Wikipedia:査読依頼/根戸城 20200129
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記事立項者です。小さな加筆をコツコツと積み重ねた結果、マイナーな記事にしては13,867バイトというかなり大きい記事になりました。私としては出来る限り出典もつけてきましたし、かなりいい記事に成っているのですが、なかなか1人の目では抜け落ちているところもあろうかと思い、今回査読依頼に出させていただきました。全体的に節の内容が1つ1つ小さめなのですが、これ以上調べあげられませんでして…。そこで、皆様には、新たな出典(つまりまだ記事に使っていないもの)があればご教示いただきたく思っています。皆さんのご協力により、より素晴らしい記事となる事を楽しみにしております。--Tmv(会話|投稿記録) 2020年1月29日 (水) 08:20 (UTC)誤字を修正しました--Tmv(会話|投稿記録) 2020年2月8日 (土) 07:38 (UTC)
- 【査読】 ──専門家の方による審査結果。
- 【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
- 【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
- 【感想】 ──専門外の方による感想。
- 少ない資料をよくまとめられていると思います。他の出典の情報はないので、文章表現的な点しか指摘できませんが、2点程。
- 冒頭文について:冒頭で「同城について記載した最初の文献は1920年(大正9年)刊行の『富勢村史』であり、はっきりと断定できることは何一つない。」とありますが、若干唐突な印象を受けるので冒頭で概要を示すにあたっては「大雑把にいつ頃の城なのか」を示した上で、資料が乏しく詳細が不明であること、最初の文献は1920年(大正9年)のものであること、という順番で進めた方がいいかと思います。
- 発掘調査について:突然「Aトレンチは西側の郭のさらに西に~」と始まってこれも唐突な印象を受けるので、発掘調査が複数のトレンチを設定し掘り進める方式で行われていること、全部でAからEまでの5つが設定されていることを説明してからそれぞれの配置の説明に移った方が良いと思います。表にある「01住居跡」もそうですが、あらかじめ知っていることを前提にした説明が若干多いように感じられます。--TEN(会話) 2020年2月18日 (火) 13:18 (UTC)
- 【その他】 ──表記・文体など