イヴ・サンローラン
商号 | サンローラン・パリ |
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現地語社名 | Yves Saint Laurent SAS |
種類 | 子会社・SAS |
業種 | アパレル産業 |
設立 |
1961年11月14日 (オートクチュールライン) 1966年9月26日 (プレタポルテライン) |
創業者 |
イヴ・サン=ローラン ピエール・ベルジェ マック・ロビンソン |
本社 | フランス パリ |
事業地域 | 世界 |
主要人物 |
エディ・スリマン アルベール・エルバス トム・フォード |
製品 | 服、バッグ、靴、アクセサリー |
売上高 | 12億1000万ドル(1996年)[1] |
親会社 | ケリング |
ウェブサイト |
www |
現地語社名 | Yves Saint Laurent Beauté |
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種類 | 子会社 |
業種 | 美容産業 |
設立 | 1978年 |
創業者 |
イヴ・サン=ローラン ピエール・ベルジェ |
本社 | フランス パリ |
事業地域 | 世界 |
製品 | 化粧品、香水 |
親会社 | ロレアル |
子会社 |
ステラ・マッカートニー オスカー・デ・ラ・レンタ エルメネジルド・ゼニア |
ウェブサイト |
www |
イヴ・サンローラン(フランス語: Yves Saint Laurent、略称: YSL)は、フランスのファッションデザイナーであるイヴ・サン=ローランと、恋人で資産家のピエール・ベルジェによって、1961年に創設された世界的高級ファッションブランド。
ケリング傘下で既製服を販売する「サンローラン・パリ」と、ロレアル傘下で化粧品を販売する「イヴ・サンローラン・ボーテ」がある。
概要
[編集]1961年にオートクチュール(仕立服)メゾンとして誕生するも、2002年のイヴ・サン=ローラン引退をもってオートクチュールラインが終了したため、現在は1966年に開設したプレタポルテ(既製服)ラインと、1978年に開設したメイクアップラインの二大展開となっている。
2013年にクリエイティブ・ディレクターエディ・スリマンのもと、プレタポルテラインの名称が「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ(Yves Saint Laurent rive gauche)」から「サンローラン・パリ(Saint Laurent Paris」へと変更され、ロゴも斜体から原点回帰と言えるブロック体のヘルベチカへと一新された[2][3]。
メイクアップラインの「イヴ・サンローラン・ボーテ(Yves Saint Laurent Beauté)」では、名称とロゴの変更を取り入れず、1963年にアドルフ・ムーロン・カッサンドルが制作し、ブランドアイコンとして長年親しまれてきた「YSL」のロゴをほぼ全商品に使用している[4]。
プレタポルテラインはフランスのケリンググループ、メイクアップラインはフランスのロレアルグループ、アイウェアラインはイタリアのサフィログループがそれぞれライセンスを保有し、独自のルートで販売している。
沿革
[編集]- 創業初期
- 1961年11月14日 - ピエール・ベルジェとマック・ロビンソンの出資を基に、イヴ・サン=ローランが自身のオートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を創設[2]。
- 1966年9月26日 - プレタポルテライン「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ(以下 リヴ・ゴーシュ)」を発表し、パリ6区トゥルノン街21番地にブティックを開設[2]。
- 1978年 - メイクアップライン「イヴ・サンローラン・ボーテ(以下 ボーテ)」を開設[5]。
- 1987年8月10日 - 会社登録。
- 1989年 - ファッションブランドとして初めてパリ証券取引所に上場。
- 1990年代
- 1993年 - サノフィ・ボーテに買収される[6]。
- 1997年 - リヴ・ゴーシュの男性服のアーティスティック・ディレクターにエディ・スリマンが就任[6]。
- 1998年 - エディ・スリマンが率いるジーンズブランド「サンローラン」を発表[6]。
- 1999年 - 秋冬コレクションから、リヴ・ゴーシュの女性服のデザイナーにアルベール・エルバスが就任。サン=ローランはオートクチュールラインに専念する[6]。
- 1999年 - ピノー・プランタン・ルドゥート(以下 PPR)がサノフィを買収。これに伴って、リヴ・ゴーシュとボーテがPPR系列下のグッチに売却され、グッチグループ傘下となる。サン=ローランとオートクチュールラインはPPRグループ傘下として残る。
- 2000年代
- 2000年 - アルベール・エルバスがリヴ・ゴーシュの婦人服のデザイナーから退任。続いて、エディ・スリマンが男性服のディレクターから退任。
- 2001年 - 春夏コレクションより、リヴ・ゴーシュのデザイナーにトム・フォードが就任[6]。
- 2002年1月22日 - サン=ローランがオートクチュールのデザイナーから退任。
- 2002年10月31日 - パリ16区アヴェニューマルソーのオートクチュールメゾンを閉店し、オートクチュールラインを閉鎖。
- 2003年11月 - トム・フォードがリヴ・ゴーシュのデザイナーから退任[6]。
- 2005年 - リヴ・ゴーシュのクリエイティブ・ディレクターにステファノ・ピラーティが就任[6]。
- 2008年 - ボーテがロレアルによって買収され、ロレアルグループ傘下となる[7]。
- 2010年代
- 2012年 - ステファノ・ピラーティに代わって、エディ・スリマンがリヴ・ゴーシュのクリエイティブ・ディレクターに再就任[3]。
- 2012年 - リヴ・ゴーシュを「サンローラン・パリ(以下 サンローラン)」へと改名[8]。
- 2013年 - PPRがグッチグループを解体し、ケリングへと商号変更したことで、サンローランはケリンググループ傘下となる。
- 2016年 - エディ・スリマンに代わって、アンソニー・ヴァカレロがサンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任[6]。
評価
[編集]脚注
[編集]- ^ “Groupe Yves Saint Laurent – Company Profile, Information, Business Description, History, Background Information on Groupe Yves Saint Laurent” (英語). Reference for Business. 2014年3月21日閲覧。
- ^ a b c “Saint Laurent サンローラン”. VOGUE GIRL. 2021年10月10日閲覧。
- ^ a b “エディ・スリマン率いるイヴ・サンローランが「サンローラン パリ」として再出発を発表”. FASHION PRESS (2012年6月23日). 2021年10月10日閲覧。
- ^ “イヴ・サンローランの新ロゴ、フェイスブック上で賛否両論?”. AFPBB News (2012年7月31日). 2021年10月10日閲覧。
- ^ “モードの帝王「イヴ・サンローラン」の歴史とメイクアップライン誕生話”. Cosme Land. 2021年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Yves Saint Laurent イヴ・サンローラン”. FASHION PRESS. 2021年10月10日閲覧。
- ^ “ロレアル、YSLボーテを買収”. FASHIONSNAP.COM (2008年2月1日). 2021年10月10日閲覧。
- ^ “イヴ サンローランのブランド名がサンローラン パリに改名”. THE FASHION POST (2012年6月22日). 2021年10月10日閲覧。
外部リンク
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