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Wikipedia:秀逸な記事の選考/史的イエス 20040311

(ノート) 秀逸な記事に掲載されていましたが、どうやらまだまだということらしいです(このページのノートの指摘から)。ですが、キリスト教関連は執筆者も多く、あるいは秀逸な記事にすることもできるのではないかと思いました。 もしも「この記事は当面そういうレベルには達しないだろう」ということであれば、このページからも除外して下さって構いません。Tomos 16:28 2004年3月11日 (UTC)

  • 専門家の方々の目から見ればまだまだ、ということのようですね。そういう意味では、育つ目処はありそうに思います。このページに残し、加筆を待つのが良いと思います。

一方、素人から見た個人的な感想ですが、充分秀逸な記事だったのに編集が加わることで秀逸な記事から脱落していった、という印象を受けています。その経緯は以下のように私は把握しています。

  1. 当初は「イエス・キリスト」という項目名の大項目主義的な記事として、イエスに関する様々な知識が網羅的に取り上げられていた。これが好感され「秀逸な記事」としてリストアップされた。
  2. その後、専門性の見地からか読み手の理解を助けるためか、複数の内容が併存する状況を改め、小項目主義的な子記事へ内容を分割する編集が加えられた。元の「イエス・キリスト」は史的イエスへページ移動され、その項目名に当てはまらない内容は他の各子記事へ転記された。
  3. それにより各記事の専門性は高まり正確さや理解しやすさも向上したが、各記事の規模や情報密度や網羅性は減少した。より多くの情報を求める要望も上がり、そのため秀逸な記事としては不十分とされた。
  4. 現在では、加筆された内容を含む「イエス・キリスト」関連記事群は、イエス・キリスト内から飛べる記事で俯瞰することができる。

現在の秀逸な記事の選考制度では小項目主義の記事をすくい上げることにはなりませんので、複数記事により構成された充分に秀逸になっている記事群が注目されないのは残念です。またページサイズの加減で、秀逸な記事だったものが分割されて、(それぞれは大して圧倒されない)複数の記事に分かれてしまうことも将来的にはあるでしょう。まあその辺は、百科事典としてもウィキペディアとしてもしかたないことなのでしょうか。 - Gombe 04:32 2004年3月29日 (UTC)

  • Gombeさんへ。私は、いわゆる小項目主義でもここでいう「秀逸な記事」でありうると思っています。ただ、ある程度の分量は必要となるので、大項目主義の方が有利(?)とは思われますが。一読者としては、記事名(リンク)から想像される(もしくはそれ以上の)内容が、十分かつある程度完結して提供されていて欲しいと思っています。もちろん詳しい背景知識は別記事を参照でかまいません。逆に言えばそれができていれば小項目主義の記事でも十分秀逸だと思います。また、今後秀逸な記事が分割された場合、今回のように個々の記事を再度選考する方法で良いのではないかと考えています。いかがでしょうか。電気山羊 06:20 2004年3月31日 (UTC) P.S.大小項目主義の定義を知らないので取り違えているかもしれません...
  • 感想: 素人目には充実した内容だと思ったので、専門家による今後の加筆を期待しています。電気山羊 06:20 2004年3月31日 (UTC)