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2006年7月10日 (月) 10:13時点における版
サルヴァトーレ・スキラッチ(Salvatore Schillaci, 1964年12月1日 - )は、イタリア・パレルモ出身の元同国代表サッカー選手(FW)。「トト」のニックネームで親しまれた。
経歴
1981年に地元のクラブチーム・パレルモでデビュー。翌シーズンにメッシーナへ移籍し、チームのセリエB昇格に貢献。自身も1988-1989シーズンのセリエB得点王になり、その活躍が認められてセリエA・ユヴェントスへ移籍し、15得点を挙げてチームのタイトル獲得に貢献した。また1990年3月31日のスイス戦で代表デビューを果たし、その2ヵ月後に開催された地元でのイタリアW杯では不調のジャンルカ・ビアリに代わって出場し、7試合で6得点をマークし得点王に輝くとともにイタリアを3位へ導いた。
しかし、その後は故障などもあって本来の実力を発揮できず、1992年にはインテルへ移籍したが不振に終わり、1994年からはジュビロ磐田でプレー。磐田での登録名はスキラッチ。1995年には福田正博に次ぐ31得点を挙げた。1997年シーズン早々に腰痛が悪化して帰国。そのまま磐田を退団して現役を引退した。
現在はパレルモでサッカースクールを開設している。
プレースタイル
あまり背も高くなく、がっちりとした体型のストライカー。代表では無骨にゴールを決めてきた印象が強いが、一緒にプレーした中山雅史によれば、実際は一瞬のプレースピードの速さとそのスムーズさが特徴で、自身のプレーにも強い影響を受けたことを語っている。また名波浩によれば、自身の足からこれくらいの範囲にパスを出してくれれば必ず決めてみせるから、と言うほど自身のゴールを決める形というのを明確に持っていたという。
しかし決して恵まれたとは言えない体格で奮闘してきたが故に、慢性的な腰痛など故障が多く、継続的な活躍が出来なくなってしまったのが惜しまれる。
逸話
- 元日本代表FWの武田修宏が1996年に磐田にレンタル移籍してきた。開幕前の練習の際紅白戦で武田がFWのポジションに入ったとき「ここはオレのポジションだ」といわんばかりに武田を殴り、前歯を折ってしまった。なおその後武田とは和解し、パレルモのサッカースクールに武田が取材などで訪れている。
- 頭髪が薄かった(チームメイトだった中山雅史はTV番組で「ハゲラッチ」とあだ名していた)が、引退後に植毛したらしく髪が増えている。磐田のJ昇格10周年記念イベントに参加した際、磐田の松崎社長(当時)が「体型の変わった人も、髪の増えた方も……」とコメント。場内は笑いが起きた。
選手経歴
- パレルモ(イタリア) 1981-1982
- メッシーナ(イタリア) 1982-1989
- ユヴェントス(イタリア) 1989-1992
- インテル・ミラノ(イタリア) 1992-1994
- ジュビロ磐田(日本) 1994.4-1997
戦歴
年度 | チーム | J1/J2 | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 |
---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | 磐田 | J | - | 18試合9得点 | 4試合5得点 | 1試合0得点 |
1995年 | 磐田 | J | - | 34試合31得点 | - | 0試合0得点 |
1996年 | 磐田 | J | - | 23試合15得点 | 8試合3得点 | 0試合0得点 |
1997年 | 磐田 | J | 11 | 3試合1得点 | 2試合1得点 | 0試合0得点 |
通算 | J | 78試合56得点 | 14試合9得点 | 1試合0得点 |