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Wikipedia:井戸端/subj/過去の慣例はどこまで重視されるべきか

過去の慣例はどこまで重視されるべきか

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ウィキペディアのシステム更新で日本語に対応した2002年以降、約18年に渡りウィキペディア日本語版は活動を行っている為、その間に様々な議論が重ねられ、その結果が方針やガイドラインとしてウィキペディアの運営の基本を形作っている状況であるかと思います。その一方、それらの基本的な方針から外れたまま長年執筆が進められている記事があり、それらの執筆の問題に対して他の記事を先例として持ち出されることがあります。この先例はどの程度尊重する必要があるのでしょうか?

以下は当方で現在議論へ参加している先例を挙げられた事例です。

  • 例1:ハロープロジェクトのグループ記事における各メンバーの記述について、記事本題のグループとは無関係な部分まで経歴を詳報する執筆に対して、他のハロプロ記事を先例として挙げられた事例(ノート:BEYOOOOONDS#編集について
こちらは当方にてWikipedia:ページの分割と統合#分割の検討のガイドラインを提示し、議論参加者から理解を得た為、現時点ではガイドラインに沿った内容へ変更される見込みです。
こちらは現時点では方向性が定まっておりません。

当方は先例よりも方針やガイドラインを優先すべきと考えており、それらに当たる場合は方針やガイドラインに沿うよう積極的な対応を行うべきと考えているのですが、その様な記事に対しても、明確に合意形成が必要で、合意形成とならない場合は先例が優先されるようなこともあり得るのでしょうか?--devicehigh会話2020年8月10日 (月) 16:18 (UTC)[返信]

「【先例や慣習】と、【方針やガイドライン】の条文が一致していない場合においては、合意形成を軽視して、方針やガイドラインに沿うよう積極的な対応を行うべき」と言われるなら、その考えはウィキペディアとして明白に間違いである以外にないと思います。「ウィキペディアは規則主義ではありません」や「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」にある通りであって、「方針やガイドライン」と「先例や慣習」はどちらも合意形成をする上での重要な判断材料であるけど、どちらを優先すべきか(あるいは折衷するか)はケースバイケースです。
基本的な考え方としては、その方針やガイドラインが規定されているのは、それなりの理由(ルールの精神)があるはずであって、そこを考慮した上で、明らかに引き合いに出された慣例とぶつかるのであれば、「方針やガイドライン」が優先されるパターンだと思います。逆に、たまたま個別条文にはそうとも書かれている程度であれば、これを引用してそれ以外の見解を認めないというのは、明白にWikipedia:腕ずくで解決しようとしないにある法律家ごっこであって問題行為でしょう。先例や慣習が成立していて、方針やガイドラインの条文と反しているという場合は、それを単に「先例や慣習が誤っている」と判断するのではなく、「方針やガイドラインが適切に保守されていない」という可能性もあって、その場合の解決策は、合意形成を軽視して方針やガイドラインを優先することではなく、方針やガイドラインを改定することです。あるいはその分野に関するウィキプロジェクトのルールとして、その分野の場合の特別な判断基準を設けるなどの流れになるのが、ウィキペディアで想定されているものでしょう。
ついでに言えば、どのようなケースの場合には「方針やガイドライン」を積極的に適応すべきかも慣習や先例に基づくものであって、場合によっては雪玉条項を適応しても良いという合意ができる場合もあるでしょう。今回の、その削除依頼の議論の進展に不満があっても、その結論は先例になって以後同様のケースを判断する場合のモデルになるはずなので無駄にならないです。--EULE会話2020年8月11日 (火) 09:29 (UTC)[返信]