Wikipedia:秀逸な記事の選考/徳川家康 20080128

徳川家康[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/0/5 この項目の選考期間は、2008年4月28日 (月) 01:36 (UTC)(2008年4月28日 10:36 (JST))までです。(ノート)

《(北宋の選考でのコメントを参考に推薦しました)重要な事項がまとめられていることや、史料が多いことなどが推薦の理由です。徳川家康は、歴史上重要な人物ですので、その点でも適当かと思います。》--文章 2008年1月28日 (月) 01:36 (UTC)[返信]

  • (保留)徳川家康の記事自体、日本史において、最重要項目の1つですし、丹念に、事実に基づいて記事を構成してある良質の記事であることは否定しませんが、もう少し、検証可能性を担保にした文章を心がけていただければと思います。以下に、何点か。

「生涯」の説に関しての問題は、以下の通りとなります。

    1. 父親・松平広忠の死亡に関して。岩松八弥による暗殺、病死などと言葉を濁している点が気になります。それぞれの説の担保になる文章を脚注でマークアップしてください。
    2. 「徳川家康が武田信玄の子供」という文について。確かに、家康が信玄を尊敬していたのは事実でしょう。とはいえ、本当に、家康が信玄の子供かどうかを担保する文章がどうしてもほしい。あくまでも諸説なので、脚注でマークアップしていただければ十分だと思います。
    3. 「信康の殺害」に関して。「信長による謀略説」・近年での研究による「家康と信康の対立説」を脚注によるマークアップをしてください。
    4. 「本能寺の変」直後における甲斐攻略に関して。川尻秀隆を謀殺した家康扇動説があるのであれば、脚注によるマークアップが望ましいです。
    5. 「征夷大将軍」の節に関して。笠谷や煎本の研究書を注意としてマークアップするよりは、むしろ、征夷大将軍の節を分節化して、就任に関する最近の研究を導入したほうがいいのではないでしょうか。その分記事の内容も膨らみます。
    6. 「最期」の節に関して。食中毒説は人口に膾炙していますが、さて、その真相はどうか。おそらく、胃がんか梅毒だということであれば、その研究書を脚注にてマークアップしてください。また、余談の項目を強いて書くのであれば、同様に、脚注によるマークアップが必要です。

「逸話」の節に関しては、箇条書きを改める必要がありますね。セミコロンを使っての記事構成は感心できるものではありません。以上、駆け足ですが、がんばって改善していただければと思います。--Tantal 2008年1月28日 (月) 11:51 (UTC)[返信]

  • (反対)1番最初に書いていた保留意見は取り消します。他の4氏が述べているとおり、文章があまりにも「ものがたり」的であり、徳川家康の中世から近世へ橋渡しの役割を果たした視座がどうしても欠けているかと思います。--Tantal 2008年2月8日 (金) 12:06 (UTC)[返信]
  • (反対)情報量も豊富ですし、一定の評価ができる記事だろうとは思います。しかしながら、本項の執筆のために参照した参考文献が1冊も提示されていないのは致命的だと思いました。加えまして、全般的に独自の考察と思しき表現・記述が目に多くつきすぎると感じています。特に「評価」節は、戦国史・近世史研究者による家康評価について、どの研究者がどのような評価を行ったかが内容の中心になるべきところですが、そのような記述はほとんどなく、「近現代における評価」節では小説家による評価がほとんどを占めている有様です。本項を秀逸水準まで引き上げるには、コンテクストを全面的かつ根本的に見直す必要があると思いました。例えば、平野明夫『徳川権力の形成と発展』(吉川弘文館、2007)、本多隆成『初期徳川氏の農村支配』(吉川弘文館、2006)、曽根原理『徳川家康神格化への道―中世天台思想の展開』(吉川弘文館、1996)、藤野保『徳川政権論』(吉川弘文館、1991)、藤野ほか編『徳川家康事典』(新人物往来社、2007)などがご参考になるかも知れません。がんばって改善していただけたらと思います。--shimoxx 2008年1月30日 (水) 16:38 (UTC)[返信]
  • (反対)まずは参考図書の明示と、それを踏まえた内容にすることです。ここはウィキペディアで、求められているのは歴史のおはなしではなく、簡潔な内容の把握と、レファレンスなのですから。Aboshi 2008年2月2日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
  • (反対)内容は充実していますが、記事構成の完成度は高くないです。具体的には他の方からの指摘があるように、「出典」または「参考文献」が挙げられていないこと、「逸話」というトリビアを集めた節がありWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるを見て修正すべきであること、などです。徳川家康だと、どの参考文献を「より信頼できる情報源」として扱うかの吟味だけでも相当時間がかかると思います。--ZERO 2008年2月4日 (月) 15:01 (UTC)[返信]
  • (反対)繰り返しは避けますが、反対の理由はshimoxxさん、Aboshiさん、Zeroさんに同じく。なにより冒頭文と特に概要節が失当です。これをみるだけで執筆者の関心が百科事典的記述から遊離していることがわかります。軍略家としての家康の評価はおくとして、その家康が当時の社会、ひいては日本の歴史でどのような役割を果たしたのか。徳川家康のなにが百科事典においてもっとも中心的なテーマとして語られるべきなのか、という点を見つめ直し、そこから再構成される必要があります。もうひとつ強く申し上げておきたいのは研究史的な内容と「評価」があまりにごっちゃになっています。ある特定の時代・社会におけるイメージと、研究における人物像の描き方の変遷は分けられるべきです。現状の記事は後者が前者にすっぽりとつつまれてしまう状態で好ましくありません。正直申し上げて「評価」なる節が設けられるならば、それは武力が優れたとかそういうことではなく、日本における封建制の最終形態を導いたのか、それとも中世的あり方から近世的あり方への変革を完成させた者であるとかのまなざしであるべきで、日本史の研究的叙述が社会経済史に偏りがちであるという観点も一方で自覚しつつも、現状の日本歴史人物関連の「評価」節はあまりに伝承的、それこそAboshiさんのおっしゃる「おはなし」の度合いが高すぎてうんざりしていることを申し添えたいと思います。--Kotoito 2008年2月4日 (月) 21:12 (UTC)[返信]

私が保留から反対に意見を変更したので、このまま1週間経過して、他の意見が出ないようであれば、徳川家康の選考自体、早期却下になります。--Tantal 2008年2月8日 (金) 12:06 (UTC)[返信]

⇒反対意見以外の意見がつかなかったので、早期却下の適用になります。とはいえ、今後の記事のブラッシュアップを期待しています。--Tantal 2008年2月15日 (金) 12:15 (UTC)[返信]