Wikipedia:秀逸な記事の選考/熊野三山本願所 20110108
賛成/条件付賛成/保留/反対 3/0/0/0
《推薦理由》自薦です。15世紀後半以降の熊野三山の造営・修造のための勧進と造営・修造の実務を担った組織に関する記事です。現時点でほぼ最新と言い得る研究水準までカバーされており、相応の品質の記事に仕上がっていると考えます。 ikedat76 2011年1月8日 (土) 05:24 (UTC)
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条件付き賛成)自分は読んでいて圧倒されるばかりで、大変すばらしい、充実した内容の記事だと思いました。それでも二つ、条件を付けさせてください。一つは、「概要」節を設けることです。長文記事は、そのままでは、要約された情報を手軽に入手したいという事典本来の任務には反するものがあります。なので、「概要」節を設け、一般の百科事典と質的・量的に同程度の文章を置き、そこだけ読めば全文に目を通さずとも一通り了解できるという形をとることが望ましいと私は考えています。
- 二番目は、言葉の意味です。最初の文章を読んだだけでは、記事名である「熊野三山本願所」が一つの団体のように印象づけられてしまいます。読み進めるうちに、歴史学者が付けた総称なのかなと思いましたが、それで良いのでしょうか。庵主が組織なのか組織の中の役職なのかもはっきりしないと感じました。この辺りすっきりしないので、冒頭部か概要節で明記してほしいと思います。注1、2も含めて「用語」節を切り出すのも一案かもしれません。
- また、複数ある本願所はまったくばらばらに存在するのか、それともまとまって行動したりまとまって規制されたりすることがあるのかも気になりました。然り、否、わからないと三通り答えがあるはずですので、可能ならそれを記していただきたいです(可能でなければこのままでよいです)。--Kinori 2011年3月9日 (水) 16:27 (UTC)
- 概要節については、15日の加筆で実質的に満たされたと思います。用語については事情を了解しました。賛成に改めます。--Kinori 2011年3月20日 (日) 00:04 (UTC)
コメント主執筆者です。ひとまず「概要」節の件だけ(語義については別途)。
冒頭定義部を、ここをもって概要に替える意図で長めに書くと同時に、個々のポイントについて本文へのリンクを設けました。いつ成立し、どのような組織でもってどのような活動を行い、どのような末路を迎えたのか、といった知るべきポイントについて要約を述べた上で、詳しく知るための誘導もしてあるという体裁です。
「概要」を設けるということもいっときは考えました。しかし、ご指摘の通り長い記事です。あの程度の定義から全体の要約まで一息に読めるという分量でどういう事柄が載っているのか分かるようにしないと、本文(概要)を読みに良く前に読者に逃げられそうだな(苦笑)という読者心理の問題として、現在の構成にしました。
また、「一般の百科事典と質的・量的に同程度」という点ですが、(大項目主義の場合はともかく)小項目主義のスタイルであれば、この程度で一応満たされているのかと思います。
執筆者の意図としてはこのようなものです。ものすごくざっくりした言い方をすると、読者に対するツカミがいるというご指摘だと思います。もしそうであれば、今の冒頭定義部でその用は果たしていると思いますし、概要を設けるのはなんというか屋上屋を重ねるようで、冗長に思えますがいかがでしょうか。--ikedat76 2011年3月9日 (水) 17:04 (UTC)書き改め。--ikedat76 2011年3月9日 (水) 18:26 (UTC)
コメント語義のほうもやはり回答を。質問いただいているのは2点にまとめられるかと思います。ひとつは熊野三山本願所の組織としての一体性について、もうひとつは庵主という語が何を指すのか。
まず前者ですが、熊野三山本願所というのは熊野三山(本宮・新宮・那智)の本願所の総称という意味では確かに歴史学者の付けた総称ではあります。ただ、熊野三山本願所#熊野本願九ヶ寺の組織と統制にあるとおり、近世初期(16世紀末から17世紀初ごろ)以降、熊野本願九ヶ寺を称して(互いに組織としては独立なまま)新宮をトップに戴いて連携して職務の遂行にあたっていた実態があります。ですので、Kinoriさんが2通りに理解できると考えたのは実は正しいですし、そのように読者に理解していただくべきところでもあります(冒頭定義部をその方向で少し変更してみました)。その点、熊野三山本願所#熊野本願九ヶ寺の組織と統制にも連携して活動していた趣旨の論述があります。また同じ箇所で、「それともまとまって行動したりまとまって規制されたりすることがあるのか」という疑問への答えになると思いますが、熊野三山本願所に属する願職(勧進を募るために各地に赴く熊野山伏・熊野比丘尼)の免状や称号を出すことができたのは新宮だった旨、論述してあります。なお、免状や称号を出すことを通じての統制という点ですが、さらに詳しいことは別の記事(熊野比丘尼)との連携に譲るという方向性を考えています(が、原稿がさっぱり書けません。誰か書いて…)。
庵主ですが、熊野三山やその本願所に関する文献でも、組織(本願所たる寺院)と組織のトップの役職(寺院の住持)の両方の用法があります。例えば、
熊野三山には〔中略〕それぞれに独立した本願所があり、熊野独自の呼び方として「庵主」と称されていた — 太田〔2008: 158]
では組織の呼称として使っていますが、同じ人の同じ論文の中で
先に一五世紀半ばまでの新宮庵主とされた人々を見た際〔後略〕 — 太田〔2008: 166]
とあり、その直後にある史料の引用[太田 2008: 167-168]では人を指して「庵主」という語が使われていることが分かります。別の文献(この記事では使っていない)では
梅本五十穂主は慶応四年に還俗した周憲の改名後の名前で、周舜は法明房と号した周憲の一代前の庵主である。 — 根井 浄、2001、『補陀落渡海史』 法蔵館 ISBN 4-8318-7533-3、p.116
と、人≒役職を指して使っています。
こうした例を見る限り、史料中でも研究者の間でも庵主が組織を指すのか役職を指すのか、必ずしも厳密に区別されていない(一般的な語の使い方としては「庵主」は人を指すと考えるべきでしょうが)というのがお答えになるかと思います。
もう遅いので、一旦ここまでにします。--ikedat76 2011年3月9日 (水) 18:14 (UTC)
本日から水曜まで地方出張のため、お応えできなくなります。ご了承ください。--ikedat76 2011年3月13日 (日) 09:32 (UTC)戻りました。節電対応だから帰れとお客さんに言われました。早く言ってよ…orz。--ikedat76 2011年3月15日 (火) 15:46 (UTC)
- ご説明ありがとうございます。概要節について、「本文(概要)を読みに良く前に読者に逃げられそうだな」とおっしゃいましたが、それが大事なところです。読者にとっての百科事典は一個の道具なのですから、逃げたい読者には逃げさせてあげるような、つまみ読みできる構成が、ベストだと思うのです。端的に何なのかを知りたいだけ、あるいは非常に基本的なデータ要目(何時代からとか)だけを忘れている人は、冒頭部分だけ読んですませる。ある程度詳しく知りたい一般的な人は、概要ですませる。学説・史料上の根拠など専門的なところを知りたい人だけが本文を読めばよい、と。
- 読者が百科事典に期待しているのは自分が知りたいことをコンパクトにまとめて提供してくれるものです。論文・書籍に期待するものとは違います。秀逸な記事も事典の記事として秀逸であるからには、記事のレベルに読者をあわせるのでなく、読者のニーズに記事が寄り添う形で、高度に練り上げてほしいと願っています。
- 概要説を設けると、予備知識のない人に見通しを与えることにもなります。レベルが高いこの記事に投票がこないのは、口に出さない欠点があるからではなく、一つは単純に読むのに時間がかかるから、そしてもう一つは内容・用語ともに専門的すぎて呑み込みにくいからだと思うのですよ。この記事の場合、たどりつく読者層は高めとみていいでしょうが、それでも寺社や修験の組織を学校で習うことはありません。私にしても、妙な二重組織があったことはほんの数年前に知りました。それが予備知識としてない人には、かなり読み進めるまで途中まで何のことかさっぱりわからない状態を強いられると思うのです。--Kinori 2011年3月15日 (火) 01:26 (UTC)
(インデント戻す)地震被害いかがでしょうか。どうぞ無理のない範囲でお願いします。
質問は2点いただいていたかと思います。「言葉の意味」は前回の回答と編集でよろしいでしょうか。ちょっとはっきりしないので確認です。
次に「概要」の件。「概要」の機能(「予備知識のない人に見通しを与える」「ある程度詳しく知りたい一般的な人は、概要ですませる」)については私もその通りだと思います。「概要」節という形を設けるかどうかで意見が分かれているというところでしょうか。
前回私が申し上げたのは、≪機能は満たされているから形は要らない≫という趣旨でした。冒頭定義部を長めにとって書くという現在の構成で、さらに加筆することでご指摘に応えるということは不可能でしょうか。最近、いくつか英語版の記事を読む機会をもったのですが、比較的長めで「概要」節としての機能を事実上併せ持つ冒頭定義部を持つ記事をいくつか見ました。予備知識のない人にとっては長ーい目次をこえてスクロールして「概要」節を読みに行くのも結構抵抗があるという観点からすると、英語版に見るその種の構成はなるほどと思うところがあります。ひとまず、具体的な案を2011-03-15 15:42:56 (UTC)版に示しますので、いまいちど検討いただけますでしょうか。--ikedat76 2011年3月15日 (火) 15:46 (UTC)
賛成良記事である。--Nekowood 2011年4月4日 (月) 07:04 (UTC),一旦 保留 ikedat76氏は何故利用者‐会話:ikedat76のPastern氏の質問に誠実に回答しないのであろうか?このような不誠実な利用者の記事ではその内容も果たして信頼してよいものか再考せざるを得ない。--Nekowood 2011年4月7日 (木) 09:27 (UTC)。
賛成 良記事である。--Nekowood 2011年4月12日 (火) 03:19 (UTC)
- コメントWikipedia:秀逸な記事の選考#投票の仕方より引用します。
署名のない投票は無効です。賛成以外では問題点や改善案を明確に指摘して下さい。賛成の場合も他人が納得するであろう評価をしてください。投票には好みや主義、執筆者・推薦者に対する意見、副次的な影響等を含めないでください。記事*そのもの*に対する客観的な意見をお願いします。 — 「Wikipedia:秀逸な記事の選考#投票の仕方」より(下線部は引用者)
- 投票に本来含めるべきでないものを含めることはお控えください。私ikedat76という利用者が批判されて然るべき事をした点について批判を受けるのは当然ですが、そのことは不適当な投票を行なうことを正当化しません。また、本記事の編集履歴のほどんど(2011-04-06 14:55:42 (UTC)版時点で49版中41版)を私の編集が占めているとは言え、この記事は私の記事ではありません(Wikipedia:記事の所有権)。具体的な問題の指摘があるならいざ知らず、利用者に対する批判のために投票内容の変更をすることは適切ではないと考えます。--ikedat76 2011年4月8日 (金) 14:15 (UTC)
- コメントWikipedia:秀逸な記事の選考#投票が無効となる場合と選考期間の延長にもとづき、選考期間を2週間延長します。繰り返しになりますが、選考では記事そのものを評価の対象とし、それ以外のことを評価対象に含めないでください。記事について改善内容が具体的に示されるまで、2週間お待ちします。--ikedat76 2011年4月9日 (土) 05:25 (UTC)
- コメントご理解いただけて何よりでした。ありがとうございます。--ikedat76 2011年4月12日 (火) 14:53 (UTC)
条件付賛成熊野関連でFA・GAを多く執筆されているikedat76さんの記事です。FAにしても問題ないと思いますが、一点だけ要望を。記事冒頭に「……本願と社家の間には緊張関係があり、17世紀以降は相論が繰り返された」と書いてありますが、「相論」の具体的な内容がここには全くもって触れられず、熊野三山本願所#社家との相論の小節でやっと本願と社家間の主導権争いだということが分かります。その主導権争いにしても、現代日本に生きる人間には一読して分かるようなものではないので、冒頭にもう少し分かりやすい内容を書いてはどうでしょうか?--Wushi 2011年4月6日 (水) 13:02 (UTC)- コメントむずかしいところです。Kinoriさんとのやりとりでも幾度か話題に挙がっている所ですが、本項目の冒頭部はいわゆる「概要」節相当の内容を持ち、詳しい知識のない人のためのガイドとしての機能を果たすことになっています。その意味で言えば「現代日本に生きる人間には一読して分かるようなものではない」(まったくその通りなのですが)争いについてあまり書きすぎてしまうと、読者を遠ざけてしまう懸念があります。また、そこに興味を持つような方であれば、本文に読み進んでいただいたほうが、興味なり関心なりを充たせるとも思われます。ご指摘の冒頭第4段落の先頭に、熊野三山の運営において本願が聖俗両面にわたる役割と主導権を持っていたとあることを踏まえて、≪それらを社家が取り返そうとした≫という趣旨を追記すると言うことで、ご指摘に応えたと考えていただくことは可能でしょうか。--ikedat76 2011年4月6日 (水) 14:56 (UTC)
- 賛成 記事冒頭に「相論」について簡単に触れられたので、本願・社家間の争いについては読者へのとっかかりにはなるかと思います。賛否に関係ないですが、「相論」から小節への誘導があると読者には親切かと思います。条件付賛成から賛成に切り替えます。--Wushi 2011年4月7日 (木) 11:41 (UTC)
- コメントむずかしいところです。Kinoriさんとのやりとりでも幾度か話題に挙がっている所ですが、本項目の冒頭部はいわゆる「概要」節相当の内容を持ち、詳しい知識のない人のためのガイドとしての機能を果たすことになっています。その意味で言えば「現代日本に生きる人間には一読して分かるようなものではない」(まったくその通りなのですが)争いについてあまり書きすぎてしまうと、読者を遠ざけてしまう懸念があります。また、そこに興味を持つような方であれば、本文に読み進んでいただいたほうが、興味なり関心なりを充たせるとも思われます。ご指摘の冒頭第4段落の先頭に、熊野三山の運営において本願が聖俗両面にわたる役割と主導権を持っていたとあることを踏まえて、≪それらを社家が取り返そうとした≫という趣旨を追記すると言うことで、ご指摘に応えたと考えていただくことは可能でしょうか。--ikedat76 2011年4月6日 (水) 14:56 (UTC)
- (秀逸)賛成のみ3票より一週間、特に異論がありませんでしたので、この項目は秀逸な記事となりました。--totti 2011年4月19日 (火) 14:25 (UTC)