒擾事件を主に扱った情報源でなされるべきでしょう。あるいは、玉音放送直後の松江においては何らかの事情で「無条件降伏」という理解がなされたのかもしれません。そのような事情がある場合は、「松江においてポツダム宣言の受諾が無条件降伏を意味したかどうか」を、松江騒擾事件を扱う資料を重視しながら記述する事が望ましいでしょう。

「ポツダム宣言の受諾が無条件降伏を意味するかどうか」という点について、それを松江騒擾事件の項目で触れられていることだからといって、情報源を松江騒擾事件を主に扱ったものに限ることは、適切ではないでしょう。松江騒擾事件の中には、騒擾事件以外に事柄も含まれます。個々の事柄については、その事柄を主に扱った情報源を参照するのが望ましい。もちろん、松江騒擾事件そのものについて、また、繰り返しになりますが、個々の事柄の松江騒擾事件における関係性や重要さについては、騒擾事件を主に扱った情報源を重視するべきです。

ぼくが、ZEROさんにお伝えしたいのは、およそ、ここまでです。ぼくは、これまでに示された情報源などから、騒擾事件を扱った資料がすべて「無条件降伏」で統一されているわけではなく、ポツダム宣言の文章および終戦の詔書の内容から玉音放送の段階で「無条件降伏」を伝えたと捉えるのは明らかではなく、また、竹永の文章を読む限りでは、騒擾事件の文脈において、「無条件」であることが重要である、または竹永が特に重要視しているとは受け取れなかったという意味において、「無条件」を除去することとは妥当だと思いました。また、記事の主題に強く関るものではない語であり、Zeroさん自身も方針の適用を超えて、「無条件」かどうかにこだわりがあるようには感じられませんでした。

竹永がどの程度「玉音放送」や「無条件」を重視していたか、他の松江騒擾事件を扱う資料で重視されているかというところは、あるいは判断が異なるかもしれません。また、「無条件」をめぐる論争の存在や解釈についての情報源がYasumiさんや廿粁さんが十分示していない(検証可能性や独自研究などの方針の素朴な適用)、論争の存在を踏まえてもなお、国際法などでの定義づけから無条件という表現を除去する理由がない(騒擾事件を主題とせず、その記述に関連して現れる事柄について、それを主題とした別の信頼できる情報源の存在)といったことを論点として、「無条件降伏」という表現を選ぶという意見であれば、理解できます。結果として「無条件降伏」とするか「降伏」とするか、というところには、ぼくは特にこだわりを持ちません。しかし、「ポツダム宣言の受諾が無条件降伏を意味するかどうか」という点については、松江騒擾事件を主に扱ったものが優先されるわけではないということでご理解いただければと思います。

他方、Yasumiさんや廿粁さんの編集や根拠立ても、あまり好ましいものではなかったように思います。ある記述の改変をしようとする場合、その執筆にあたって参照されている資料については、その記事の主題と、改変しようとしている部分の関係については、単純に書き換えて済むとは限りませんから、入手が困難なものは別として、できるだけ目を通してほしいと思います。また、記事の内容を改変するにあたっての議論では、主張の根拠となる情報源を示すことが望まれます。特に、記事の大部分を検証可能な形で情報源を示して執筆した当事者とのやりとりでは、情報源を示し、互いにそれを参照しながら対話を行うことで、論点が明確になっていくと思われます。江藤の著作あたりは読んでいらっしゃると思うのですが、少なくともそれを、できれば玉音放送やポツダム宣言と無条件降伏を主題とした専門的な論文を早い段階で挙げておけば、または「無条件降伏」のほうの記述が充実していれば、いくらか混乱が避けられたのではないかと思いました。

たとえば無条件降伏論争当時に江藤淳は毎日新聞の文芸時評で「日本がポツダム宣言を受諾して「無条件降伏」したというのは、明らかな誤謬である」(『全文芸批評下巻』p.422)としていますが、「判例や通説は、無条件降伏という言葉をつかっても、一方的に提示された条件付条約にさらに条件をつけ加えることなく締結したという意味であって、日本国は法的主体性を失ったわけではない」(高橋正俊「憲法制定とその運用」佐藤・初宿・大石『憲法五十年の展望Ⅰ』有斐閣、1998.)とされ、国際法においては「無条件降伏」という概念は重要ではなく、「一般的で単純な解釈では、敗者が全く条件を付けることなく勝利者の出す条件を受け入れて降伏すること」であり、江藤らの「有条件降伏」という主張は国際法の解釈として成立するとは到底考えられない(竹本徹「無条件降伏に関する一考察」『国際学レヴュー』16号. 2004. p29、「一般的な…」の記述の根拠としてMelquiades J. Gamboa"Elements of Diplomatic and Consular Practice" 1966.、Melquiades J. Gamboa"A dictionary of international law and diplomacy" 1973.を挙げている)という意見もあります。江藤らの論争を総括しようとした磯田光一の考えは法的な解釈から見ると反転していますし、高橋自身の主張は上記引用部とはまた異なります。[佐藤和男。対談])と合わせて、法学分野でも一致した見解ではなさそうです。

こうした状況のなかでは、松江騒擾事件を主題とした文章中に表れた玉音放送をめぐる記述について、騒擾事件との関わりが指摘されている、またはポツダム宣言と無条件降伏を主題とした別の著作があるといった事情があれば別としても、騒擾事件に関する情報源を無条件に優先させることが適切な事例ではなさそうだということが伝わったのではないかと思われます。--Ks aka 98 2009年7月28日 (火) 17:36 (UTC)[返信]

前置きとして。Ks aka 98さんは各種方針に通じておられるので、以下からは論理を明確にするために、いちいち該当するWikipedia文書をリンクしません。また、今回の発言においては「事実」「見解」の定義は、Ks aka 98さんのものを使用します。現状、この井戸端上の議論において「事実」の定義は最低3つは混在しますので、途中から読んだりあとから安易に抜き出してしまうと、一見矛盾して見えるような箇所もあることを付記しておきます。
「どのような観点から、どのような資料を用いても、同じ結論を得ることができるものを「事実」と呼ぶ」なら、Ks aka 98さんの定義に基づく「事実」などあり得なくなる。二段目のお返事より、ひとまずこの点については合意できた、と思います。
  • 事実に属することがらだとしても、「事実」ではなくて(中略)かなりの程度共通している「見解」に過ぎない
その通りです(「近世以前」に限らず、たったいまのことでもそうですが、近世以前に限定された理由はありますでしょうか)。それならば『基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出し』というKs aka 98さんの主張は成り立たない。Ks aka 98さんのいうところの「事実」などまずありえませんし、「【かなりの程度共通】している」とはいえ、ひとつひとつは著者の「見解」であることは間違いありませんから、著者の「見解」を排したら何も残りません。ノート:松江騒擾事件の5月4日 (月) 03:52 (UTC)の私の発言にも書いてありますが、「これこれという人たちは、『〜』と主張する」の部分の『〜』内を組み合わせて、Wikipediaの文章は形成されています。「これこれという人たち」の部分が相当大人数になることはあっても、「どのような観点からも」ということには、決してならない、と思います。ここで質問をひとつします。「基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出」という部分は、7月28日のコメントを経て、どう言い直されるのが現状では適切だとお考えでしょうか。
おそらく「複数の見解を【その重要さ】に応じて併記する」あたりがポイントになってくるのではないかと拝察いたします。さらにもうひとつ。「その日の新聞」というものをたとえに出されているのでそのまま使いますと、Ks aka 98さんは「その日の新聞に書かれていることを信じる」という観点と、「間違えていると言われた人の主観を信じる」という観点を比較しているんですね。このあたりもKs aka 98さんにとって大事かと思います。
以下は余裕があればご覧になって下さい。たぶん先の質問をお答えになってからのほうがわかりやすいと思います。
  • 「終戦の詔書」というものが発布(用語法違ったらすみません)されたこと自体は事実に属します。
  • 「8月15日に玉音放送があった」ということには、ZEROさんやyasumiさんらウィキペディアンだけではなく、竹永ら歴史の研究者も含めて、ほぼ異論がないでしょう。
  • 「ポツダム宣言には日本軍の無条件降伏が書かれているけれど、日本の無条件降伏は示されていない、ということは、事実といえるでしょう。
ええと、『「終戦の詔書」というものが発布された』「8月15日に玉音放送があった」等々というのは、「どのような観点から、どのような資料を用いても、同じ結論を得ることができるもの」(=事実)ではないです。7月9日に述べた繰り返しになりますが、著者と資料を限定した上で、Ks aka 98さんの言われる通り「その範囲において」「【かなりの程度共通】している「見解」だ」というのなら、まだわかるんですけれど。
  • あきらかな矛盾があるならば、それは「信頼できる情報源」ではありません
色んなパターンを考えてみましたけれど、ちょっとここは保留です。Ks aka 98さんが「あきらかな矛盾」をどの程度のレベルのものと考えているのかにもよるのですけど、『私はX理論のあきらかな矛盾を見つけた。どんなに通説になっていようとX理論は間違っている』というのは独自の研究かもしれない。
  • 意見が異なるのは、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」かどうか、です。
  • 「ポツダム宣言の受諾が無条件降伏を意味するかどうか」という点について、それを松江騒擾事件の項目で触れられていることだからといって、情報源を松江騒擾事件を主に扱ったものに限ることは、適切ではないでしょう。松江騒擾事件の中には、騒擾事件以外に事柄も含まれます。
「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」かどうか、という論争点自体を、他の文脈もしくは著者から切り取ってしまった時点で、すでに松江騒擾事件に関係する事柄ですらなくなっていると考えています。それはポツダム宣言なり無条件降伏で、扱われるべきことではないでしょうか。「騒擾事件以外に事柄も含まれます」と書かれましたが、少なくとも私は、他の全ての箇所において「この事件の説明に関係ない事柄」を含んだつもりはないのです(もしあったらご指摘下さい。直します)。ご存じの通り、ウィキペディアの記事は無差別に情報を収集する場ではありません。竹永氏が松江騒擾事件について説明する際に用いたのでこの記事に入れたのであって、「ポツダム宣言の受諾が無条件降伏を意味するかどうか」といった、この事件と何ら無関係な論争点を、この記事に含む道理はないでしょう。ポツダム宣言なり無条件降伏のページがWikipedia上に存在していなくて、この記事にしか書けない、という状況ならまだわかりますけれど。「ポツダム宣言の受諾が無条件降伏を意味するかどうか」という論争点がこの事件に関係するという、何か合理的な根拠(自分の直観的判断以外に基づく何か)があるでしょうか?
あと、素直な疑問としてお聞きしたいのですが、『結果として「無条件降伏」とするか「降伏」とするか、というところには、ぼくは特にこだわりを持ちません。』とKs aka 98さんはおっしゃったけれども、特にこだわりを持たないなら、どうして提案を出しているのですか。--ZERO 2009年8月10日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

事実とか見解とか

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問いかけについては

「基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出」という部分は、「基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実に属する事柄であり、その他の資料を含めて、ウィキペディアの執筆者が、その項目で記述する上でじゅうぶん事実と扱ってよいと思われるものを抽出」でしょうか。

その後言及されているKs aka 98さんは「その日の新聞に書かれていることを信じる」という観点と、「間違えていると言われた人の主観を信じる」という観点を比較しているんですね。については、

その日付を掲載して新聞を発行するに至るまでに関った新聞社の人々、彼らが参照した日付に関する情報に関ったすべての人々、その新聞を読み誤りであると判断しなかった人々、そのなかの誤りであるかを何らかの手段で確認した人たちが参照した情報に関ったすべての人々の認識と判断の結果しての新聞の「日付」と、間違えているといわれた人ひとりの主観としての「日付」の比較です。

繰り返しになりますが、「どのような観点から、どのような資料を用いても、同じ結論を得ることができるものを「事実」と呼びます。」というところを、突き詰めてしまうと、そうとう多くのものが「無理」になります。

ぼくは

「『休戦の詔勅』を信じず「あれは天皇の意志ではない」とした人々がいます。」というところでいうと、「終戦の詔書」というものが発布(用語法違ったらすみません)されたこと自体は事実に属します
「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」ということについては、議論参加者にとって見解の相違のない事実と言えるのではないかと思っています。

と書きました。

念のために書いておくと、ぼくが「事実」とはなにかという問いに答えているところで、「事実に属すること」と「事実」を明確に使い分けている事を確認してください。事実に属する事のうち、事実とは言えないものもあります。それから、誰かが何かを言えば「見解」として扱うつもありません。見解とは、「ある程度の資料と思考の後に、到達した意見」です。ぼくの基準では、竹永の記述は「見解」には含まれていません。
『私はX理論のあきらかな矛盾を見つけた。どんなに通説になっていようとX理論は間違っている』というのは独自の研究です。しかし、ここでいう「X理論」が「玉音放送が無条件降伏を国民に伝えた」というのは、理論として通説になっているとは言えないでしょうし、「県庁焼き討ち」の文章は、その理論を唱えるものではないですよね。竹永が、自らの見解として、根拠を立てながらそう述べているなら、話は別です。

記事中で「無条件」の記載について相手の意見を受け入れずに争うだけの知識を持った複数のウィキペディア執筆者が判断する上で参照した、あるいは体験してきてもののなかで、少なくともここでの議論で取り上げるに足りるだけの意味を持った対立意見があるならば、議論の中で誰かが指摘しているでしょう。「記事中で「無条件」の記載について相手の意見を受け入れずに争うだけの知識を持った複数のウィキペディア執筆者が判断する上で参照した、あるいは体験してきたもの」という範囲で共通した見解であって、当然に持ち出さなければならないほど強力な異論はないのでしょう。

Ks aka 98は、この議論に加わってからではありますが、これまで確認した公文書館のサイトで見られる原資料、無条件降伏を主題とした論文や書籍、都内の二つの図書館で見た『国史大辞典』などの辞書・事典類と開架の歴史の棚で立ち読みしたもの、あるいはciniiとNDL雑誌検索で「無条件降伏」「降伏」「玉音放送」など数十の関連しそうな語句で検索して得られた論題や同様に検索した5件ほどの図書館の書籍の表題と付加情報、立ち寄った図書館の開架棚で目に入った本のタイトルなどから、『「終戦の詔書」というものが発布された』「8月15日に玉音放送があった」ということについて、検討するに値する否定的な意見が存在するという記述、あるいはそのようなことが書かれているのではないかと頭をよぎるようなタイトルはありませんでした。

終戦の詔勅を読み上げたものが八月十五日にラジオで放送された。これは『国史大辞典』(吉川弘文館)あたりの基礎的な資料で確認できます。詔勅は公文書館でネットでも閲覧できますし、玉音放送を聴くこともできます。同時代の報道などでも多々取り上げられています。「終戦の詔勅を読み上げた玉音放送と呼ばれるものが、八月十五日にラジオで放送された」ということを否定するには、それら一次資料の保存状況の信頼性や、文面の制定や録音の過程について疑義を示し、それなりに受け入れられる必要があります。源氏物語の写本とかなら、そういう形でその真贋が論争になるでしょう。

それが天皇の意思かどうか、というようなことでは、ここではあまり関係ないです。天皇の真意であろうがなかろうが、天皇の名において出されたものと記録されています。日本国民のすべてが天皇の意思ではないと信じたとしても、実際には天皇の意思ではなかったのだとしても、「終戦の詔書が発布された」ということには影響を及ぼしません(それらを根拠として政治的・法的な手続きを踏んで無効化するという手はあるかもしれませんけれど)。

そのような範囲において、共通しあるいは否定されていない「事実に属する事」に対する「見解」を、(少なくともこの場では)現実的に議論を進める上で「事実」として扱おう、と。

念のために書いておくと、たとえば「大東亜戦争終結ノ詔書」であって「終戦の詔書」と書かれた文書はないから事実ではないとかいうのは、ここでは論点ではないってことで。--Ks aka 98 2009年8月13日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

論争点と騒擾事件との関係

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>「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」かどうか、という論争点自体を、他の文脈もしくは著者から切り取ってしまった時点で、すでに松江騒擾事件に関係する事柄ですらなくなっていると考えています

「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」は、松江騒擾事件に関係ないと同意していただけたと受け取ってよいでしょうか。関係ないんです。「日本がポツダム宣言を受諾した事」「終戦の詔勅というのが発布された事」「それを天皇が読み上げたものがラジオで放送された事」は、松江騒擾事件に関係しています(よね?)。「騒擾事件以外の事柄も含まれます」と書きましたが、たとえば「玉音放送が流れた」ということは、「騒擾事件に関係すること」ではあるけど、「騒擾事件」そのものではない、という意味です。岡崎の動向などは、騒擾事件そのもの、あるいはとても深くかかわるもので、おそらく徹底的に調べられたと思いますが、玉音放送のことはそれと同じレベルでは調べていないと推察するのですが、要するにそういうことです。事件の主題とのかかわりとして、かなり明らかに違いがあるもの。

関係ないからこそ、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」は、ポツダム宣言の受諾の扱いをめぐるものとして考えるべきであり、ウィキペディアにおいては島根騒擾事件を主題とした情報源ではなく、ポツダム宣言や無条件降伏をめぐる情報源を参照し、それを優先させてどのように記述するのが適切かということを考える必要があります。そして、それらは、基本的にそれぞれの項目で扱われ、詳細に書くべきです。

ポツダム宣言受諾、終戦の詔勅、玉音放送といったものが、何らかの形で他の記事で触れられることもあるでしょう。そうした場合は、ポツダム宣言受諾、終戦の詔勅、玉音放送といったものを主題とした情報源を参照した結果を反映させ適宜修正するのがよいと思いませんか? そして「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」ということについて、ポツダム宣言や無条件降伏を主題とした資料を調査した上で、松江騒擾事件の項目にある「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた」という表現が適切ではないならば、それは必要な範囲において修正されるのが望ましいと思いませんか? もちろん無条件降伏のように論争がある場合でも、その論争を無闇に他の記事に持ち込む必要はなく、(その記事での扱いの中で論争があることを示す必要がある場合は別として)一般的に通用する表現として妥当なものを用いるという程度に留めるのがよいと思います。

「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」などと修正すれば、そこに誤りはないし論争は生じない。松江騒擾事件は、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」という問題と関係ない立場でいられます。しかし、「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた」という表現を保持することは、(曖昧な表現だからというせいもあるけれど)「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」と受け取ることもできるため、松江騒擾事件の記事が「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味するかどうか」という問題と関連付けられてしまうんです(ついでに書いておくと、ポツダム宣言の受諾はすなわち降伏ですらなくて、降伏文書調印をもって降伏とするのが妥当、というところもあります。なお、前にも書いたかもしれませんが、無条件の部分を除去するにあたって、無条件降伏関連の一次資料以外の情報源がなければ応じるのは難しい、という意見は理解できます)。

そのように考えると、ノートから転記されているZERO 2009年3月19日 (木) 09:37 (UTC)の表現を借りれば、

松江騒擾事件のページにおいて、その全体像を描く上で信頼できる情報源として相対的に優先されるべきは、「松江騒擾事件を中心に取り扱っているもの」であるけれど、そこで「玉音放送」や「日本の降伏」が現れるならば、それら個別の内容については「玉音放送」や「日本の降伏」を中心に取り扱っているものを参照して、それを優先させる必要があります(「玉音放送」の記事で優先されるべき情報源が「玉音放送を中心に取り扱っているもの」であり、そこで「松江騒擾事件」を扱うなら、「松江騒擾事件」の資料を優先させるべきであるのと同様に)

、という事になろうかと思います。記事の設計思想にはいろいろな考えの幅があるとしても、記事の中で触れられる個々の事柄の内容について、その個々の事柄を対象として書かれた情報源を越えて、記事全体を扱う資料を優先させるという設計思想は、百科事典の記事をを書く上では適切ではないですし、ウィキペディアの方針がそれを推奨しているわけでもないです。個人として、判断に迷ったら全体的な記述に現れるものを採用したとかいうことはありえるでしょうし、それが妥当な場面もあるでしょう。どこまで踏み込んで書くか、主題ではないので端折るか、みたいなところでは、「松江騒擾事件」を主題とした文章での扱いを参考にするということもありえるでしょう。

部分を寄せ集めて、全体として間違ったものになってしまうことは、多々あります。それを避けるために、その全体を主題とした情報源が必要、というのが独自研究の方針だと思うんです。逆に、全体を記述している情報源があった場合、そこで扱われている一つ一つの事柄については、個別にそれを主題とした、より詳細で新しい情報源で確認するのは(どこまで踏み込むかという問題はあるけど)本来必要な作業だと思うんですよ。

Wikipedia:独自研究は載せないに書かれている「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述すること」がZEROさんにはひっかかっているのかもしれないと思いました。

無条件降伏という表現については、「編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなこと」にならないように、慎重に検討する必要があります。

しかし、今の議論の中で重要なのは、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」かどうか、という論争点自体は、松江騒擾事件に関係する事柄ではないということです。

ポツダム宣言の受諾や、玉音放送があったことや、その後の報道でおおよそ終戦なり降伏なりを意味することが伝えられたことや、あるいは「玉音放送が無条件降伏を表すものとして(松江の人々を含む)国民に伝わった」ということならば、松江騒擾事件に関係するのでしょう。それを否定するつもりはまったくありません。松江騒擾事件における、玉音放送なりポツダム宣言受諾の知らせなりというものの重要性については、松江騒擾事件を主題として書かれた資料を優先させるべきでしょう。松江騒擾事件の中で、玉音放送が流されたことがどの程度関与するのか、あるいは事件の背景として位置づけられるかどうかについては、松江騒擾事件を主題として扱った資料を参照して判断するべきです。しかし、松江騒擾事件は、玉音放送が無条件降伏を国民に知らせたかどうかということに何か影響を及ぼすものではありません。「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」かどうか、というのは日本近代史や国際法や政治や社会言語学やイデオロギーの範疇でしょう。

松江騒擾事件の記事において、松江騒擾事件を主題として扱った資料から判断して、玉音放送があったということを書く。ではその情報源にある記述から「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏を意味する」ものなのかという点について疑問が生じた(あるいは指摘された)場合、これを考える上では、ポツダム宣言の意味合いや無条件降伏という表現を主題として扱った資料から判断されるべきであり、その資料を参照する事は、松江騒擾事件の記事を書く上で、「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査」の一部として期待されるもので、「独自の研究」には当たらないと思います。--Ks aka 98 2009年8月13日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

余談

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余談のほうの答えになりますが、「結果はどっちでもいいけど、」を強調するのは、無条件降伏という話題では、編集者の個人的観点や政治的意見、自分の支持する観点を推し進めるという目的で、結論ありきの論を立てていると思われる可能性を、できるだけ排除したいからです。Googleで「無条件降伏」と検索してみると、そういうサイトも見つかります。そうではなくて、方針の捉え方や、執筆のあり方、情報源の扱いといったことから、「結果として」無条件降伏とする、降伏とする、といった判断をしたいし、そのような結果として、合意に達する事が望ましい。

「その項目の主題ではない事柄について、その事柄単独で判断しうるものであれば、項目のことを主に扱った情報源を優先する理由はない」ということを説明しようとしています。その上で、議論参加者の間で、もっとも知識が共有されていて、具体的な論点となっている「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた。」という題材そのものを使って説明するのがわかりやすいと思いました。

その項目の主題ではない事柄について、項目のことを主に扱った情報源を優先すべきという場面もありますから、そうした例外を切り分けていく上では、情報を共有されている必要がある。無条件降伏という表現をめぐる(ウィキペディア外での)意見の対立は、他に適当な事例を挙げることが難しかったということもあります。

独自研究の方針を踏まえつつ、「松江騒擾事件」を主題とした資料を優先させるべき場面はそのように書き、「松江騒擾事件」の項目の中でも「松江騒擾事件」を主題としたものではなく、そこで書かれている事柄や概念を主題とした資料を優先させたほうがいい場面もあり、ここでの論点となっている「無条件降伏」については、現在示されている資料などから判断した結果として、無条件を除去するのが適切である、ということです。今は、提案時と違って、多少調べたので、それも交えて意見を述べてはいますけれど。「ぼくの論旨の進め方のなかで、ZEROさんにとって受け入れがたいところがどこのポイントか、というところを示していただけたらと思うのです」と書いたのは、そういうことです。--Ks aka 98 2009年8月13日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

(仮)

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節だけわけました。あとはよしなに。--Ks aka 98 2009年8月13日 (木) 14:30 (UTC)[返信]


コメント新たに足を運んだものにとっては議論が長くなって分かりにくくなっているように感じますが、私の編集がリバートされた[5]のでこちらにコメント書かせていただきます。玉音放送では共同宣言を受諾すると報じられただけなので、無条件降伏なる執筆者の個人的なことばを除去させていただきたいと思っております。反対はありますか?できれば簡潔にお願いします。--Chichiii 2009年7月9日 (木) 14:43 (UTC)加筆訂正--Chichiii 2009年7月10日 (金) 09:00 (UTC)[返信]

玉音放送の内容を参照として添付し、事実だけを書き込めばよいと思います。--青鬼よし 2009年7月11日 (土) 07:09 (UTC)[返信]
こちらでは、方針の解釈についてZERO氏とKs aka 98氏の摺り合わせがもう少し続くものと思い、書き込みはセーブしていましたが閲覧は続けております。
さて、事実と意見の切り分けについては方針などでも触れられており、中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなには「事実」の意味として「特に深刻な論争の種になっていない情報を意味します」とあり。例示として「ある調査が特定の調査結果を出版したこと」「火星が惑星であること」「2+2 = 4」「ソクラテスが哲学者であるということ」などがあげられています。その一方、「意見」の意味として「何か深刻な論争の種になっている情報」とあり。例示として「神は存在する」「直観論理は日常論理より優れている」がかかれています。また、Wikipedia:信頼できる情報源では「事実」の例示として「火星と呼ばれる天体が存在する」「プラトンは哲学者であった」などがあげられています。1.以上より、ウィキペディアでも方針に由来して事実と意見の切り分けが可能と思います。例え「『休戦の詔勅』を信じず「あれは天皇の意志ではない」とした人々がいます。」だとしても、「玉音放送が為された事実」を覆すものではありません。それは前者が意見であり後者が事実だからと考えます。しかし、ZERO氏は事実と意見を切り分け不能と考えているのでょしょうか?
もうひとつ。ZERO氏の「Wikipedia:検証可能性の面から考えていった場合、「事実」を「情報源ー書き手」から切り離された形で語ろうとする、ということ自体が、いろんな問題のもとだと考えています。」とのことですが、ウィキペディアは編集者が出典から内容(今回議題になっているのは歴史事実の説明)を解釈して記事にするものですよね?私は玉音放送が天皇によるものであるとの認識に立ち出典から「天皇」を省略しても可能だと思うし、(無条件降伏論争の内、無条件降伏肯定の立場に限定したとして)無条件降伏の評価はポツダム宣言の受諾という事実に基づくという認識に立ち出典より「無条件降伏」を省略することは可能だと思います。2-1.ZERO氏はどのようなロジックを使って「天皇の省略を是」とし「無条件降伏の省略を非」とするのか説明して頂きたく思います。
更に言えば、この出典は事件発生に至る社会・歴史的な終戦事実の説明を外交→国政→県政(及び県地域の軍)の混乱収拾策が天皇の権威を根源とする玉音放送(詔勅と玉音による伝達)を根源して国民に秩序維持を呼びかけた「事実」を描いているとの認識に立ちその特筆性から記事化することが有用であり、今回の語順入れ替えも出典の内容を損なうものでないと認識しています。それを踏まえて2-2.ZERO氏は数ある出典の中からどのようなロジックを以て今回の出典を優先しているのですか?また語順の入れ替えても内容が担保されているか否かをどのようなロジックで是としているでしょうか?出典内容をどのように解釈しているのか以前から疑問でした。既に回答されている内容かも知れませんが、当方の論理は開示しているつもりであり、ZERO氏も一度明言して頂きたいと思います。--Yasumi 2009年7月11日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
前と同じように「ノートでやれ」という指摘があるような気がしますが。いちおう「この回答はノートに移動していただいても構いませんよ」と表明した上で回答しておきます。
  • 1「しかし、ZERO氏は事実と意見を切り分け不能と考えているのでょしょうか?
あのですね。Yasumiさん自身はWikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源における「事実」と「意見」を定義を使っている、と6月27日に表明されたけれども、 Ks aka 98さんと私との間ではそうではないんですよ(Ks aka 98さんも同じことを言われると思う、たぶん)。少なくとも6月16日のKs aka 98さんの提案のなかでは、そういった定義は示されていませんし、Yasumiさんですら表明する以前の段階です。だからこそKs aka 98さんの書かれた「事実」と「見解」の捉え方に対して私は6月25日に質問をしたのだし、Ks aka 98さんは7月5日に自分なりの言葉でそれに答えたのですし、それ自体に何ら問題はない、ということをひとまず表明した上で、質問に答えておきます。どちらかのWikipedia文書の定義に基づいて話をするんであれば『「事実」と「意見」に切り分けが可能な場合もあるし、不可能な場合もあるでしょうね』というのが答えになります。ただし、Wikipedia:検証可能性もあわせて守らなければならない。そのためには誰かの見解によって書かれた情報源が必要である、という言い方をすれば納得していただけるでしょうか。
  • 2-1「ZERO氏はどのようなロジックを使って「天皇の省略を是」とし「無条件降伏の省略を非」とするのか説明して頂きたく思います。
設問の捉え方自体に誤謬があります。誰かから「この文脈における『天皇の』は省略すべきでない、書き加えるべきだ」という意見が提案されたならば、私はひとまず反対しません。理屈は2ヶ月以上前のノート:松江騒擾事件の5月4日 (月) 03:52 (UTC)[6]の3段目に書いた通りです。さて。その「省略」するという行為から、どうやったら「敗戦」「終戦」へと書き換えるという提案が出てくるんでしょうか。ノート:松江騒擾事件4月30日 (木) 10:03 (UTC)[7]の、ご自身の提案内容を再度ご確認下さい。
  • 2-2(a)「ZERO氏は数ある出典の中からどのようなロジックを以て今回の出典を優先しているのですか?」について。
資料を読んでいないYasumiさんの意見や[8](4月29日 (水) 11:05 (UTC))、後付けの『類推』に基づくよりも[9](5月8日 (金) 21:09 (UTC))、竹永氏の著作にある記述のままにしておいた方がよほどマシである、という程度のロジックで十分です。Yasumiさんの書き換え提案は『資料の比較検討した結果』を根拠としたものではありません。したがって、私があえて『資料の比較検討の結果』を示す必要はありません。さらに書いておくと、本提案においては「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較して」ということを言い出したのは私ではなくYasumiさん自身ですから[10](5月5日 (火) 11:37 (UTC))、『資料の比較検討』の結果をまず示さなければならないのはYasumiさんです。もっとも、資料を読んでいない状態で提案を出したのに、どうやったら「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較」した結果と合致すると予想できたのか、よくわかりませんけれども。
  • 2-2(b) 「また語順の入れ替えても内容が担保されているか否かをどのようなロジックで是としているでしょうか」について
ん?Yasumiさんは「今回の語順入れ替えも出典の内容を損なうものでないと認識しています」と言われていますよね。お互い問題としていないなら、ロジック示す必要は別にないでしょう。
  • 2-2(c) 「出典内容をどのように解釈しているのか」について。
どの出典に対しても、『出典にある文章通りに』解釈しています。しかし個人的に納得しているかどうかはまったく別です。例えば、当該記事では人物名であるとか(首謀者の親友の名前だけではなく警察側の人物にも)、勤皇まことむすびや尊攘同志会と首謀者の関係とか、幹部以外の方々がいかに計画を知り得て参加するに至ったのかの描き方とか、等々、二次資料にある記述に対して「この書き方はおかしい(不足している)」と個人的に思う点は死ぬほどあります。しかしながら、「執筆者が納得したかどうか」というのは記事文面には無関係なことですから(むしろいらない)、「これ、たぶん違ってるなあ」と思う箇所でも、それを訂正できるような二次資料が見つかるまでは、それを意図的に曲げたりしないつもりで書いています。
さて、YasumiさんはWikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源における定義を使っていると表明されましたが、それはまずくはありませんか。Yasumiさんは「私はある程度の終戦経緯を知っているため「玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない」という「事実」が存在する」と6月3日 (水) 10:27 (UTC)に主張された。しかし松江騒擾事件の専門家といえる竹永三男「県庁焼打ち」(『島根県の歴史 県史32』山川出版社、2005年)は、「昭和二十(一九四五)年八月十五日正午、ポツダム宣言の受諾による無条件降伏が、天皇の「玉音放送」によって国民に伝えられた。」としている。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源、それぞれ「事実」の定義は違っているんですけれど、ちゃんと両方に当てはまっていますか?少なくとも専門家である竹永氏の記述と、Yasumiさんの抱えている「事実」は矛盾しますが。--ZERO 2009年7月15日 (水) 16:15 (UTC)[返信]
遅くなりました。こちらは方針の解釈や運用などについて話し合う場かと思い、また具体的には松江騒擾事件で問題となっている記事に関して当初ZERO氏が作文に当たった時のロジックを照会する主旨で質問させて頂いたのですが、どうやら肝心な質問には答えて下さらぬようですね。下記は再照会ですが個別事例でもあり、具体的にはノート:松江騒擾事件の方で処理をしたいと思います。
回答1について、記事作成時に無条件降伏については事実と意見の切り分けについて具体的に適用すると「可能」「不可能」でなく「する必要なし」と言う回答ですか?
回答2-1について、実際にZERO氏が記事作成された時のロジックへの質問ですが省略/採用あるいは語順入れ替えが内容を維持しているという妥当性について無回答ですよね?具体的に天皇の省略が出典の内容を維持していることの解説をお願いしたいのですが、質問拒否と受け取ってよろしいですか?
回答2-2について、質問を取り違えられていて遺憾ですが、私が質問をしているのは数ある出典の中からZERO氏が優先的に竹永本を選んだ理由とロジックの開示についてでした。また、具体的に事実の切り分けを認識した上での編集か否かについても回答がないようです。いずれも回答を拒絶されていると受け取ってよろしいですか?
最後の「少なくとも専門家である竹永氏の記述と、Yasumiさんの抱えている「事実」は矛盾しますが。」について私の抱えている「事実」を対比に出していますが、何故「竹永本」と「玉音放送」の対比でないのか。名言はしないが出典を排除しているんでしょうね。「玉音放送」に「無条件降伏」の文言がないという事実に議論になるような異論があるのか、無ければそれは共通認識としての事実であると思いますが。
「どうやったら「敗戦」「終戦」へと書き換えるという提案が出てくるんでしょうか」結局はここに行き着くようで、中立的な観点と出典内容を以て実際の記事にした場合、許容範囲か否かに決定的な認識の差があるかと思います。同様の認識を持たれていますか?--Yasumi 2009年7月26日 (日) 00:12 (UTC)[返信]

(インデント戻します)

Yasumiさんが言うには、ノート:松江騒擾事件で議論が噛み合わなくて困っている理由は「記事に使う出典の優先度や制限とは? 」だそうですから、ノート:松江騒擾事件で議論をYasumiさんが再開させるおつもりなら、ここでの議論にちゃんと結論出してからにしてくださいね。そうでなければ、ここの議論に参加してくれた人々をも裏切ることになる。

  • 結局はここに行き着くようで

ごく当たり前のことです。Yasumiさん自身が提案していることなんですから本望ですよね。逆に言えば、「行き着かなかった」ら、議論がはぐらかされているということです。その「省略」するという行為から、どうやったら「敗戦」「終戦」へと書き換えるという提案が出てくるんでしょうか。

  • 中立的な観点と出典内容を以て実際の記事にした場合、許容範囲か否かに決定的な認識の差があるかと思います

これもこの議論を読んでいる人にとっては当たり前です。だからこそ議論になっているわけですからね。

A.【回答1についての質問について】具体的な話をしたいならば、Wikipedia:中立的な観点もしくはWikipedia:信頼できる情報源における「事実」の定義は異なるということをしっかり認識した上で、どちらの定義に基づいた話なのかを明記していただいて質問をしていただきたいです。そこがあやふやなままだと、閲覧する人にも誤解されますので。

で、しつこいようですが、Yasumiさんは『「玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない」という「事実」が存在する』と本ページ6月3日 (水) 10:27 (UTC)に主張された。(ここでひとつ指摘しておくと、これは「無条件降伏」の文言がない、というレベルの主張ではありません。)Yasumiさんのこの主張は、Wikipedia:中立的な観点における「事実」でもなければ、Wikipedia:信頼できる情報源における「事実」でもない。松江騒擾事件の専門家である竹永氏は、これと矛盾することを言っているんですから。伝えられた、というのと、伝えられていない、というのは矛盾です。「何故「竹永本」と「玉音放送」の対比でないのか」?。それはYasumiさんの抱えている「事実」のおかしさを明らかにするためにわかりやすいからですよ。

  • 竹永三男氏の「玉音放送」に関する言及:ポツダム宣言の受諾による無条件降伏が、天皇の「玉音放送」によって国民に伝えられた。(前掲書)
  • Yasumiさんの「玉音放送」に関する言及:玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない(6月3日 (水) 10:27 (UTC))

ちゃんと対比になってますが、何か問題でも。「名言はしないが出典を排除しているんでしょうね。」これはちょっと、意味が取りづらい。

B.【回答2-1について】申し訳ないですけれど、さしあたって問題視されていないことを説明する義務も時間もありません。話が拡散し脱線する原因にしかなりませんので。Yasumiさんは2009年7月11日に「今回の語順入れ替えも出典の内容を損なうものでないと認識しています」と言っているのに、なんであらためて「省略/採用あるいは語順入れ替えが内容を維持しているという妥当性について」説明せねばならないのか、正直よくわかりません。Yasumiさんが「語順入れ替えが内容を維持していない」と主張するならば、説明させていただきますが、そうじゃないですし。

C【.回答2-2について】「質問を取り違え」ていません。十分認識しており、その上での回答です。誰かが「竹永氏の見解と矛盾しているもの」や、「より優先すべきもの」を誰かが見つけ出してきて主張するならば別ですけど(再度指摘すると、ノート:松江騒擾事件の5月4日 (月) 03:52 (UTC)の3段目)、なにもむざむざ、問題とされていないことを長々と書き連ねなければならない道理はないんですよ。もうひとつの質問はAを読んで、どちらの定義かを明確にされた上で再度お願いします。

もう一度書いておきます。「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較して」ということを言い出したのは私ではなくYasumiさん自身です。提案したのはご自分なのに、どうして自分で取捨選択の吟味比較をしてみないんでしょうか。「記事に使う出典の優先度や制限とは? 」なんてことを考えるのは、それがある程度できてからですよ。いじわるな言い方に聞こえるかもしれませんけど、自分で言ったことなんですから、責任をもって、ご自分でその問題点と改善方法を示して下さい。

さらに、Yasumiさんの主張は「出典は必ずしも記事名を主題とした出典に限定する必要はない」んですから、この事件の出典に限らず資料を集めて「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較」なさるんでしょう。「この事件に関する情報源」だけを集めることすら「疲弊原因」と言われているのに、今度はさらに「事件を取り扱った出典に限定されない」のならば、それらを「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較」することや「比較に於ける出典選択の妥当性」を証することまで含めて、たぶん「疲弊」どころで済む話ではなくなりますが、ご自分でおっしゃったことですので、楽しみにしております。

さらにもうひとつ。

  • 中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」そうです

というのを、いまもって太字で強調したまま見せ消し線を打たないというのは、私は承服しかねますけれど、どうお考えなんでしょうか。その誤解を解くための質問には答えましたが、何のための質問だったのか。ついでに余裕があれば、竹本→竹永の修正もしていただければと思います。--ZERO 2009年7月27日 (月) 03:05 (UTC)[返信]

読み書きの時間が限られているため、追って返事をしたいと思います。--Yasumi 2009年7月27日 (月) 10:49 (UTC)[返信]
依然として認識がずれていたり、認識自体を示して頂けないようですね。当方の認識ではノート:松江騒擾事件で議論が中断していたのは議論ログの削除と復帰手続きの間で2009年7月1日 (水) 11:04 (UTC) より議論は再開していたつもりでした。こちらはこちら、あちらはあちらで進めていきたいと思っていました。
ZERO氏の要求する結論なるものが何を意味するのかわかりませんが、まずはこちらでの議論というか方針解釈についての疑問と助言を受けての現状認識を示すとすると、発端はZERO氏との議論で松江騒擾事件の出典には記事名の松江騒擾事件を主題とする出典が優先される、もっと具体的には記事中で議題になっている終戦背景の説明文や文中に使われている無条件降伏という語句を主題とする出典に対して現出典を優先し記事に採用することを排除されるとの主張に対して、画一的にそのような方針解釈をされる妥当性があるのか?具体的に松江騒擾事件に当てはめることが出来るのか?という疑問を以て建てた井戸端トピックでした。
そしてその結果、当のZERO氏を含めて出典自体に優先度がある場合もあるが、画一的に出典の優先序列を示す指針はないとの助言を得ました。そして、個別ケースしての松江騒擾事件で論点となっている記事に関しては、記事名により出典が優先されることはないとの答えもあり、また依然としてZEROの提示した優先度の妥当性については開示が無く、ZERO氏の個人的な自己規制を別とすれば他の編集者をも拘束するに於いてどのような妥当な理由や論理で出典を優先あるいは排除しているのか理解できていません。
これに加えて、「無条件降伏」の省略不可とのZERO氏の意見に対比してZERO氏の作文当初に於ける「天皇」省略の理由について尋ねても「不足が指摘されれば加筆する」と質問に対する答えを避けられている。語順の入れ替えについても私の開示した理由に同意するわけでもなく、結論が同じであるから説明不要と回答を回避される。出典の解釈についての相互の溝を埋めようとしても「○○の出典の通りに解釈しています」と解釈内容に触れない答えが返ってくる。確かに、質問前の状況から書き込んだ「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない”そうです”」と当初の私の認識に誤解があったように思いますが、これら前後の無回答が募って今でも「~”のかな?”」程度の認識のままです。解釈非開示への疑問に対しどのような訂正解釈を望まれるのでしょうか?
なお、「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較して」についても出典の読解、記事の理解、つまり解釈についてであって、ZERO氏の受け取り方と異なっています。また、読む時間、書く時間が不安定な現状ですが、訂正や漢字間違いについては、訂正線の入れ方も含めて追々対応していきたいと思います。--Yasumi 2009年7月31日 (金) 08:39 (UTC)[返信]
竹本竹永」への表記修正をしました。なお、現状ノート:松江騒擾事件#代案の集約で代案提出への集約を行っています。--Yasumi 2009年8月7日 (金) 23:57 (UTC)[返信]
私に対する質問は1点だけのようなので、まずそちらに答えておきます。
  • 確かに、質問前の状況から書き込んだ「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない”そうです”」と当初の私の認識に誤解があったように思いますが、これら前後の無回答が募って今でも「〜”のかな?”」程度の認識のままです。解釈非開示への疑問に対しどのような訂正解釈を望まれるのでしょうか?
訂正解釈など不要です。見せ消し線を引いていただければ十分です。「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです」等とは私は言っていない。6月12日に示した「井戸端でやられて困る問題点-その3」、おわかりになりましたでしょうか。だいたいこの一文だけ単体で見てもおかしい。「中立性を保つ」って、一体「何と何との間においての中立性を保つ」のか、言ったことされている私にすらよくわかりませんし、私がこんなよくわからないことを言うはずがないんですけれど。
以下、些細な指摘。
  • 当のZERO氏を含めて出典自体に優先度がある場合もあるが、画一的に出典の優先序列を示す指針はないとの助言を得ました。
「画一的に出典の優先序列を示す指針は『ない』」というのは具体的に誰のどの「助言」を指しているんでしょうか。日時と発言者だけでいいのでピックアップしてもらえませんか。「当のZERO氏」の主張は、『約60万もの記事があるウィキペディア日本語版において、一般化した答えが井戸端で導けるはずがないです。(中略)「ウィキペディアのルールに従いつつ各記事やウィキプロジェクトで個々に考えるべき問題である」という結論以外に落ち着きようがないと思っています。 』(6月9日 (火) 03:51 (UTC))という言い方をしていますが、少なくともこれに同意されたということでよいのですかね。
  • 「天皇」省略の理由について尋ねても「不足が指摘されれば加筆する」と質問に対する答えを避けられている。
はい、その通りです。「避けます」。仮に私の理由が「まとも」でも「まともでなく」ても、6月27日 (土) 02:15にYasumiさんは「天皇」が省略されている点については「妥当な編集であると認識」されているのでね。時間の無駄です。
  • ZERO氏の個人的な自己規制を別とすれば他の編集者をも拘束するに於いてどのような妥当な理由や論理で出典を優先あるいは排除しているのか理解できていません。
「Yasumiさんにとって妥当」かどうかはわからないが、少なくとも「終戦」「敗戦」「降伏」に書き換えろ、という提案よりも、「無条件降伏」のほうがまだマシである、程度の論理は示してあります。その時々のYasumiさんの理由付けに対して、4月30日 (木) 15:43 (UTC)の段階から。あと、たいしたことではないですけど、言葉によるイメージで相手を貶めるのは良くないと思いますよ。「無条件降伏」のままにしておくほうがいいと考える他の編集者の考えを『拘束』し、竹永氏の著作にある「無条件降伏」の部分だけ『排除』しようとしているのは、まぎれもないYasumiさん自身であることをお忘れなきよう。
  • 「出典元の取捨選択にしても内容を良く吟味比較して」についても出典の読解、記事の理解、つまり解釈についてであって、ZERO氏の受け取り方と異なっています。
はあ。誰かこの一文を読んで理解できた人がいたら教えてほしい。「Aについても、B、C、つまりDについてであって、Eと異なる」って、全く説明になってない。「ZEROの受け取り方がおかしい」と言いたい、というところは伝わりましたが、それだったらなぜ5月5日 (火) 19:56 (UTC)に私が同様のことを指摘したときに反論しなかったんですか。
  • 出典の解釈についての相互の溝を埋めようとしても「○○の出典の通りに解釈しています」と解釈内容に触れない答えが返ってくる。
もう一度書きます。私は7月15日 (水) 16:15 (UTC)に、「どの出典に対しても、『出典にある文章通りに』解釈しています。しかし個人的に納得しているかどうかはまったく別です。」と答えております。この議論の前段階にある廿粁さんに対し「出典にある文章通りの解釈」を理解してもらおうと記述をより正確に増やしていった結果、「解釈内容に触れない」どころか、もうこれ以上解釈できないほど記事本文に載せてあります。私が情報源にある表現を変えていたり、まとめて書いていたりした箇所において「どういう解釈で書いたのですか」ときかれれば答えようがありますけど、もうこの箇所はこれ以上解釈しようがないです。「解釈内容ほとんどそのもの」が本文になっている。まちがっても私は、『玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない』等と、出典に書かれてない風に解釈しません。
ちなみに、Yasumiさんは「相互の溝を埋めようとして」と言われた。溝があろうとなかろうと、双方の主張の合理性とは全く関係ないですがいちおう書いておくと、資料を調べないまま提案を出しコメント依頼を掛ける、という行為、これだけでふつうのひとなら、大なり小なり「相互の溝」ができます。この事件に関して、二次資料ですら扱われずWikipediaに落とし込めない情報というのがじつは相当にある。ノート:松江騒擾事件#「独自の研究」ですが参考用メモでも一部は書きましたが、二次資料でも扱い切れていない情報が本当に多くて、常に悩み所なんです。Wikipediaで使える資料なのか使えない資料なのか、未だ悩んでそれに基づく執筆を躊躇している部分もありますしね。見方によっては、二次資料の著者が何らかの配慮から「あえてぼかして書いてるんじゃないか」と思う箇所すらある。
そんなところに二次資料すら「読んでいませんが」なんて状態で提案とコメント依頼を掛けられたら、誰だって警戒しますよ。提案を出しコメント依頼を掛ける前に、少なくとも竹永氏の著冊1冊ぐらいは読んでおくべきだったのではないですか。Yasumiさんが「相互の溝」を気にするひとならば。--ZERO 2009年8月10日 (月) 01:54 (UTC)[返信]