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Wikipedia:意思決定プロセス

注意:この文書は英語版で提案されたものを日本語版に移入したものです。しかし、英語版のこの文書は廃案となっています。

一定の基準を定めることができるウィキペディアには、プロジェクトに対し常時守るべき方針を形成する手順を作成する決定が必要だ、という意見で、多数の利用者が一致しています。その手順は、個々のケースで方針を解釈するのにも使われるでしょう。

以下には、異なった種類の手順が提案されています。

投票

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参照:Wikipedia:投票の指針

投票は、さまざまな異なった方法で実施すべきです。さまざまな問題や人に関して投票がなされます。以下は、投稿方針と個々の利用両面の明確な問題に関し投票するための提案です。元々、ウィキペディア英語版のErik Möller氏がwikipedia-lで提案されたものです。

利用者は票を二種類作ります。質問票(拘束力はない)と方針票(拘束力・強制力がある)です。(現在の管理者団より多い)利用者の少数グループのみ方針票を作成することができますが、同グループ(たとえば全員>=投稿者数)は両方の票に投票できます。方針票には、利用者Xをブロックする、ページYを削除するといった、明確な選択肢が含まれますが、同じ議論/投票原則に従います。

票には署名をし、利用者は投票がなされるページで異なる選択肢に賛成か反対かの議論を行うことができます。ここでは「投票:利用者Xの投稿ブロック」を仮定し、異なる意見をご覧ください。投票ページはこんな風になっています。

賛成

反対

X氏はばかげた投稿をたくさんしておられ、信頼できません。--K. 15:19 Nov 15,2002(UTC)

X氏はxxという貴重な投稿をしており、投稿態度を良くしようとしておられます。 --H. 12:14 Nov 21, 2002(UTC)


投票

賛成[ ]
反対[ ]
分からない[ ]
もっと情報が必要[ ]

質問票は、自由かつ根本的で明確な選択肢に対し、理にかなった人々の、あまり極端な対立を生じさせない意見を集めるのに使われるべきです。投票様式と同様、(勝者がすべてを手にする)多数決と選択投票の併用が理論的に単純で支持されるべきです。方針票は(異なる選択肢を明確にして)多数決で投票を行ったほうがうまくいくでしょう。

最近加えられた投票は「最近更新したページ」のように別のページにリストアップされるべきです。投票は、投票を設定した人物によって設けられた期限を過ぎたら閉じられます。方針票に関しては、行動の種類にもよりますが、投票したいかどうかの異なる開始点を設けることができるでしょう。たとえば、匿名の利用者をブロックすることは、署名された利用者をブロックすることより容易であるべきです。最低限の投票は必要かもしれませんが、必要すぎることはありません。

起こりうる問題

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投票はいくつかの段階で批判されています。たとえば、ウィキペディア英語版のKenneth Arrow氏は、民主的なシステムには規定を要求すべきとの判断基準をいくつか提言しており、それは相互矛盾であると結論しておられます。特に、一般的な多数決方式は、しばしば望まない結果を生むと批判しておられます。(この点で、投票システムの最大の批判が、論争点ではなく、候補者が投票する機能に焦点が当てられている、価値のあるご指摘です。)

多くの類似する選択肢を扱うときには、多数決投票には問題がある場合があるように思われます。たとえば、「中立的な観点は一般的な方針であるべきだ」、「中立的な観点は一般的な方針だが、修正Xを付け足すべき」、「中立的な観点は一般的な方針だが、変更に対し開放的であるべき」などの選択肢がある場合です。この場合、一つの選択肢に対し明確な過半数意見がないなら、まったくの同票が起こりえます。それで、特に、選択が本当に最もふさわしいものである、選択的な投票を提案すべきです。これにより、投票者が自分個人の好みを高いランクにすることができるため、戦略的な投票を避けることもできます。

少数の、もっと対立する意見がある場合、多数決はもっと適切な、問題の少ないものになるでしょう。投票が基本的に「賛成」、「反対」、「わからない」に要約されれば、戦略的な投票はあまり起こらないと思われます。

疑問を生じさせるような権力は無視すべきではありません。

投票には、明確な有権者や、個々が確実に自己認識する手段が必要です。ウィキペディアはどちらも持っていません。

恐らく、いったん投票が始まると、投票文が凍結するのではないでしょうか。

一致した意見

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決定は、適正な決定がなされる大まかな一致に至るのを目指し、議論の手順を踏んで厳密になされるべきだと提案されています。たとえば、利用者たちが中立的な観点の指針に常時違反したためブロックすべきかどうかの疑問に関し、すべての関係者が特定の解決策に賛成反対の議論を行っているページで、決定がなされるべきです。一致した意見が見つかるなら、ちゃんとした解決策がなされます。そうでないなら、何も変えられません。

起こりうる問題

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その手順にはいくつか批判があります。手順を踏んで特定の決定を成功させても、議論の良さや意見の明確さではなく、個々の当事者の動機が反映されるように思えます。たとえ、適正な行動が必要だと大多数の人が明確に認めても、彼らの主張に対する過去の長い弁明に興味を持った一個人が、無制限にその手順を正当化するかもしれません。これはすべての議論に耳を傾けることが望ましいという点に異議を唱えるわけではありませんが、議論というのは、ちょうど「人がうまく行動することに信頼を寄せない」ように、しばしば特定の視点やあからさまな反対意見に立ってなされているものなのです。

別のケースでは、少数意見の人が、ほとんどの人が十分に記述しなかったという単純な理由で、詳細な論議を書くために特定の変更をしようとするかもしれません。その時大多数の人は、だれも望まない変更に、結果的に驚かされるかもしれません。

結論

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では、上記のことから何を学べるでしょうか。異なる選択肢に互いに重点を置いて、決定がなされるべきです。