Wikipedia:秀逸な記事の選考/白髪三千丈 20040531
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(ノート) 推薦します。百科事典の記事としても注目できるし、また一般の理解の誤解を指摘しつつも、驕慢に流れず、品位のある記事のスタイルを保っていることに敬意を表したいと思います。Mishika 01:54 2004年5月31日 (UTC)
- 意見: 類語の項目が付け加えられるにつれ、記事タイトルと記事の主題とが微妙にうまくいってない様子が伺われます(かと言って、安直な記事名は似つかわしくない内容ではありますが)。また、全体的にエッセイ的な評論文の感がぬぐえず、事典の記事としての秀逸性を認めるには多少抵抗があります。記事の内容としてはすばらしいと思いますので、導入とか構成を工夫してみるとどうでしょうか?--218.42.227.228 01:13 2004年6月1日 (UTC)
- 意見: 思ったのですが、日本人の漢文素質が問われるとかなんとか、ちょっと中立的でないような気がします。すでに白髪三千丈は大げさなという意味で定着しているのでそれを認めた上で、日本と中国ではこんなに違いがある、程度にとどめて於いたらいかがでしょうか?--あなん 2004年7月2日 (金) 20:50 (UTC)
- 説明 : 饂飩という漢字は、元来、中国で「ワンタン」を意味しているが、日本では「うどん」になっている。中国生まれの「白髪三千丈」という文句の真意は大袈裟ではない。しかし、日本では、大袈裟の意味を持つ。饂飩、すなわち「うどん」であるのは、日本に限ったことであり、同じように、白髪三千丈、すなわち大袈裟であるのは、これも日本に限ったことである。つまり、原義より逸脱して、日本でそのような使い方をしているにも拘らず、白髪三千丈は、中国人の誇張癖を象徴するものとしてしばしば引用されている。漢文の素養が疑問視される元になる、というのは、この場合のみを指して言う。字面だけ見て、真意を解していないという事実を指摘したまでで、包括的に日本人の漢文素養が問はれるとは言っていない。Wikipedia が、「百科事典」の性質も持つ以上、事実を理性的に追求するのが趣旨であり、感情論は控えるべきものだと、筆者は確信して投稿したが、「中立的な立場」ではない、というような、政治がらみの意見を頂くのは、心外であるという外はない。ーー 「「 投稿者 :仁目 」」 2004年7月12日
- wikipedia:中立的な観点を読むとわかりますが、中立的な観点ということばは wikipedia においては政治的な意味は一切持ちえません。また、「漢文素養が疑われる」という文章表現一つとってみても、その用いられる文脈にも依存するでしょうが、執筆者の意図とは異なる受け取り方を、全く一般の人間がする可能性を考慮して表現を付け加えたり書き換えたりと言った工夫を複数の人間によって行うというのは wikipedia の理念そのものだと考えられます。そのあたりのことを 4.46.197.225 さんは、もとい「仁目」さんでしたか(ハンドルネームを使うつもりでいるならどうしてログインされないのでしょう;)はちょっと誤解なさっているようです。 なお、署名は ~~~~(半角チルダ 4 つ)を記すことによって投稿時刻まで込めて自動的に行えます。--61.195.111.75 2004年7月12日 (月) 17:26 (UTC)
- 仁目さんのおっしゃる意味はよく分かりました。だとすれば、「白髪三千丈の後の解釈に関する」を「日本人の漢文の素養」の前に入れれば勘違いがなくなると思いますよ。それよりもどこで「見当はずれ」が始まったのかとかとか、白髪三千丈が大げさなと言う意味で出てきた文献の情報書き込んでみてもいいと思われます。今のままでは日本人の解釈を真意を理解していないと批判しているかのように見え、あまり百科辞典的だとは私にはおもえません。おもしろい記事であるので加筆次第で秀逸になると思いますよ。--あなん 2004年7月17日 (土) 18:01 (UTC)
- 「漢文の素養疑問視」という一言に、若干異論があるように見受けられるので削除します。秀逸記事に推薦されるかどうか、それはどうでも良いことですが、この一言の有無が、本題「白髪三千丈」の真意 解説に何ら影響を及ぼすものではないので、快( こころよ) く読んで貰えるよう、削除しました。仁目 2004年7月19日 (月) 19:07 (UTC)
- 保留: 現状では、今ひとつ百科辞典ぽくない感じがしました。それを解決するには若干背景説明を追加した方がよいかと感じましたので、私が感じた疑問点とともにノートに書きました。Dora 2004年8月13日 (金) 04:29 (UTC)
* 疑問点に対する回答、ノートに書き込みました。 仁目 2004年8月18日 (水) 05:28 (UTC)
- 意見: 字義の解釈の仕方、近体詩・絶句であることによる詩の規格が存在することが理解されていない事、また語句の用例の扱い方など、問題点が多すぎます。むしろ、あきらかな間違いが多く、不特定多数の人が誤解をする可能性が高く、根本的な訂正が必要です。ノートに詳しい事を書いておきました。