Wikipedia:秀逸な記事の選考/神戸外国人居留地 20130126
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賛成/条件付賛成/保留/反対 4/0/0/0 この選考は、選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。2013年3月14日 (木) 11:57 (UTC)(2013年3月14日 (木) 20:57 (JST))までに異論がなければ、この項目は秀逸な記事となります。この項目の選考期間は、2013年4月26日 (土) 10:19 (UTC)(2013年4月26日 (土) 19:19 (JST))までです。
(ノート) 《推薦理由》 自薦です。良質な記事に選出された後、さらに手を入れました。秀逸な記事の目安を満たしているかどうか審議をお願いします。--Pastern(会話) 2013年1月26日 (土) 10:19 (UTC)
- (その他):一部ですが土居2007を中心に出典5冊に当たってきました。土居(2007)1冊だけでも十分な参考文献ですが、さらに多くの文献に当たられ主題について徹底的に文献検索をされそれをたくみに纏め上げられた主筆者の力量にはほとほと感服いたします。土居(2007)などと見比べてみても必要なトピックはすべて網羅されているものと思われます。十二分な網羅性を持ちながら不必要に細かくなることもなく、昨日当たった範囲内では大きな問題もなく(瑣末なことはいくつか見つけましたので最後に書きます)現状の検証作業の結果だけでも賛成票を入れてもいいと思いましたが、もう1日検証作業を行ってみてから賛成票を入れたいと思います。脚注の内36,60,62,64,81b,95,109,110,112,127,172,173,174,197,216,217ab,218,256,220+221には出典と記事に齟齬はありませんでした。脚注220+221は非常に高度な文献の読みこなしをされていて私にはなかなか難しかったです。
- さて、瑣末な事ばかりですが
- 脚注264.265 棚田p47では明治30年から(これはOK)、しかし土居p68では大正5年11月30日までとなっているように思えます。
- 脚注111 オリエンタルホテルには明治3年ユニオンクラブが事務所を置き、明治14年、ユニオンクラブと入れ替わるようにクラブコンコルディアが入る・・ではないでしょうか?
- 脚注113 住所ですが81番ではなく80番です
- 脚注35 土居2007、34頁。となっていますが当該記述は32-34頁かと
- 脚注175 本当に瑣末な事ですが土居では天主堂あるいは礼拝堂となっています。おそらく=聖堂なのでしょうが、礼拝堂でもいいのではないでしょうか?
以上、私の勘違いもあるかもしれませんが見ていただければ幸いです。--ぱたごん(会話) 2013年2月4日 (月) 10:58 (UTC)
- コメント丁寧にお読み頂きありがとうございます。お褒めの言葉も頂けて光栄です。励みになります。ご指摘のあった箇所を修正しましたのでご確認ください。(脚注264.265は266.267に変更しています)--Pastern(会話) 2013年2月7日 (木) 15:49 (UTC)
- 賛成 修正ありがとうございます。じつに立派な記事を読ませてくださりありがとうございます。今日は先日当たれなかった参考文献数点に当たってきました。先日と今日で全体の半分程度は検証しましたが、やはり参考文献と記事に大きな矛盾などは見つからず、多数の信頼できる文献に基ずく正確な記事であり、十二分な網羅性と適切な構成、さらに読みやすい良文で書かれた記事であり秀逸な記事とするのに問題ないものと思い賛成いたします。秀逸とするのに問題ない瑣末な事に1つ気が付きましたが、お気が向きましたら見てやってください。主筆者の徹底的な文献調査の努力と文献の深い読みこなしには頭が下がるばかりです。--ぱたごん(会話) 2013年2月11日 (月) 09:59 (UTC)
- 2/11現在の版の脚注288 神木・崎山1993、150頁。は神木・崎山1993、150-151頁。とするべきものと思います。
- 修正しました。ありがとうございます。--Pastern(会話) 2013年2月18日 (月) 16:00 (UTC)
- 「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」節でボランティア活動などを行ったとさらっと記述されていますが、『生涯スポーツ実践論』ではスポーツイベントにおいてボランティアの公募がなされたのは1985年夏季ユニバーシアードが最初であると述べられています。日本には当時ボランティアという概念は無く、言葉とともに外国人居留地を経由してもたらされたものであることなどは、特筆すべき事項として注釈などでフォローしておいた方が良いと思いました。
- 建築についてもう少し詳細に述べられていても良いのかなと思いました。神戸に創出されたコロニアル建築が後世に与えた影響などがあれば、記述を検討ください。例えば横浜では清水喜助が、長崎では小山秀之進がそれぞれコロニアル建築から影響を受けて擬洋風建築を全国に広めましたが、神戸ではそうした名を残した職人はいなかったのかどうか気になりました。
- 他の外国人居留地との比較した特異点などの記述があった方が良いと思います。また、外国人居留地の規模(居住人数、居住範囲等)としてどの程度に位置したのかなどは気になるところです。
- 医療節はちょっと記述が薄すぎるように感じます。『近代日本高等教育体制の黎明』の30頁あたりに詳しく記述されているように思いましたので加筆をご検討頂ければと思います。(一部はAmazonやGoogleブックス等で確認可能です)
- 記事構成や文章に大きな問題は無く、秀逸な記事として相応しいと思います。指摘事項に対する加筆修正または検討がなされれば、選出に賛成したいと思います。--ayasesaya(会話) 2013年2月4日 (月) 13:52 (UTC)
- コメント記事をさらに充実させるための建設的なコメントを多く頂きありがとうございます。やれるところまでやってみますので少しお時間を下さい。--Pastern(会話) 2013年2月7日 (木) 16:18 (UTC)
- KRACのボランティア活動について
- アドバイスの通り、注釈を用いて加筆を行いました。--Pastern(会話) 2013年2月19日 (火) 22:20 (UTC)
- 建築について
- 建築について加筆を行いました。まず神戸におけるコロニアル建築についてですが、記事に記述したようにその担い手は外国人建築家でした。一方明治30年代以降日本人建築家も神戸で活動するようになりますが、両者はバックボーンや活動領域を異にしていました。前者が後世に及ぼした影響について言及した文献は見当たらず、一方後者については『日本産業技術史事典』414頁に「明治建築界の基礎を築いた」とあることから、推測ですが後世への影響という点では日本人建築家の及ぼした影響が大きく、外国人建築家による建築物は、あくまでも居留地における一時期のものにとどまるのではないでしょうか。記事には独自研究にならない範囲で両者の関わりについて記述を加えました。擬洋風建築については、『日本産業技術史事典』403-404頁を調べてみましたが、神戸については「日本人も洋風建築の建設に実際に携わるようになった」とはあるものの、横浜や長崎とは異なり、具体的な擬洋風建築の建築物や建築家については言及がありませんでした。おそらくですが、神戸は横浜や長崎よりも数年遅れて開港し、合理的な都市計画が立てられたため、設計レベルにまで日本人が割って入る余地は少なかったのではないでしょうか。--Pastern(会話) 2013年2月19日 (火) 05:46 (UTC)(加筆)--Pastern(会話) 2013年2月19日 (火) 11:40 (UTC)
- 他の外国人居留地との比較について
- 新たに節(「他の外国人居留地との比較」)を設け、規模・人口を中心に加筆しました。--Pastern(会話) 2013年2月24日 (日) 00:36 (UTC)
- 医療について
- 『近代日本高等教育体制の黎明』については、大変いい資料を教えて頂けたと感謝しています。参照しつつ加筆を行いました。--Pastern(会話) 2013年2月19日 (火) 22:20 (UTC)
- 賛成 修正加筆を確認しました。気になった点については解消されたと思いますので、賛成票へ変更します。対応お疲れ様でした。--ayasesaya(会話) 2013年2月24日 (日) 09:36 (UTC)
条件付賛成外国人居留地について歴史を通り一遍説明するだけではなく、「街並」や「文化」など様々な観点からの説明が加えられていて、多くの文献にあたりながら出典を丁寧につけてあり、とても優れた記事になっていると感じます。多数の写真に加えて地図なども用意されておりその観点でも申し分ないです。「貿易」の節はもう少し強化して統計などを掲載してもよいかと思いましたが、これは本質的には神戸港の記事に書くべきことかとも思いますので、こちらでの説明はこの程度で十分と思われます。いくつか気になった点を挙げたいと思います。- 「歴史」の節、「居留地の造成と運営」の後がすぐに「返還」になっていて、その間が何もないのかというところが気になります。開港時点で完成していた埠頭が3つしかなかったとかそういうことは記載されているので、その後の整備の進展や外国人の居住の増加の程度など居留地の発展経緯を加筆できないものでしょうか。「街並」の節で個別の事項についてはある程度補足されているので、どうしても書けないのであればこの件については対処されなくても賛成にする用意があります。
- 「概要」という同名の節が「自治と治外法権」と「街並」の両方の下にあると、他の記事から節リンクをするときに困ります。そういうリンクの仕方はしないかもしれませんが、できれば同名の節は無くした方がよいのではないかと思います。これらの「概要」は、「自治と治外法権」や「街並」というレベル2の節の直下に入れてもよいのではないでしょうか。
- 「自治と治外法権」の「概要」節、「領事裁判権については属人主義がとられ、居留地外の紛争にも及んだ」とあります。であれば、その後の「外国人は居留地外においても居留地内と同様の治外法権を主張し、日本側の警察権は制約を受けた」に逆接でつなぐのはおかしくないでしょうか。属人主義だから、居留地外でも治外法権を主張したのではないですか?
- 「ノルマントン号事件の査問会および予審」の節、「領事裁判権が行使されたもっとも有名な事件の一つに挙げられる」は大言壮語的なので、「もっとも」を削るなどの何らかの対処をお願いします。
- 「ガス灯」の節、ブラウン商会を大阪ガスの前身としていますが、以前読んだ大阪ガスの社史では大阪におけるガス事業を自社の創始としていて、神戸や京都などのガス事業は戦時合併に伴って吸収した傍系会社の歴史として別に説明していました。「大阪ガスの前身の一つ」くらいに書いた方が誤解が無いように思います。
- 「実業家」の節、キルビーは自殺したとありますが、他の記事(小野浜造船所)では病死としてあるものがあります。きちんと出典を確認したのであればそれでよいのですが、もし他説があるのであれば両論併記に直す必要があるかと思います。
- 文章のつながりが明らかにおかしいと思われるところ、誤字と思われるところを訂正してありますので、念のため確認いただけると幸いです。
- 細かいところもありますが、以上よろしくお願いいたします。--Tam0031(会話) 2013年2月27日 (水) 15:09 (UTC)
- コメント丁寧なコメントを頂きありがとうございます。誤字等の修正までして頂き恐れ入ります。修正を行いましたので改めてチェックをお願いいたします。
- 居留地発展の経緯・過程について、新たな節を設けて記述してみましたがいかがでしょうか。
- 「自治と治外法権」と「街並」で重複すしていた2つの「概要」節を解消しました。
- 「自治と治外法権」の「概要」節、「領事裁判権については属人主義がとられ、居留地外の紛争にも及んだ」に関連する点についてですが、私は領事裁判権と警察権とは別個の権利権限(警察権は領事裁判権に完全に含まれるものではない)と解釈し、たとえば雑居地居住の外国人が自宅への日本の警察官の立ち入りを拒否するといったケースを想定していました。しかしここまで書くと独自研究になってしまいますし、ご指摘を受けて改めて考えてみると逮捕・拘束・取調べといった行為と裁判領事裁判権との間に関連性が認められることも確かで、両者の関係についてはなかなか難しいものがありそうです。この部分の趣旨は、外国人が居留地外では認められないはずの治外法権までをも主張したため日本側とトラブルとなることがあったということですので、領事裁判権と警察権との関係についての具体的記述を避ける形に修正しました。
- ノルマントン号事件に関し、「もっとも」という表現を除去しました。
- ブラウン商会について、「大阪ガスの前身の一つ」と表現を改めました。
- キルビーの死因については、私が調べた範囲ではすべての資料が自殺としています。念のためネット上の資料もいくつか検索してみましたが、やはりすべて自殺となっています[1][2][3]。--Pastern(会話) 2013年3月6日 (水) 18:26 (UTC)
- 賛成 指摘事項が改善されたようですので、賛成とします。キルビーの件は、小野浜造船所の記事の間違いのようですね。後ほど訂正したいと思います。お疲れ様でした。--Tam0031(会話) 2013年3月7日 (木) 11:57 (UTC)
- コメント丁寧なコメントを頂きありがとうございます。誤字等の修正までして頂き恐れ入ります。修正を行いましたので改めてチェックをお願いいたします。
- 賛成 記事の印象面からコメントします。第一印象は(大変失礼ながら)長ったらしい記事に見えますが、読み込んでいくと実に興味深い内容で、神戸外国人居留地を全く知らない人でも、非常に要点がはっきりしており、百科事典の意義である「読みやすい」の要素が非常に高いレベルでまとまっていると考えます。もう少しかなと思う点は、他の居留地との違いが規模と日本人と外国人の関係の記述に留まっており、出典がなければもちろん不可能なのですが、他の居留地の文化的側面や事象・事件等もすこしエピソードとして取り上げれば、「神戸」との違いがはっきりし、「神戸」の記事がより際立つと考えます。また出典がやや偏っている点も、上記の方がご指摘されていますが、この記事は現在進行事項ではないので、もう少し幅広い出典から論説形成し、記事作成した方が、より重厚で、歴史的価値の増した記事になるとおもいます。ただし、全体的には最初の印象通り、秀逸という名にふさわしい記事と考えます。--Kenken12345678(会話) 2013年3月6日 (水) 06:30 (UTC)
- コメントありがとうございます。他の外国人居留地との比較にまだ加筆の余地があることは私自身強く感じています。神戸以外の居留地について、比較が可能となるほど理解を深めるにはかなりの時間を要しそうですが、いずれ何とかしたいと思います。--Pastern(会話) 2013年3月6日 (水) 18:26 (UTC)
(秀逸)選考基準の賛成のみ3票以上を満たして1週間、特に異論がありませんでしたので、この項目は秀逸な記事となりました。--totti(会話) 2013年3月14日 (木) 12:13 (UTC)