Wikipedia:合意がないとして差し戻すべからず
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
この文書の要旨: 他の人がした百科事典への貢献に対し「合意がない」以外に言うことがないなら、リバートしないことが最善です。 |
時に編集者は、記事内容の変更を取り消して変更へのWikipedia:合意がないと単に述べて差し戻しを自己弁護します。自問してみてください。誤った行いを別の誤った行いで正そうとすることが、編集者と読者にとって最善となるでしょうか?もしそのように信じているならば、落ち着いて、ノートページを読み返し、実行の前に一度立ち止まって出典を検証してみてください。合意をとりづらい時も、明示的な合意を進んでとりましょう。
大胆さを軽く扱わない
[編集]大胆さに対して過敏反応することは他人の大胆な編集を妨げますが、大胆な編集はウィキペディアの発展に不可欠です。Wikipedia:大胆な編集、差し戻し、議論のサイクルは、時には何の役にも立たないことに気づいてください。それは、このサイクルの頭文字をとってBRDの誤用と呼ばれます。一部の人は、編集要約欄で「まず議論」と、大胆な編集に対して簡単に唱え、差し戻すかもしれません。議論には少なくとも2つの対立する立場が必要です。次の様な大胆な編集を考えてみてください。その大胆な編集は、出典を提供することで必要な議論に備えられており、最初にノートページでその編集の理由や論拠を提示し、記事の中の説得力がない点をテンプレートで示しています。これに対してノートページに何も書かずに差し戻す「まず議論」というのは、軽く扱わないに反しており[注 1]、もう少し丁寧に言うと、役立つものでも、建設的でも参考になるものでもありません。避けてください。(破壊行為を)Wikipedia:認識しないことは通用するでしょう。そうした違いを考えてみてください。
実際に議論をはじめる
[編集]詳細な説明のない「合意がない」というだけの差し戻しは、議論を避けようとしており、議論を開始するものではありません。これはWikipedia:現状維持による妨害行為の一種です。結局のところ、ある編集の誰かによる差し戻しは、そこには合意がないということを既に表したものでしょう。しかし執筆者が、なぜその編集に個人的に同意できないとか、問題となることの合意が結論された場所の説明を怠るとき、ウィキペディアの記事全体とその個々の品質を向上させようとするための、何らかの新しい合意を形成する方法についての情報を提供していません。
どうしたらいいか
[編集]合意の形成へと持っていくには、議論において対立する立場が必要です。ある編集に原因となる問題を挙げることができないならば、ただちに差し戻しを行う理由はありません。差し戻しは必要な時にだけ行います。単にある編集に対してよくないという直観があるだけなら、適切な品質を求めるタグ付けを行い、ノートページにて質問します。ポータルや熟練した編集者に尋ねてみることもできるでしょう。最終的に、変更を支持している沈黙という合意があるかもしれません。合意は全会一致ではないため、一人の編集者の反対によって無効とはなりません。明白に確立された合意を本当に破棄するなら、議論、FAQ、合意が確立されたポータルの方針などを参照することが可能であるべきです。
長期にわたるウィキペディアの方針とガイドラインが、そうした意見なく差し戻されるかもしれず、突然の変更も想定でき、合意は変更可能です。このように、合意の確立にはさらなる証明は必要がない。しかしWP:CCC―合意は変更可能である―もまた通用することに注意すべきです。とは言え、問題となっている合意を示しまた立証することは差し戻した人の責任です。
正式な合意の特定の側面を目立たせ要約するために、活発な議論を行ったことがある編集者に尋ねるのもいいでしょう。ウィキペディアには記事の開発のための道しるべとなるような特定された方法はありませんし、ノートページのための十分なテンプレートや助言もありません。
新しい内容や視点に親しんでみます
[編集]ウィキペディアは記事を大胆に編集する新しい貢献者を招き入れ、貢献を奨励すべきです。しかし一方で、熟練した編集者は、自らの縄張りとして記事を防衛する傾向や、革新や新しい視点に対してセンメルヴェイス反射を起こすかもしれません。新しい内容からウィキペディアを防衛してはならず、他の編集者が、あなたがこれまでに聞いたことがない証拠を知っているようでも不安がらないでください。そうしたことは起こるでしょう。知識や科学的知見は拡大していきます。ウィキペディアはそれを歓迎すべきで、除外するものではありません。大胆な貢献を「合意がない」ということだけに基づいて差し戻そうとするなら、それは単にその編集が好きではないということのサインです(Wikipedia:ノートページで避けるべき主張#個人的な好みです)。
どうしたいのかと考えそれを伝えます
[編集]その編集に実質的な問題があるのかと最初に問うことが一番いいでしょう。問題があれば言及し、出典がないとか信頼性の低い出典による情報が追加されたのならタグ付けし、情報を探してみたり、あるいは探してみたが見つからなかったとか、差し戻し時の要約欄に記します。出典の提示の仕方が様になっていないなら、タグ付けするとか、もっと洗練された書き方へ直し、会話ページで説明してあげます。もし大胆な編集が、議論の少ない文章の中に偏った主張を加えているならば、その偏りを中立的に書き直す方法を探したり、単にその立場からの記述を差し戻します。Wikipedia:度が過ぎた削除は控えます。何かのやり方が書き加えられたのであれば、ウィキペディアはマニュアルではありませんと説明します。説明がないとか、説得力のない説明で内容が削除されたのであれば、正しい内容に戻し、なぜ説得力がないのか説明します(もし説明するのに要約欄だけでは足りなければ、ノートページで議論します)。
議論の余地のある編集や、単に大規模な編集について一般にどうすべきか
[編集]もし、ある編集をよくないと思い、しかし理由を挙げることができないなら、行動する前に立ち止まって考えましょう。理由なく編集してはなりません。
- 立ち止まって考えます。ノートページや編集要約欄を見ます。理由付けや論拠があるか、出典の品質はどうかを確かめます。
- あなたの懸念事項を思い起こし、タグ付けするとか質問するとか最良の方法を考えます。
- そのページを適切に編集するか、疑問の多い部分をタグ付けします。
- あなたの論拠となっているもの、あなたの疑義や質問をその編集要約欄に記します。
- もし本当にその編集を組み込む余地がないのであれば、その編集を差し戻します。大胆に。
- 理由を説明します。少なくとも要約欄にて。あなたには理由が明らかかもしれませんが、他者にはそうではないかもしれないのです。
友好的に行ってください。ウィキペディアは共有地の悲劇ではなく喜劇にすべきです。人生とはとても難しいものです。
特に
[編集]特に、実質的に改善だと考えられる編集ならば、決して差し戻さないように。改善だと考えられるならば、他の誰かが反対するという確信があっても、あなたは差し戻さないようにすべきです。反対する編集者自身に差し戻しをさせてください。すると先の編集者は、議論を行う必要がある人を認識することになります。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ リンク先は、jerkという単語になる前の、dickの単語であった英語版に沿って翻訳されたもの。