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* [[1984年]] 『とどのつまり…』 (原作・絵コンテ) (作画は[[森山ゆうじ]])
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* [[1994年]] 『[[セラフィム 2億6661万3336の翼]]』 (原作) (作画は[[今敏]])
* [[1994年]] 『[[セラフィム 2億6661万3336の翼]]』 (原作) (作画は[[今敏]])
* [[1999年]]『[[犬狼伝説 Kerberos panzer cop 完結篇]]』 (原作)(作画は藤原カムイ)
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* [[2002年]] 『殺人者たち The Killers』 (原作)
* [[2002年]] 『殺人者たち The Killers』 (原作)
* 2002年 『[[西武新宿戦線異状なし番外編]]』 (原作)
* 2002年 『[[西武新宿戦線異状なし 番外編]]』 原作
* [[2003年]] 『[[RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕]]』 (原作)(作画は[[杉浦守]])
* [[2003年]] 『[[RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕]]』 (原作)(作画は[[杉浦守]])
* [[2006年]] 『[[ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女]]』 (原作)(作画は杉浦守)
* [[2006年]] 『[[ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女]]』 (原作)(作画は杉浦守)

2007年8月9日 (木) 11:46時点における版

押井 守おしい まもる1951年8月8日 - )はアニメ実写映画を中心に活動している日本映画監督演出家。その他にも、ゲームクリエイター小説家脚本家漫画原作者と活動は幅広い。東京都大田区出身。東京都立小山台高等学校東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度より東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授に就任予定であると、同大学のホームページにおいて発表があった。

代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。アニメ映画イノセンス』(カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品)により、日本SF大賞を受賞した。大賞でアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった(星雲賞では過去に例がある)。

好きであり、犬の絵柄がデザインされたTシャツやトレーナーを好んで着用していた。[1]個人事務所は、有限会社八八粍。事務所所在地は、東京都港区虎ノ門。押井自身の全額出資によって設立された。

作風

押井守が多く用いる映像表現として、アニメCGの融合、レンズの概念をアニメに取り入れる、実写的要素をアニメに取り入れる、などがある。これらの手法は押井の独創ではないが、現在の漫画アニメ界に関わる多くの人に影響を与えている(押井のこれらの手法の使い方が印象的であることの証明ともいえる)。また音楽を非常に重視しており、近年の作品の音楽はすべて川井憲次に任せている。もはや川井憲次の音楽表現は押井作品と切り離せないと言える。その映像センスと音楽表現、そして時には「ギャグ」、時には「哲学」として語られる独特の長台詞回し(「押井節」とも呼ばれる)は、一部から高い評価と支持を得ている。

押井の永遠のテーマとも言えるシナリオの方法論として、「虚構と現実・真実と嘘の曖昧さ」がある。これは上記と同じく押井が源流ではない(前例として楳図かずおが挙げられる)。

押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で「自分の作品の客は1万人程度でいいと思っている」「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言[2]があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である。[3]また、「自分より年上の人間に向かって作品を作ったことがない」という発言もある。

制作に入った作品はキッチリ納期までに仕上げることをポリシーとしていて、現に(現場が動き出す前に頓挫した作品を除き)殆どの作品の納期を守っている。しかしそうしたスタンスのため、公開に間に合わなくなると判断したシーン[4]は、たとえそれが作画作業中であってもカットすることが少なくない。また、上映時間は90分前後から最長でも120分未満を理想としているため、ストーリー上余分と判断した所[5]コンテ段階で極力省かれる。[6] そうした、ストーリー的な解りやすさよりも映画の完成度を優先する姿勢が、結果的に観客に難解な印象を与える要因の1つとも言える。

1度完成し、公開された作品の映像に新たに手を加えることを好まないため、DVD化においても本編に未公開シーンを加えた完全版などは基本的に制作されない。[7]

経歴

1970年東京学芸大学入学。「映像芸術研究会」を設立し、実写映画を撮り始める。卒業後にはラジオ番組制作会社のディレクターもやっていた。映画監督になる夢をあきらめ図画工作の教員になる予定だったが、教員試験の書類の提出を頼んでおいた友人がそれを忘れて、受験が不可能となってしまった。1977年、映像とは関係の無い会社に就職したがすぐに退社し暇をもてあましていた時に、電柱に貼ってあった求人広告を見てタツノコプロに入社、アニメ演出を手掛けるようになる。当時、スタジオに入るまでアニメにはあまり触れていなかったという(タツノコプロのアニメはちらっと見て印象に残っていたため、求人広告に応じたという)。やがて、2年早く入社した西久保瑞穂真下耕一うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取るようになる。なお、西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオでのディレクター経験を買われ、最初から演出を任されていた。

独特のギャグの才能をタツノコプロ演出部長の笹川ひろしに買われて、『タイムボカンシリーズ』を長く担当。タツノコプロ退社後もアルバイト絵コンテを描き、後には持ちネタのひとつとした立ち喰いネタをこの時すでに『タイムボカンシリーズ』に盛り込んでいる。

1980年、私淑する鳥海永行に続く形でスタジオぴえろに移籍。テレビアニメ『ニルスのふしぎな旅』のレギュラー演出家として鳥海の下につく。タツノコプロ時代よりこの頃の押井はギャグを得意とすると見なされており、ぴえろ社員として『まいっちんぐマチコ先生』の絵コンテを1本描いたこともあった。

1981年、テレビアニメ『うる星やつら』のチーフディレクターに抜擢。当初は「声優がイメージと違う」などの原作ファンからのバッシングや低視聴率に苦しみ、フジテレビ側との軋轢も生じたが、原作の的確なアレンジ千葉繁演じる「メガネ」などの押井の分身とも思えるサブキャラクターの熱演、若手スタッフの登用と彼らによる“暴走”と呼ばれる作画、映画漫画パロディ前衛的な内容などが視聴者に支持され、やがて高視聴率を挙げるようになる(ただし、あまりにも原作とかけ離れたオリジナルの回の放送直後に呼び出しを受けるなど、局側との軋轢は続いた)。その後、劇場版第1作『うる星やつら オンリー・ユー』、さらに劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で単なるアニメ演出家というよりも映像作家として認知されるようになる。なお『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)という快挙を成し遂げている(同年の1位は『風の谷のナウシカ』)。

虚構性をテーマとする押井の作風が確立したのはこの頃からである。1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社(当時『アニメージュ』のプレゼント色紙に「玄界灘」というコメントとともに崖に立つ自画像を描いたこともある)。以後フリーランス演出家となる。

1984年に宮崎駿大塚康生の誘いもあり、『ルパン三世』映画第3作監督の依頼を受ける。ところが、半年間考えた脚本(「押井版ルパン三世」)を東宝読売テレビプロデューサーから没にされて製作は中止(NHKの番組トップランナーに出演した折の発言によると、その脚本とは「ルパンなる人物は実は存在しない」という内容だったという。)。その後、同映画のスタッフだった天野喜孝とともに、徳間書店・『アニメージュ』のバックアップにより、スタジオディーンの制作でOVA天使のたまご』を完成させる。なお、『天使のたまご』には、のちの劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』にも共通する、幻となった押井版『ルパン三世』で押井が描こうとしたテーマが根底に流れているといわれる。また、同年『アニメージュ』誌で初の漫画原作作品『とどのつまり…』連載を開始。作画は『うる星やつら』の作画を支えた森山ゆうじが担当した。

1987年タツノコプロで同僚だった西久保瑞穂が監督を務めた『赤い光弾ジリオン』に参加。絵コンテ2本のみだったが、この作品がきっかけとなって、後に活動の拠点とするProduction I.Gとの付き合いが始まる。同年、声優・千葉繁プロモーションビデオを自主制作する話が発展し、『うる星やつら』も担当した音響制作会社オムニバスプロモーションの製作による実写作品『紅い眼鏡』を監督。この映画の予算は「こんな低い制作費で作れるわけがない!」と関係者が叫んだほどの安さで、自主製作映画に近いものだった(出演者の大半が手弁当だったという)。しかし、その低予算ゆえのユニークな演出が一部で高い評価を受ける。これ以後、アニメのみならず、実写にも活動の場を広げる。

天使のたまご』以降は作家性の強いマニアックさが災いして5年ほど干された(本人談)が、1988年にはOVA機動警察パトレイバー』を監督して第一線に復帰。続けて1989年に公開された劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』で第7回日本アニメ大賞を受賞するなど、メジャーな存在に復帰した。スタジオぴえろから独立後、OVAシリーズ『機動警察パトレイバー』まで、押井はスタジオディーンと組んで仕事をすることが多かったが、『機動警察パトレイバー the Movie』を契機として、押井は活動の拠点をProduction I.Gへと移した。以後、Production I.Gにはフリーでの参加ながら、企画者育成のために「押井塾」を主宰するなど、中心的役割を担っている。

1995年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で海外から注目を浴び、同映画を収録したビデオはアメリカ『ビルボード』誌のホームビデオ部門で売上1位を記録した。[8] これは日本アニメ史上初の快挙として、国内で大きく報道された。スティーブン・スピルバーグジェームズ・キャメロンなどに絶賛され、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』はその影響を強く受けている。国内のプロからあまりはっきりした評価を受けず、海外のプロから激賞されたという意味で、日本以外で有名な映画監督と言えるかもしれない。

2004年には『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。ちなみにカンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであり(宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭に出品)、ここでも押井作品の国際的な評価が高いことがわかる。

2005年愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。

人物像

本人について

  • 兄、姉の三人兄弟の末っ子。血液型O型。姉は舞踏家最上和子。父は興信所で私立探偵業を行なっていた。その影響か、しばしば押井作品には探偵刑事が登場する。
  • 遠浅の東京湾が埋め立てられていく過程を見て育ったためか、埋立地への嫌悪を隠そうとしない。『機動警察パトレイバー』シリーズでは「予算の都合から(作画の手間が少なくて済む)埋立地を舞台にした」としているが、押井が担当したエピソードでは人間が持つエゴイズムの象徴として描かれる傾向がある。また『パトレイバー』に限らず、いくつかの作品では埋立地のゴミ処分場がラストシーンになっている。
  • 1968年高校2年で成田闘争に参加。押井の大学入学時に学園紛争は終息に向かうが、学生運動は押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。後に押井自身は自らの世代を「(学生運動という祭りに)遅れてきた世代」と語っている。
  • 大学の同窓生によれば卒業制作は絵画・彫刻によるとされているにもかかわらず、ただ一人映画製作をし、強引に卒業作品として教授に認めさせ卒業してしまったという。
  • 無類の犬好きで、犬を飼うためだけに熱海へ引っ越したと公言している(猫も嫌いというわけではなく過去には愛猫「ねね」(2000年 夏 永眠)、現在「水無月」がいる)。魚、鳥とともに犬を作品のモチーフとし、自らの愛犬を作品によく登場させる。愛犬雑誌の『WAN』(ペットライフ社)に連載「熱海バセット通信」を執筆した。本人の自画像などにも犬を用いるが、これはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』によるものらしい。好きな犬種はバセットハウンドとシェーファーフント(シェパード)。愛犬はバセットハウンドのガブリエル(通称ガブ・♀ 2007年4月3日 永眠)と雑種のダニエル(通称ダニィ・♂ ちなみにダニだらけだったからダニィということもある)。『イノセンス』の制作中ガブリエルがヘルニアを患ったため引越しをし、さらに看病のために仕事を休んだため、一時は監督解任かと騒がれたという逸話がある。
  • 初対面の人間ともよく喋るが、早口で小声であるために聞き取りにくいという人もいる。これは本人が中耳炎を患っているためでもある。
  • 字が汚く、師匠の鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたこともある。そのため近年の絵コンテには写植が施されている。
  • 天使のたまご』後にしばらく仕事が途絶えたころ、ファミコンパソコンゲームに熱中した。この経験を活かしてゲーム雑誌『コンプティーク』および『電撃王』にエッセイ『注文の多い傭兵たち』を連載。製作に関わったゲームには、ファミコンゲーム『サンサーラ・ナーガ』、スーパーファミコンサンサーラ・ナーガ2』、メガドライブ『機動警察パトレイバー ~98式起動せよ~』、そして昨今ではPSP『機動警察パトレイバー かむばっく ミニパト』がある。またコンピュータRPGウィザードリィ』の影響を強く受けており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』には「トレボー」「ワイバーン」など『ウィザードリィ』にちなんだ名前が劇中に登場したり、『アヴァロン』のパーティ編成・ジョブの名称が『ウィザードリィ』のそれを模したものであったりする。押井が脚本を担当した『パトレイバー』TV版の『地下迷宮物件』および『ダンジョン再び』は、エピソードそのものが『ウィザードリィ』のパロディとなっている。
  • パソコン通信を行なっていた。アスキーの運営する『アスキーネット』に書き込みをしたことがある。
  • 戦車を愛好するミリタリーマニア。アルバイトで加わった名作アニメ『名犬ジョリィ』では、必要以上にガンの描写にこだわった絵コンテを切った。下でも触れているが、人手が足りない『うる星やつら』初期に、戦車の原画を描いたことがあった。『うる星やつら』の演出を担当した最後の話では、第二次世界大戦時代の戦車や航空機を用いて攻防戦を描いた。映画『ミニパト』でも銃について薀蓄を披露している。
  • アニメのキャラクターデザインのモデルになったことがある。スタジオぴえろ時代にアルバイトで参加した『逆転イッパツマン』では「若作りの丸輪さん」。アニメ『うる星やつら』の脚本伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美が参加した『魔法の天使クリィミーマミ』では「星井守ディレクター」、「日高守少年」。伊藤と高田はアニメ雑誌アニメージュ』で押井を主人公にした4コマ漫画を連載したこともある。『ゼンダマン』に登場する「惜しい」を連呼するマスコット「オシイ星人」も押井から取られたもの。「ミニパト」の中でも押井をモデルにした犬「オシイヌ」が登場する。
  • G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の凍結解除を執念深く待ち続けている。CGの登場により、実写アニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであった。ただ、『ガルム戦記』パイロット版の制作で得たノウハウは、のちに『アヴァロン』に活かされている。
  • アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を著している。
  • 日本酒については熱燗派で、夏でも冷酒は飲まないらしい。
  • 制作した作品は暴力的なシーンが多いが、実は血に弱く、『ケルベロス ~StrayDog~ 地獄の番犬』 の撮影中、銃撃シーン用に用意された大量の血糊を見て気分が悪くなり、その大半を廃棄させたことがある。
  • 夫人の影響で、最近はサッカー観戦も趣味となった。ご贔屓のクラブチームはジュビロ磐田チェルシーFCとその監督ジョゼ・モウリーニョのファンであり、UEFAチャンピオンズリーグも非常に楽しみにしている。ドイツも好きらしくワールドカップではドイツを応援し、日韓共同開催の際にドイツ対イングランドをスタジアムで観戦した。その影響は作品にも現れ「ケルベロス:鋼鉄の猟犬」作中の実在していない人物の名前は、サッカー選手から取られている。
  • ライターとなった娘(前妻との娘)からの取材を受けたことがあり、その際は「妙な気分だった」と語っている。ちなみにこの娘は作家乙一の夫人となった。
  • うる星やつらでの制作に「懲りて」今後は一生テレビアニメ制作はしないと心に決めている(宮崎駿に「テレビシリーズであくせくせずに自分の作りたいものを作れ」と助言された事も一因だという、「PROJECT_MERMAID」は例外とみた方がいいだろう)。それ以来テレビアニメには脚本・絵コンテ・企画の監修程度しか関わっていない。機動警察パトレイバーのTV化に「シリーズ化なんだ、あんたがやるのが筋だろう」と監督を依頼されるも、何とか粘って断った過去がある。
  • あまり語られていないが原画を書いたことがある。「うる星やつら」の制作時、戦闘機・戦車が書けるアニメーターがいなかった為に押井が書いていた(しかしさすがに旋回シーンは書けなかったと言う。クレジットには表記されていない)。「ダロス」制作時にも最終話のレーザービーム発射シーンの2・3カットは押井が書いていた(同じくノークレジット)。

人間関係

  • 大学時代に主宰した「映像芸術研究会」は、既存の大学の映画研究会と喧嘩別れした押井が新たに作ったもの。このサークルには後に映画監督となる後輩の金子修介や、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなる一橋大学の学生が所属していた。本人は童顔のため、少年役で出演することが多かった。大学時代の押井は毎日のように名画座に通い、年間1000本の映画を見たと言う。
  • 宮崎駿と親交があり「宮さん」と呼んでいる。初対面は『うる星やつら オンリー・ユー』制作後に当時アニメージュ編集者であった鈴木敏夫の引き合わせによって実現した対談の場である。その対談で宮崎は初対面であるにも拘らず『うる星やつら オンリー・ユー』について厳しい意見を押井に容赦無くぶつけ、押井自身もそのことを承知していただけに大変悔しい思いをしたと語っている。 しかし、そのことが後に代表作となる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を制作する動機の1つとなった。 その後、スタジオぴえろを退社した押井は、一時宮崎の個人事務所「二馬力」に机を置いた。宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介。「押井版ルパン三世」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。しかしその一方で、考え方の上での二人の対立(科学文明への賛否や環境保護のありかた、果ては専業声優の起用不起用など)の溝は深いとも言われる。あるインタビューでは、「どこかの監督のように安易に俳優を使う事はしたくない。声だけで全ての演技をする声優は素晴らしい役者だ」と述べているほど、声優を大事にする一面を持つ(渡米して『攻殻機動隊』の英語版アフレコに立ち会った後、「日本の声優という職業は世界に例がない貴重な仕事」とも語っている)。また、宮崎のワンマン体制であるスタジオジブリの制作システムについて「クレムリン」、「KGB」、「道場」と評している。またこれらにちなんで、宮崎駿を「書記長」、高畑勲を「ロシア共和国の大統領」、鈴木敏夫を「KGB長官」と評している。
  • 高畑勲についてはその作品に「ちょっと血が通ってないという部分を感じる」「描写にこだわるが、それが全部理屈に見える」という理由であまり共感できない模様である。 しかし、演出的な意味では宮崎駿の作品よりも、高畑の『赤毛のアン』などの作品から受けた影響の方が大きいと語っている。
  • 宮崎の紹介で『ルパン三世』の監督就任があっさりと決まったのは、当時の東京ムービー社長・藤岡豊が「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」「『うる星やつら』はうまい・動きが冴えてる」と押井の評判を知っていたからである。
  • 近年になり再び『ルパン三世』の監督オファーの話があったものの、その際は押井の側からNGを出して断ったと言われている。残念がる周囲の人間には「腕毛が生えているのが気に入らないから断った」などと冗談交じりに嘯いているという。
  • 宮崎駿の長男宮崎吾朗とは彼が高校生の頃から面識があり、当時の吾朗には父の作品『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったという。[9]月刊誌『サイゾー』での対談では「宮さんに引導を渡せ」「それは僕らの役目ではなく、やっぱり息子である吾朗くんの役目であり、義務なんだよ。」と迫っている。ちなみに宮崎吾朗はスタジオジブリ公式サイトの『ゲド戦記』監督日誌で押井について「私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく」「もうひと花咲かせてほしいと思っています」とコメントしている。
  • 大塚康生とは宮崎駿が縁となり知り合う。実写映画『紅い眼鏡』では「対話タクシーの運転手」役としての出演、撮影用に「ジープ」を貸してもらうなどの親交がある。 押井は大塚から「理屈が自転車に乗っているような人間」と例えられている。[10]
  • 庵野秀明は、押井のスタジオぴえろ退社とほぼ同時期にやはり宮崎駿の元に身を寄せていた時期があり、『天使のたまご』制作にいったんは参加したものの、「修行僧のような生活」に耐えかねて二週間で逃げ出したという(『AERA』掲載の「現代の肖像」(押井守)での記載)。また、押井の作風を「衒学的」と評したこともあったという。しかし、『逆襲のシャア』の同人誌で庵野が押井にインタビューを行ったり(詳細は後述)、『新世紀エヴァンゲリオン』制作前に押井に聖書関連の参考文献についてアドバイスを求めに来たことがあったり、親しい関係である。
  • 新海誠やインディーズアニメなどの個人によるアニメ制作に関しては、「まわりの人間から何も吸収しなくなってしまう」「(新海が儲かったことで)アニメーターが俺もそうすれば儲かると考えて辞めてしまう」などと、限定的な評価に留まっている。
  • 邦画のシステムに対して不信感を抱いており、金子修介との対談の際「邦画というシステムは一度崩壊した方がいい」「(アニメをおだてておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」(対談当時。2006年に新設された)との発言をしている。
  • 高橋良輔との多くの対談において「『ボトムズ』を見たときには血が逆流した」「僕がやりたかったことの先取りだった」「『ボトムズ』は軍事をアニメに持ち込んだエポック的作品だった」などと、高橋の代表作『装甲騎兵ボトムズ』へ熱い賛辞を述べている。ちなみに押井のレイアウトシステム確立に不可欠だった『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『イノセンス』のキーアニメーターで作画監督を務めた黄瀬和哉沖浦啓之はともに、『ボトムズ』を始め1980年代の高橋作品の作画の中核を担った作画スタジオ、アニメアールの出身者である。
  • 富野由悠季作品の中では『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を絶賛しており、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオマージュ的な側面もあると語っている。庵野秀明らによって出版された同人誌『逆襲のシャア友の会』で、庵野を聞き手に押井守が作品について多くを語っている。別の誌面での富野との対談時、押井は本人にその旨を伝えたが、富野の方は「お世辞だと思って聞き流した」とのこと(ただしこれがホンネかどうかは不明)。
  • 出崎統監督作品、「劇場版エースをねらえ!」のビデオを公開直前に極秘入手し、何度も繰り返し見て「アニメを映画にする方法を学んだ」と発言している。
  • 実写の映画人では、北野武(ビートたけし)に関心を持ち、作品のソフトはすべて所有している。一方、たけしは自らが審査委員長を務める東京スポーツ映画大賞の作品賞に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、主演女優賞に草薙素子を選出したことがある。
  • 少年時代からSF作家の光瀬龍のファンであり、高校時代にはファンレターを書いたことがきっかけで自宅に何度も訪問するまでになった。しかし、当時押井もかかわっていた学生運動について意見が対立し、それ以降は長く接することがなかったという。『天使のたまご』を制作した際に対談で約20年ぶりの再会を果たし、確執は解けた。のち、光瀬が亡くなった翌年の日本SF大会では、押井が光瀬との思い出を語るコーナーが設けられた。その際、「今でも『百億の昼と千億の夜』は映画化したいと思っている」と発言している(企画書を書いたこともあったという)。

映画作品

アニメ

実写

オシメーション

「オシメーション」とは、デジタルカメラで撮影した俳優写真をデジタル加工し、アニメのパーツとして使用する技法のこと。従来からアニメーションの技法のひとつとして、実写の人間をコマ撮りする、「ピクシレーション(en:pixilation)」がある。このピクシレーションをさらに発展させたものが、「オシメーション」である。「スーパーライブメーション」とも称する。Production I.G社長石川光久が「押井守の原点にもどって作ってもらおうという事で」「原点の赤ちゃんになってもらって、押井監督がおしめをはくような作品」という理由で命名し、『立喰師列伝』の制作会見の席上で西尾鉄也によるデフォルメ調の「オシメを穿いた押井守のイラスト」と共に発表された。

テレビアニメ・OVA・ラジオドラマ・CDドラマ・ゲーム

テレビアニメ

OVA

ラジオドラマ

CDドラマ

ゲーム

その他映像作品

著書など

漫画原作

没になった企画

  • シャーロック・ホームズ

 奇しくも登場人物が犬という設定が名探偵ホームズより前に企画されていた。ただ、ここでの本筋はギャグの度合いが大きいという。押井は絵コンテ担当であった。(パイロットフィルムもある)

  • フルムーン伝説 インドラ(キャラクターデザイン・高田明美、美術監督・中村光毅、小説版執筆・鳥海永行)

 英名「THE FULLMOON TRADITION INDRA」押井は企画・原案・絵コンテ・演出としての参加だった。世界展開を予定していたがイタリアとの制作方針が合わずやむなく中止に。その後、鳥海が小説としてまとめた。

  • アンカー(企画、監修、脚本・宮崎駿、小説版執筆・夢枕獏)

 高畑勲も監修として参加しプロットまで作ったがその際ストーリー展開の仕方について大喧嘩になってしまい、結局その段階でお流れになったという。

  • 突撃!アイアンポーク(原作・企画・監修・宮崎駿)

 宮崎駿の雑想ノート6「多砲塔の出番」を原作とし、押井は監督として参加してOVA化する予定だったが、諸事情により中止に。

 メカ造形が気に入った為、今でも機会を窺っているらしい。

  • 立喰師列伝

 当初はトワイライトQの一作品になるはずであり、その際のタイトルは「最後の立喰い」であった。

 樋口真嗣曰く「巨大怪獣もの」だという。大筋は「翼竜の大群が襲ってきて、自衛隊の新兵器がそれを撃墜する」というもの。樋口によると「とある怪獣映画の因縁を感じる」とのこと。

 「自衛隊のシーンを監督してほしい」と金子修介からオファーがあり押井も乗り気だったものの、スケジュールが合わず断念。

 樋口曰く「巨大スーパーヒーロー物」らしい。企画自体は1992年頃から存在しており、「ガルム戦記」頓挫後にガルムで表現しようとしたテクニックを使い始動しようとするも程なく白紙になった。

関連項目

御用達声優

 しかし、立喰師列伝のイベントで、「もう押井作品に出演することはないかも」と千葉が発言し押井も「そうだねぇ、もう千葉君も演出家だからね」とコメントしている。

 容姿を押井に気に入られ、それ以来キャラクターデザインのモデルにされる事が多い。一例として『犬狼伝説』の室戸文明。

 実写では主役に負けないほどよくしゃべる役が多いが、アニメでは台詞の短い脇役(整備員の一人など)が多い。

 押井曰く「彼の最大の欠点は、(演技や声色が多彩すぎて)誰も彼の本当の声を知らない事である」とのこと。

 声優デビュー作となった「天使のたまご」以来、大半の押井作品にアニメ・実写問わず出演している。アヴァロン制作時に、「ゴースト役が決まらなかったら彼女を起用する」と言うほど押井に惚れ込まれている。

 キャラクターの表現方法の意見の食い違いで一時期絶縁したが、後に和解する。

脚注

  1. ^ 現在、公の場では靴下や下着など目立たない部分のみに止めている。
  2. ^ 発言の真意は「映画は公開された時に勝負が終わる訳ではなく、むしろその後の方が重要」という考えによる。
  3. ^ 書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした姿勢に苦言を呈されてもいる。また、作画監督の黄瀬和哉からは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の試写の後「あんたにはああいう映画は作れない」、『イノセンス』制作後のインタビューで「たけしでさえ『座頭市』を撮ったのに…」とのコメントがあった。
  4. ^ 犬が登場するシーンも含まれる。
  5. ^ 機動警察パトレイバー 2 the Movie』ではかつての特車二課第二小隊の面々のエピソード、『イノセンス』では前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の回想シーンがカットとなっている。
  6. ^ 中には『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の諸星あたるが幾多の夢を迷走するシーンの一部や、『アヴァロン』の冒頭、装甲ヘリが 爆撃態勢に入るカットなど、ほぼ完成していながら本編に入らなかった例もある。
  7. ^ 例外に森本晃司が手がけたシーンを加えた『うる星やつら オンリー・ユー完全版』、音声を5.1chにサウンドリニューアルした『機動警察パトレイバー the Movie』 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』がある。
  8. ^ 押井守が言うには、「年間」ではなく、「週間」の瞬間最大風速でしかない。アメリカでの上映時のフィルムの状態がひどく悪く、鮮明な画質で見たい人たちが発売と同時に購入した。実は既に、成人向けアニメが1位を記録していた、とのこと。
  9. ^ 逆に押井は娘から『紅の豚』のセル画が欲しいとせがまれている。
  10. ^ 参考文献 キネマ旬報(第1166号) 臨時増刊 1995年7月16日号『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』 押井守インタビューより

外部リンク

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