Wikipedia:井戸端/subj/長寿者の掲載基準

長寿者の掲載基準[編集]

ここ最近、スーパーセンテナリアン(110歳以上の人物)の立項が目立ちます(Category:スーパーセンテナリアンCategory:日本のスーパーセンテナリアン等をご覧ください)。確かに、110歳以上まで生きるのは並大抵のことではないし、国内最高齢、世界最高齢になるのはなおさらでしょう。しかし、私は高齢であることのみを以って特筆性の根拠とするのは少々無理があるように思います。私が過去に提出したWikipedia:削除依頼/小林薫 (スーパーセンテナリアン)では「高齢であることだけでも特筆性を満たせる」として存続票を入れている利用者が複数いましたが、Wikipedia:特筆性 (人物)を満たすような言及はありませんでした。彼らはあくまで一般人であると考えられ、国内最高齢、世界最高齢になった人物でも高齢ということ以外の情報が全くないか、少ないことが多いです。はたしてこのような記事に百科事典的な記事としての発展性があるのか私には疑問です。Wikipedia:特筆性 (人物)#ひとつの出来事でのみ特筆性をもつ人物にもあるように、長寿ということ以外で著名な実績がある場合を除けば、独立記事を作成すべきか慎重に議論する必要があるように思います。少なくとも、国内最高齢、世界最高齢になったということで、歴代の記録保持者の記事を片っ端から立てる必要性は全く感じないのですが、長寿者の単独記事の掲載基準につきまして、皆様のご意見をお聞かせください。--Aoyama 0:29 am 2nd (talk/contributions/log/mail) 2022年8月31日 (水) 03:47 (UTC)[返信]

  • コメント 個別具体的な話はなんともわかりませんが、「100歳であるから」記事にするのではなく、「100歳であることによって世間から注目された」ことをもって記事にするわけです。
  • 一般論としてはWikipedia:独立記事作成の目安が基本指針です。そこにある「一般的な目安」をクリアするかどうかです。つまり、「このひとは100歳ですよ」「この人はいつ生まれ、こんな人生を歩み、今はこうしてます」とマスコミが報じたとかであれば、いちおうは目安をクリアしたことになるでしょう。
  • 一方でウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんウィキペディアは名鑑ではありませんも考慮する必要があります。たとえば『日本百歳超人物名簿2022年版』みたいなリストに載っているというだけではWP:GNGをクリアしたとは言えないでしょう。Wikipedia:存命人物の伝記(プライバシー問題)も考慮すべきでしょう。
  • その上で、「一般的な目安」の各項目について個別に検討を要するでしょうねえ。たとえば、ちょっとググれば、A県B郡C村の広報誌の過去板のPDFみたいのはバンバン見つかります。その9月号の「敬老の日の記念品対象者リスト」に「F村G子さん(D地区)101歳」しか情報源が見つからないというような場合には、さすがに単独項目に見合う特筆性が有ると主張するのはしんどいと思います。ご指摘のきっかけになった削除案件などはこのパターンでしょう。
  • しかしその広報誌で「地域の高齢者コーナー」で何度も取り上げられていて、それ相応の文章量があるとなっていくと、話はいくらか違ってくるでしょうね。ここらへんは一般論で片付けるのは難しく、個別に検討すべきでしょう。たとえば私は地域郷土資料に多くあたりますが、ある特定の郡とか村とかのエリアにいくと、公共図書館に納められているような文献でも、ちょっと個人情報だだもれすぎじゃないかと心配するようなものもあります。地区の全戸の家系図・家族構成・顔写真が掲載され「うちの次男は今年の春に高校受験に失敗しました」とか書いている本とかが2020年代でもあったりします(さすがにプライバシー的な意味で正気を疑う)。
  • こういうのはなにも「100歳」に限られたことではなく、地域コミュニティー誌レベルまでいくと、過疎地に引っ越してきて民宿はじめた人とか、脱サラした人とか、「ほぼほぼ一般人」が実名で採り上げられたりしています。プライバシー×一過性でそれなりにふるいにかける必要はあるのでは。--柒月例祭会話2022年8月31日 (水) 11:44 (UTC)[返信]
    回答いただきありがとうございます。削除された長寿者の記事は「特筆性がない」とい理由もあれば、「百科事典的な記事に発展する見込みがない」という理由もありました。特筆性の奇人は大体わかりますが、問題は後者で、「『この人はいつ生まれ、こんな人生を歩み、今はこうしてます』とマスコミが報じた」長寿者もこの理由で削除となりました。一応は独立記事作成の目安をクリアしていたとしても、百科事典としての発展の見込みについては別問題なのですかね?何を以って百科事典的とするかは少し難しいところですが、やはり個別に検討する必要がありそうです。--Aoyama 0:29 am 2nd (talk/contributions/log/mail) 2022年9月1日 (木) 10:51 (UTC)[返信]
返信 (たいへん亀レスですが)Wikipediaは共同作業ですので、様々な利用者がいます。そうすると価値観や判断基準はひとによって様々です。そのため、Aさんは「これだけ情報源で特筆性が十分だと思う」「発展が見込める」といって書いたものが、Bさんがみると「この程度ではプライバシーの点で問題だ」と感じる場合もあるでしょう。で、その場合は合議して(ときには投票で)判定するわけです。おっしゃるとおり、あとは個々の事案ごとに検討することになるでしょう。--柒月例祭会話2022年10月6日 (木) 07:15 (UTC)[返信]