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2007年3月23日 (金) 02:42時点における版
ゲーム機は、コンピューターゲームを動作させるためのハードウェア機器の総称。広義には業務用筐体やMSXのようなホビーユースのパーソナルコンピュータも含む場合もあるが、通常はテレビゲームや携帯型ゲーム等のコンシューマーゲーム専用機を特に「ゲーム機」または「家庭用ゲーム機」と呼ぶ。
多くの場合、ゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができる(テレビゲームなどでは、ディスプレイなど更に別の機器が必要なことがある)。また、最近では家電や情報機器の機能を視野に入れた多機能型のゲーム機(マルチメディア機)も登場している。
ゲーム機の場合、ソフトウェアの製造をライセンス形式にし、ライセンスの費用を見込んで製造するためゲーム機は低価格で販売されるものが多い。 また、ゲーム機は、パソコン等に比べて長期的にその基本性能が変わらない(商品寿命が長い)ため、対象となるソフトウェアも多い。
ハードウェアの歴史
初期のコンピュータゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』や、ATARI社の『PONG』が挙げられる。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。
- 店頭に設置して有料で遊ぶアーケードゲーム
- 消費者が家庭で楽しむテレビゲーム
- パーソナルコンピュータ上でアプリケーションの一種として動作するコンピュータゲーム
- 電卓の技術を応用して作られた携帯ゲーム
最初に商業ゲームとして登場したのはアーケードゲームだった。『PONG』は瞬く間にそれまで店頭に設定されていたピンボールを駆逐した。次第に内容が複雑化するアーケードゲームは、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなり、必然的にマイクロプロセッサが採用されるようになっていく。
テレビゲームはそれらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむたものものであった。パーソナルコンピュータが登場したときは、すでにテレビゲームやアーケードゲームは存在しており、パーソナルコンピュータのユーザは無料でアーケードゲームを楽しむために、アーケードゲームを真似たコンピュータゲームを競って自機上にプログラムし、互いに交換しあった。コンピュータゲームはその後アドベンチャーゲームやロールプレイングゲーム、シミュレーションゲームといったアーケードゲームとは異なった分野で独自の発展を遂げていく。
テレビゲームは当初はワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲームもしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だったが、さまざまな異なるゲームを消費者が購入してプレイしたいという欲求にこたえるために、カートリッジでプログラムを供給するカートリッジ式のテレビゲームが考案された。ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。
しかし、初期に使用されたCPUは4ビットまたは8ビットであったので、複雑化してゆくアーケードゲームではCPUの画像処理機能が不足していた。そのため、表示装置に特別仕様の画像処理回路を追加するようになっていた。代表的なものがスプライト機能とハードウエアスクロール機能である。これらの処理回路は高価であり、サイズも大きかったので、そのままではテレビゲーム機に搭載することができず、それがアーケードゲームとテレビゲームの差別化として働いた。 エレクトロニクス技術の進歩もあり、家庭用テレビゲームでは、それらの機能を簡略化・低価格化して追加するようになった。
最初の携帯ゲームはLSIゲームと呼ばれ、電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやコンピュータゲームとはまったく別に生まれた。表示装置としては特定の形状を表示する液晶やダイオードを使ったもので、汎用のグラフィック表示表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本だった。多数のゲームを遊びたいという欲求に応えて、汎用のCPUとグラフィック表示装置をもつ携帯ゲーム機へと進化を遂げていく。
- 8ビットゲーム機の採用CPU(アーキテクチャ)
- ファミリーコンピュータ(任天堂、1983年~2003年製造)…… RP2A03(6502互換CPUで、音源ユニットpAPUが組み込まれている)
- ゲームボーイ(任天堂、1989年~ 製造)…… LR35902(Z80に類似したアーキテクチャ)
- PCエンジン(NECホームエレクトロニクス、1987年~ 製造)…… 6502ベースのチップセット(グラフィック周り等は16ビット処理)
プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェアというこの手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(※これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブラで記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。
そのようにゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められたとき、次のゲーム機たちは、孤高の道をさらに究めることを選択した。すなわち、それまでのゲーム機が「玩具」「ゲーム専用機」として独自の設計と完結した機器構成を持ちつつも心臓部に汎用のCPUを採用していたのに対し、ゲーム機専用のCPUやプロセッサを設計する道を選んだのである。
もちろんゼロから新しいアーキテクチャを開発したゲーム機は当時はまだなかったが、ごく最小限のCPUコアの周囲にゲームソフトの処理に特化した様々な機能のパターンを配して1チップとして製造する、特定ゲーム機専用CPUが次々と登場した(8ビット機にもその傾向はあったが、16ビット機になり更に鮮明になった)。
- 16ビットゲーム機の採用CPU(アーキテクチャ)
当時の市場は、ファミコンを投入してユーザーの心をつかんだ任天堂が圧倒的なシェアを持っていた。
その任天堂と競合他社との、次世代のゲーム機を投入する際の戦略/採用技術/時期(または間隔)などを見ると、一強皆弱の市場においてそれぞれが採る戦略の傾向が見えて興味深い。
例えば当時の任天堂は、次世代機スーパーファミコンを投入するのが大変遅く、しかし技術的にはさほど革新的ではないアーキテクチャを採用する(65816は6502の後継と見られる)という大変に保守的な選択を行ったが、一方ではライセンシーの取り込みに成功して市場の支配力を保った。
世代別 主要ハード一覧(家庭用据置機)
第1世代(1970年代)
最初期に現れたゲーム機。最初のゲーム機と言われるMagnavox OdysseyはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。ゲームソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。
- Magnavox Odyssey (マグナボックス・1972年)
- ホーム・ポン(アタリ・1975年)
- テレビテニス (エポック社・1975年)
- カラーテレビゲーム6 (任天堂・1977年)
- カラーテレビゲーム15 (任天堂・1977年)
- システム10 (エポック社・1977年)
- TVベーダー (エポック社・1980年)
ROMカートリッジを差し込む事で様々な種類のゲームを楽しむ事ができる最初の家庭用ゲーム機で、アメリカにおいて爆発的な人気を博した。また、サードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルもこの時確立された。しかしアタリショックを起こしてアメリカのゲーム機市場を一時壊滅状態に追い込んだ。日本におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。
第3世代(1980年代前半~1980年代中盤、FC世代)
プログラミング機能をそなえたホビーパソコン寄りの機種(ぴゅう太、M5、SC-3000など)と、ゲーム機能に特化し、第1世代より優れたゲーム性能を実現した機種(インテレビジョン、ファミリーコンピュータ、光速船、セガ・マークIIIなど)があり、後者が成功を収めた。特にファミリーコンピュータは家庭用ゲーム機の本格的普及(アメリカではアタリショックからの復興)を担い、RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲーム等の今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。また、ファミコンのパッド型コントローラーはコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機のインターフェイスの基礎となった。
- Atari 5200 (アタリ・1980年)
- インテレビジョン (バンダイ・1982年)
- ダイナビジョン (ヤマギワ電気・1982年)
- ぴゅう太 (トミー工業・1982年)
- オデッセイ2 (フィリップス・1982年)
- M5 (ソード・1982年)
- マックスマシーン (コモドール・1982年)
- 光速船(バンダイ・1983年)
- SC-3000 (セガ・1983年)
- ファミリーコンピュータ(任天堂・1983年)
- スーパーカセットビジョン (エポック社・1984年)
- セガ・マークIII(セガ・1985年)
- ディスクシステム(任天堂・1986年)
- セガ・マスターシステム(セガ・1987年)
第4世代(1980年代後半~1990年代前半、SFC世代)
従来より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が格段にアップ。ステレオサウンドが標準になり、サウンドによる表現も工夫された。ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するインターフェイスも多ボタン化が進んだ。他方、ROMカートリッジのコスト・性能的限界も見え始める。一部機種では、CD-ROMドライブを増設でき、また、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。
- PCエンジン(NECホームエレクトロニクス・1987年)
- CD-ROM²(NECホームエレクトロニクス・1988年)
- メガドライブ(セガ・1988年)
- PCエンジンスーパーグラフィックス(NECホームエレクトロニクス・1989年)
- スーパーファミコン(任天堂・1990年)
- ネオジオ(SNK・1990年)
- メガCD(セガ・1991年)
- スーパー32X(セガ・1994年)
第5世代(1990年代中盤~1990年代後半、PS世代)
殆どの機種で本格的な3Dグラフィックス機能が搭載され、ゲーム内での映像表現の幅が劇的に広がった。また、ROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、生産性が高く、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場。ドット絵に比べてポリゴンは製作コストも安く、中小の新しいソフトハウスも台頭した。日本における据置きゲーム機市場が最も拡大したのもこの時期である。
- Atari Jaguar(アタリ・1993年)
- 3DO(3DO・1994年)
- セガサターン(セガ・1994年)
- プレイステーション(ソニーコンピュータエンタテインメント・1994年)
- PC-FX(NECホームエレクトロニクス・1994年)
- バーチャルボーイ(任天堂・1995年)
- ニンテンドウ64(任天堂・1996年)
- 64DD(任天堂・1999年)
第6世代(1990年代末~2000年代中盤、PS2世代)
3Dグラフィックスの表現力が格段に上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始める。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。ただし映像表現的には大量のキャラクター表示以外での分かりやすいインパクトを持った進化が少なかったため、第5世代からの本質的な変化を演出することは難しかった。大手メーカーではゲームの大作主義がより一層進み、開発費の高騰が進んだ。大手メーカーやサードパーティーの統廃合も進行し、日本の据置きゲーム市場は転換期を迎えた。
- ドリームキャスト(セガ・1998年)
- プレイステーション2(ソニーコンピュータエンタテインメント・2000年)
- ニンテンドーゲームキューブ(任天堂・2001年)
- Xbox(マイクロソフト・2002年)
第7世代(2000年代中盤~)
Xbox 360及びプレイステーション3に関しては、解像度がHDTV画質に対応し、3Dは奥行きと繊細さを増し、前世代機のプリレンダリングムービーに近い画質になった。 また、下記の3機種いずれもネットワーク接続に標準対応(Wii及びプレイステーション3 60GB版は無線LANを標準装備。Xbox 360は、オプションで対応。)。ネットワーク対応ゲームの増加やコンテンツのネット配信も本格化することが予想されている。 各前世代機との互換性を有しているほか、かつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレーターなどによって、レトロゲームへの注目も高まっている。
世代別 主要ハード一覧(携帯機)
第1世代(1980年代)
この頃はまだROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形だった。モノクロでシンプルなゲームが多数を占めた。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後に据置機の主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用されている。なお、この方式のゲームは現在でも販売され、一定の市場を維持している。時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもある。
第2世代(1980年代末~1990年代中盤、GB世代)
ROMカートリッジを利用し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代。最も早く出たゲームポケコンを除くと、スペックは第3世代の据置ハードと同等か、これよりも若干劣る程度だった。ただ、当時は液晶の技術が未熟で消費電力も大きかったことから、カラー機種は高価で駆動時間も極めて短く、モノクロ液晶を採用したゲームボーイが最も人気を集めた。
- ゲームポケコン(エポック社・1985年)
- ゲームボーイ(任天堂・1989年)
- Atari Lynx(アタリ・1989年)
- ゲームギア(セガ・1990年)
- PCエンジンGT(NECホームエレクトロニクス・1990年)
第3世代(1990年代末~2000年代初頭、GBC世代)
スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、第2世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現している。また、液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据え置き機の外部記憶媒体にゲーム機能を付加するというもので有ったが、普及するには至らず、後世代機においては採用されていない。
- ゲームボーイカラー(任天堂・1998年)
- ビジュアルメモリ(セガ・1998年)
- ネオジオポケット(SNK・1998年)
- ワンダースワン(バンダイ・1999年)
- ポケットステーション(SCE・1999年)
第4世代(2000年代前半、GBA世代)
カラー液晶が主流になった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。携帯ゲーム機において任天堂の独占状態が確立する。
- ネオジオポケットカラー(SNK・1999年)
- ワンダースワンカラー(バンダイ・2000年)
- ゲームボーイアドバンス(任天堂・2001年)
第5世代(2000年代中盤~、DS世代)
スペックは据置の第5世代程度まで進化し、3D化も進んだ。高音質の音楽再生機能や、本格的な動画再生機能も搭載し、据置機と比較しても大きく遜色はない映像表現が可能になった。液晶も大画面高解像度化が急激に進み、充電池も技術的進歩の恩恵を受けて大きく発展した。従来の赤外線通信機能に加え無線LANを搭載し、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンライン対戦ゲームも楽しめるようになった。同時期におこった据置ハードの市場縮小とは対照的に携帯機は市場の拡大が進み、近年では据置機との売り上げの逆転も見られるようになった。
- ニンテンドーDS(任天堂・2004年)
- プレイステーション・ポータブル(SCE・2004年)