Wikipedia:井戸端/subj/郷土関係の記事における事実と判断の区別

いわゆる地理郷土関係の記事について[編集]

郷土の記事について質問します。「学校が多い」とか「ビルが目立つ」といった稚拙な表現をそのまま書く人がいるんで困っています。百科事典は個人の感想をそのまま書くのはおかしいので改善したいと思います。なにかうまいやり方があれば教えてください。-- 2006年11月4日 (土) 16:34 (UTC)[返信]

少なくとも「学校が多い」とか「ビルが目立つ」というのは、個人の感想ではなく、その地域における事実を客観的に説明しているものと思います。周辺域などと比較して、そのもの(ビルや学校)が多く存在するということを意味していると思います。状況を示しうる言葉など付加すれば(ここ地域では何校学校があるから多いとか)いいかもしれませんが、くどい表現になるかもしれません。地域概況なんかの節に単に「ここは学校が多い」とだけ書かれているのであればなんでこうなのかという事が分からず、やはり問題だとは思いますが、多くの場合は記事全体みれば「…だから学校が多い地域である」という「学校が多い」と記述した事情やら理由やらみたなものが見られると思います。--ケンチン 2006年11月4日 (土) 17:12 (UTC)[返信]
えーと一点だけ。「学校が多い」とか「ビルが目立つ」というのは、「事実」ではなく、むしろ「判断」なんです(「理科系の作文技術」(木下是雄)の受け売りですが)。例えば「一行政区画内に学校がいくつある」とか「市街中心部にビルがいくつある」とかならば「事実」にあたりますが、「多い」「目立つ」とするのは、主観者の判断を伴うことです。「事実と判断」の区別は、「事実と意見」の区別以上に難しくて、境界線が引きにくいことが多いですし、実際問題、記述からすべての「判断」まで排除して、事実だけにするというのは難しいことではあるんですが、それを以て「客観的事実」とするのは誤りかと。--Y tambe 2006年11月4日 (土) 23:24 (UTC)[返信]

例えば上でのケンチン様の御発言に見られる 「その地域における事実を客観的に説明」の客観的という言葉が読者に全く伝わっていないのが現状ではないでしょうか。「オオツカアイはカワイイ」と言われても困るのと同じことかと。-- 2006年11月4日 (土) 17:24 (UTC)この部分を後から追加-- 2006年11月5日 (日) 16:28 (UTC)[返信]

例示された表現についてはどちらもダメでしょう。ビルが多いのなら商業的に発達していることを記述すべきだし、学校が多いのであれば環境がいいのか、単に広いだけなのかの記述がなければ地理の記事として意味がないと思いますよ。書けないのならその文は主観的だとして修正するべきでしょう。--Knua 2006年11月4日 (土) 17:36 (UTC)[返信]

図書館に行って地元の郷土誌とか調べてみると参考になると思います。郷土誌だからといって必ずしも客観的とは限らないのですが、少なくとも客観性の担保の一つにはなるでしょう。初心者が書き散らした主観的表現を客観的表現にまで高めていくのは楽しい作業ですよ。Ray go 2006年11月5日 (日) 00:15 (UTC)[返信]

詰まるところ、「学校が多い」やら「ビルが目立つ」と書れていることに対する元になった理由や根拠みたいなものがしっかりと書かれていれば解決するということではないでしょうか。その理由やら根拠みたいな部分が不足していたりするから、個人の感想に見えたりすると思います。かといって、その根拠みたいな部分つらつらと書いてもくどいだけの事もあると思いますけどね。Y tambeさんのおっしゃるように「判断」をすべて排除するはウィキペディアに限らず無理でしょうし。--ケンチン 2006年11月5日 (日) 09:55 (UTC)[返信]

ケンチン氏の「元になった理由や根拠みたいなものがしっかりと書かれていれば解決するということではないでしょうか」という他人事のような発言にはあきれる。ケンチン氏はこれまでにも以下のような記事を量産しつづけているのだから少しは反省してはどうだろうか。無理だ(と自分が判断する)からそうなるように努力しないというのはいかにも子供っぽい。「Y tambeさんのおっしゃるように」って、ケンチン氏は本当に自分にだけ都合よく解釈する御人なんだなーと感じる。

  • 千駄ヶ谷
    • 「オフィスビルなどが目立つ」
    • 「オフィスビルが多い」
    • 「オフィスビルが多く見られ」
    • しかもこれらを他人が修正すると、「必要なのだから消さぬように」という理由でリバート
  • 上高田
    • 「寺院が多く」
  • 富ヶ谷
    • 「ビルやマンションが目立つ」
  • 笹塚
    • 「ビルや商店などが目立つ」
    • 「比べてもさほど大きいというものでもない」

--82.165.176.160 2006年11月5日 (日) 10:57 (UTC)[返信]

なら、どういう表現すればいいのでしょうかね。提案もなく一方的な非難では反省のしようがありませんし、私には分かりません。あるいは、幹線道路沿いにビルが立ち並んでいる様や駅前の商業地にビルが集まっているといった類の情報はウィキペディアに書くなという事でしょうか。あと、私の書いた記事ピックアップされるのは結構ですが、まとまった文章の中の一表現を掻い摘んで出されても、対応のしようがなく困りますね。前後の文章関係まで示して、それではじめてそれについての是非がいえるのですが。これではまるで、「ビルが多い」はNGワードですね。それに具体的に異議があるなら、各ページのノートにお願いします。--ケンチン 2006年11月5日 (日) 11:44 (UTC)[返信]
「ビルが多い」とか「寺院が多い」とかの表現は典型的なPOVと思います。もし、誰か「ビルが多いとはいえない」、「寺院が多いとはいえない」と主張して記述を消したらどうするつもりですか?根拠として個人的にそう思ったにすぎない理由を挙げたなら、「自分はそうは思わない」と主張して記述を削除する人が出てくるかもしれませんが、そうしたらどうします?Wikipedia:検証可能性に基づいてその記述の出典を要求された場合、個人的意見では出典を示せませんから削除する方に正当性があります。これらを考えると記述を残す方法として一番確実なのは出典を挙げることです。単に「ビルが多い」と書けば「判断」ですが、出典を示して「『文献名』によればビルが多い」とすれば「事実」になります。しかし、こういう情緒的じゃなくて、もっと定量的な書き方があるようには思えますけど。218.41.138.219 2006年11月5日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
この下で県氏の言われる「ケンチン紀行文」があまりに多くて1つ1つノートで議論する気にもなりませんorz
[1][2]などエラそうな発言が目立つ割には Wikipedia:投稿ブロック依頼/ケンチン20060627 Wikipedia:削除依頼/ケンチンにより作られた名字の記事などの問題行動も見られます。結局ケンチン氏の参加姿勢はどこか自分中心っぽく,だから主観色の強い記事をいつも連発するのでは。ここが協同作業の場であることから,省みることも必要では。--58.68.29.93 2006年11月6日 (月) 18:11 (UTC)[返信]

特定の方への批判の場になりつつあるようなのは本意ではないのですがコメント。ケンチン様は理由や根拠がしっかりと書かれていれば解決するとわかってらっしゃる。にもかかわらずIP氏が例示した記事をはじめその理由にあたる情報が欠落しているように映ります。ここは百科事典であって紀行文の投稿場所ではないと思います。ご自身が現地を歩いたり地図を見た時の感想(判断)を連ねるのはどうかと思います。 くどいだけの事もあるという個人的な理由で根拠や出典を排除するのはおかしいと思います。-- 2006年11月5日 (日) 16:28 (UTC)この部分を後から追加-- 2006年11月5日 (日) 17:19 (UTC)[返信]

多くの方からのコメントお礼を申し上げます。事実と判断の区別という考え方は新鮮でした。図書館に出かけ客観性の担保となる資料を集めます。定量的な書き方を心がけ、主観的表現を客観的表現に高めます。どうしても修正できなさそうな主観的情緒的表現は削除も検討します。-- 2006年11月5日 (日) 16:28 (UTC)この部分を後から追加-- 2006年11月5日 (日) 17:19 (UTC)[返信]

ケンチン氏。わからないなら自粛すればいいんじゃないの。219.114.60.27 2006年11月8日 (水) 03:52 (UTC)[返信]

個人攻撃になりつつあるので、本題に戻しますが…。例えば、広島市中心部には「寺町」という町があって、その町名の由来は「とにかくお寺が多い」ことなんです。おそらく、100人いれば100人誰が見ても、「お寺が多い」と感じるはずです。この場合でも、「お寺が多い」と書くとPOVになるのでしょうか? --idea 2006年11月8日 (水) 07:33 (UTC)[返信]

(idea様へ)かつて京都に住んでいた私個人の感覚では広島の寺町程度ではお寺が多いと思えません。それはさておき。町の名前の由来になったということは特記事項でしょう。ただし現在の様子(お寺が多いこと)の表現には「寺町の面積の90パーセントが寺社地だ」「中区の寺の75パーセントが寺町にある」などとしたほうが百科事典には望ましいのではないでしょうか。(75や90という数字は適当です。)-- 2006年11月8日 (水) 11:51 (UTC)この部分を後から追加-- 2006年11月8日 (水) 12:13 (UTC)[返信]

単純に「寺町にはNカ所の寺院がある」で十分だと思います。とはいえNカ所の寺院がある町は他にもあるでしょうから百科事典に書くほどではないということになりそうです。重要なのはそういうことではなくて、その地域に寺が集まった理由の方ではないかと。自然に集まったのか、人為的に誰かが集めたのか、もし後者であれば、寺が多いから寺町なのではなく、寺町ができてから寺が集められたのかもしれません。そういう歴史的経緯はその地域に特有のものでしょうから百科事典に書くに値するということになるでしょう。明らかな間違いとか偏向は別として、「学校が多い」でも「ビルが多い」でも何らかの加筆の種にはなるハズなので、自ら発展的加筆ができないのであれば加筆できる誰かが現れるまでそっとしておくのが大人の対応だと思います。Ray go 2006年11月9日 (木) 12:05 (UTC)[返信]

えーと、100人が100人…というのは言い過ぎだったかもしれませんが、京都と比べるのも、ちょっと極論なのでは…と感じました。 普通に考えれば、同じ市や県との比較というのは、私はおかしくないと思います。
ここで問題なのは、書き方なのではないでしょうか? 単に「寺院が多い」だけだと、その比較対象が明確でなく、差がわかりにくいです。正確な数がわかればベストですし、正確に分からなければ「近隣地区に比べ、二倍ほどの数である」とかなら、受け入れられやすいように思います。
地元の執筆者の地域記事に対して、全く知識のない他県の人間が、どのように査読に関わるのか…という意味でも、ここでよく議論してもらいたい話題だと思います。--idea 2006年11月9日 (木) 12:20 (UTC)[返信]

一応念のため書きます私は「寺町のお寺が多い」ということを否定したいわけでも削除したいわけでもないですから。もっと別の表現にすることでどんな人にも等しく理解してもらえるよう記事を改善できればと思います。今回どのような記述を心掛ければ改善するのだろうかに興味があってこちらに質問しました。

(Ray go様へ)御意見ありがとうございます。何パーセントというのは改善の例示(一例)として挙げただけなのであまり深く受け取らないで下さい。

(idea様へ)そうですね。多いとは比較の表現ですから何らかの対象を書くことは大切だと私も思います。ところで「全く知識のない他県の人間」というのは私のことですか? 議論とは関係なですが私の実家は寺町のすぐ近く(三篠、横川駅の近く)なので寺町についても色々知っているつもりです。-- 2006年11月9日 (木) 14:21 (UTC)この部分を後から追加-- 2006年11月9日 (木) 14:41 (UTC)[返信]

いえ、一番最後の段落は、「地域関連の記事」全般についての事です。「全く知識のない他県の人間」とは、Wikiに関わる全ての人のことです。全ての地域、全てのジャンルに精通している人は、そうそういないでしょう。例えいたとしても、それで「特別扱い」(専門家扱い)されるべきでもないと思います。--idea 2006年11月9日 (木) 15:04 (UTC)[返信]

「お寺が多い」という表現自体はそれほど問題にならない気もしますが、その言葉が拡大解釈される可能性のある文脈で使われると問題になるかもしれませんね。例えば寺町の項目で「お寺が多い」と書かれれば、読者に「寺が多いから寺町」という印象を誘発する可能性があります。こういう場合、例えば「福島正則が城下町に寺町を設けて寺院を集めた。現在でも多数の寺院が残っている」という風に加筆すれば誤解を防ぐことができますし、寺が多いということもごく自然に伝えられると思います。Ray go 2006年11月10日 (金) 14:19 (UTC)[返信]