安城市立安城北部小学校
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安城市立安城北部小学校 | |
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北緯34度59分36.5秒 東経137度05分11.5秒 / 北緯34.993472度 東経137.086528度座標: 北緯34度59分36.5秒 東経137度05分11.5秒 / 北緯34.993472度 東経137.086528度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 安城市 |
設立年月日 | 1909年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210006061 |
所在地 | 〒446-0008 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
安城市立安城北部小学校(あんじょうしりつ あんじょうほくぶしょうがっこう)は、愛知県安城市今本町8-9-9にある公立小学校。
地理
[編集]学区内には東西に国道1号や名鉄名古屋本線が通り、特急停車駅である名鉄名古屋本線新安城駅がある[1]。新安城駅の周辺には商店街が形成されている[2]。敷地内には1927年(昭和2年)に移植されたヒトツバタゴの古木がある[1][3]。毎年5月の開花時期にはテレビや新聞などでも報じられ、小学校のシンボル的存在となっている[1]。
歴史
[編集]江戸時代から明治初期には崇福寺に寺子屋があった[2]。1873年(明治6年)には学制を受けて、崇福寺に隣接する専超寺に今村学校が設置された[2]。1908年(明治41年)に安城第五尋常小学校が開校し、1911年(明治44年)に今村と里村の中間である現在地に移転した[2]。
年表
[編集]- 1908年(明治41年)3月31日 - 安城第五尋常小学校として開校。[2][4]
- 1911年(明治44年) - 現在地に移転。[2]
- 1948年(昭和23年) - 安城町立安城北部小学校に改称。[4]
- 1952年(昭和27年) - 安城町の市制施行により安城市立安城北部小学校に改称。[4]
- 1961年(昭和36年) - 安城市立志貴小学校が分離独立。[4]
- 1969年(昭和44年) - 名鉄名古屋本線を境界として安城市立作野小学校が分離独立。[2][4]
- 1971年(昭和46年) - 校舎の増改築。[4]
- 1976年(昭和51年) - 新館を増築。[4]
- 1979年(昭和54年) - 今村と里町を分けて安城市立里町小学校が分離独立。[2][4]
- 2003年(平成15年) - 北校舎を新築。[4]
児童数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]。
1947年(昭和22年) | 888人 | |
1957年(昭和32年) | 1107人 | |
1967年(昭和42年) | 943人 | |
1977年(昭和52年) | 1520人 | |
1987年(昭和62年) | 658人 | |
1997年(平成9年) | 554人 | |
2007年(平成19年) | 809人 | |
2017年(平成29年) | 789人 |
出身著名人
[編集]- 森晃太 - サッカー選手。