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「麻布狸穴町」の版間の差分

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*明治44年([[1911年]])[[5月1日]]、町名より『麻布』の冠称が除かれ、麻布区狸穴町となる。
*明治44年([[1911年]])[[5月1日]]、町名より『麻布』の冠称が除かれ、麻布区狸穴町となる。
*[[昭和]]5年、ソ連大使館が[[麹町]]より狸穴町に移転してくる。
*[[昭和]]5年、ソ連大使館が[[麹町]]より狸穴町に移転してくる。
*昭和22年([[1947年]])[[3月15日]]、麻布区が[[芝区]]・[[赤坂区]]と合併して新たに[[港区_(東京都)|港区]]が成立。それに伴い、東京都港区麻布狸穴町となる。
*昭和22年([[1947年]])[[3月15日]]、麻布区が[[芝区]]・[[赤坂区]]と合併して新たに[[港区_(東京都)|港区]]が成立。それに伴い、[[東京都]][[港区]]麻布狸穴町となる。
*昭和37年([[1962年]])、[[住居表示]]の実施に伴い、麻布狸穴町の南端の地域が東麻布二丁目・東麻布三丁目に変更される。
*昭和37年([[1962年]])、[[住居表示]]の実施に伴い、麻布狸穴町の南端の地域が東麻布二丁目・東麻布三丁目に変更される。
*昭和49年([[1974年]])[[1月1日]]、[[住居表示]]の実施に伴い、ソ連大使館などがある北側の地域が麻布台二丁目として麻布狸穴町から切り離される。
*昭和49年([[1974年]])[[1月1日]]、[[住居表示]]の実施に伴い、ソ連大使館などがある北側の地域が麻布台二丁目として麻布狸穴町から切り離される。

2007年9月29日 (土) 21:14時点における版

麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)は東京都港区の地名。当地域の人口は、278人(2007年9月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。

麻布狸穴町は外苑東通りより古川(渋谷川)の谷へ向かう斜面に位置する町であり、町域の大部分はマンションなどが立ち並ぶ住宅地となっている。かつては町域内にソ連大使館(現在のロシア大使館)があり、『麻布狸穴』といえばソ連大使館を意味するほど有名であったが、現在では住居表示の実施によってロシア大使館のある地域は麻布狸穴町から麻布台二丁目へと変更されている。

歴史

  • 江戸時代初期、狸穴坂沿いの町屋が飯倉狸穴町となる。狸穴の地名の由来については諸説あるが、この地に生息していた猯(まみ=アナグマ)にちなんで『まみあな』という地名がついたのだが、後に狸の字と混同されてしまい、狸穴(まみあな)と書かれるようになったとする説が有力である。
  • 明治5年(1872年)、飯倉狸穴町に周辺の町を併合して麻布狸穴町が成立する。
  • 明治11年(1878年)、東京府麻布区成立に伴い麻布区麻布狸穴町となる。
  • 明治44年(1911年5月1日、町名より『麻布』の冠称が除かれ、麻布区狸穴町となる。
  • 昭和5年、ソ連大使館が麹町より狸穴町に移転してくる。
  • 昭和22年(1947年3月15日、麻布区が芝区赤坂区と合併して新たに港区が成立。それに伴い、東京都港区麻布狸穴町となる。
  • 昭和37年(1962年)、住居表示の実施に伴い、麻布狸穴町の南端の地域が東麻布二丁目・東麻布三丁目に変更される。
  • 昭和49年(1974年1月1日住居表示の実施に伴い、ソ連大使館などがある北側の地域が麻布台二丁目として麻布狸穴町から切り離される。

参考図書

  • 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行
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