Wikipedia:査読依頼/宮崎奈穂子 20130611
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以前にも査読依頼および良質な記事の選考に出しており、主に出典の信頼性・検証可能性と、それらの使い方について、厳しいご意見をいただいた記事です。二次資料が出揃ったこともあり、全面的な書き直しを行いました。出典の使い方に問題ないか、またディスコグラフィーに収容する情報はこれでよいか、ご意見賜りたいと存じます。--Uttiee56(会話) 2013年6月10日 (月) 15:55 (UTC)
- 【査読】 ──専門家の方による審査結果。
- 【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
- 【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
- 脚注による出典の明記がしっかりとなされており、その点はよいのですが、百科事典的でない情報を詰め込みすぎており、全体として「一歌手の成功の過程を追うドキュメンタリー」みたいになってしまっています。特に「だが、なかなか声を出せない。」とか「涙があふれた。」などですね。初めて路上ライブをはじめたときの情景などを克明に描写する必要もないと思います。情報源にあれば何を書いてもいいというものでもないので、「百科辞典的な記述・情報」と「そうでないもの」とをちゃんと選り分ける必要があります。他の分野でも構いませんので、秀逸な記事や良質な記事に選ばれている人物記事などを読んで、百科事典的な文・スタイルといったものをもう少し吸収して頂ければと思います。
- なお、他の方がエピソード節の設定を勧められていますが、雑多な情報の節となりがちですので私は控えたほうがよいと思います。--頭痛(会話) 2013年6月16日 (日) 23:49 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。おっしゃるとおり、百科事典の記事というよりは、ドキュメンタリーになってしまっていると思います。対象への思い入れが強いということもありますが、出典である新聞記事にできるかぎり忠実に書こうとした結果でもあります。しかし新聞記事というのはまさにそのドキュメンタリーなので、百科事典の記事になるように自分で文章を作らないといけないなと思いました。音楽分野ではあまり参考になる記事が見つかりませんが、アスリートの記事などには参考になるものがあるので、百科事典の存命人物の記事の文章のあり方を自分なりに考えてみます。ありがとうございました。--Uttiee56(会話) 2013年6月17日 (月) 13:54 (UTC)
- 【感想】 ──専門外の方による感想。
- 執筆対象に対する深い思い入れを感じます。執筆動機としてはよくあることですし、それが良い記事に育てる方向にも繋がる場合は多々あると思います。ただ、現状はちょっと個人的な思い入れが先行した文体になっており、百科事典とはやや方向性がずれていると思います。こういうのはなかなか説明しづらいのですが、一度ユーザーサンドボックスなどを使って全く思い入れのない他の歌手のページを作ってみてはいかがでしょうか。それによってもう少し距離の取れた文体になるでしょう。「mixiのコミュニティ」というところに注を付けたり(ここに文献注を付ける意味が分かりません。もし客観性を担保するための注であるならば、文末でしょう)、「仮歌」にリンクと注釈を両方付けるような事もなくなるのではないかと思います。例えば、初めての路上ライブのときのエピソードは何か一つの出典で網羅できないものでしょうか。あと、これは「来歴」とは分けて後半に「エピソード」と言った形で載せた方がよいと思います。--Nkymysnr(会話) 2013年6月16日 (日) 14:45 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。思い入れ過剰という評価は予想していましたが、自分ではどこが悪いのかなかなかわからないので、ご指摘いただけると有り難いです。個々のエピソードを詳しく書きすぎなのかなという気がします。もっと対象に距離を置いていれば、あっさり説明するだけで済ませると思うので。「mixiのコミュニティ」の注ですが、この文全体としては東京新聞の記事を出典としているのですが、この「mixiのコミュニティ」の部分のみ宮崎さんの自伝を出典にしているため、ここだけ付けています。ですが、ここは「mixiのコミュニティで探して」ではなくて「ネットで探して」でも百科事典の記事としては十分なわけで、そうすれば新聞記事のみを出典にできますし、思い入れ過剰も軽減されるのではないかと思います。特別ファンというわけではない歌手の方の記事を書いてみようという意志もありますが、いつになったらできるかわからないので、まずはそういう方向で見直してみたいと思います。ありがとうございました。--Uttiee56(会話) 2013年6月16日 (日) 16:19 (UTC)
- 【その他】 ──表記・文体など