芝浦
芝浦 | |
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芝浦を通過する東京モノレール(2022年) | |
北緯35度38分30.57秒 東経139度44分53.59秒 / 北緯35.6418250度 東経139.7482194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 港区 |
地区 | 芝浦港南地区 |
面積 | |
• 合計 | 1.25 km2 |
人口 | |
• 合計 | 25,969人 |
• 密度 | 21,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 03[5] |
ナンバープレート | 品川 |
※座標は八千代橋交差点付近[6] |
芝浦(しばうら)は、東京都港区の地名。現行行政町名は芝浦一丁目から芝浦四丁目。郵便番号は一丁目が105-0023(銀座局管区)[3]、二〜四丁目が108-0023(高輪局管区)[4]。
概要
[編集]東京湾に面した、港区東部の芝浦港南地区総合支所管内に属する地域である。運河が多い埋立地であり、ほぼ全域がJR山手線の東側に位置する。工場やオフィス、倉庫などの商工業施設が大半を占めるが、高層住宅も存在する(後述)。また、JR田町駅芝浦口周辺を中心に商店街・飲食店街がある。
現在の芝浦は、明治時代から昭和時代初期にかけて、遠浅の海を埋め立てて船舶が接岸できる港を作ることを目的とした「隅田川口改良工事」によって成立しており[7]、工事第1期の埋立3~5号地と第3期の埋立2~6号地に当たる。港区芝・三田とはJR山手線・京浜東北線の線路で、港区海岸・港南とは運河で接している。
東京都都市整備局が2022年に発表した地震に対する総合危険度の町丁別評価では、芝浦一丁目から四丁目までいずれも、5段階評価のうち相対的に都内で最も安全とされる「レベル1」となった[8]。
芝浦の町域内には鉄道駅はないが、田町駅・三田駅・日の出駅・芝浦ふ頭駅などが近い。
地名
[編集]「芝浦」とは「芝の浦」の意味であり、もともとは芝地域一帯の東京湾を指す言葉であった。この地域一帯の地名に見られる「芝」とは文字通り植物の芝のことで、芝が生い茂った地であり、その沖の海底部分であるため「芝浦」と呼ばれるようになったといわれている。
また、「芝」とは芝沖の海苔の養殖に使う木の枝「ひび」(竹篠)のことであり、「ひび」の並んだ海であることから「芝浦」となった、とする説もある。芝浦は現在では行政区画上の芝浦一〜四丁目の地域のことであるが、広義では港区海岸・港南の全域を含む山手線よりも東京湾寄りの埋め立て地域全体を指し[注 1]、山手線よりも内側で、元々陸地の部分が「芝」と呼ばれる。
歴史
[編集]現在の芝浦一帯は、かつては江戸湾(東京湾)の海底だった。中世から東京湾の重要な海運拠点で、戦国時代には後北条氏の水軍の一拠点であったとされ、北条氏の縁戚である吉良頼康と玉縄城主北条綱成の管理下に置かれた。
江戸時代には芝の雑魚場と呼ばれて栄えた。また芝浦で採れた魚は
大正時代から太平洋戦争による中断を挟んで昭和30年代まで花街が存在した[9]。当時の痕跡を示す見番の建物は修改築され、2020年から港区立伝統文化交流館として活用されている。
1920年に創立した日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」の発祥の地である。当時埋め立てが進んだ芝浦を本拠地としていたことから、「芝浦協会」とも呼ばれていた。また、日本初の放送が行われた場所もこの芝浦の地である[注 2]。
1980年代後半のバブル景気の頃には、土地が比較的安いことからディスコやライブハウスが多数作られ、「ウォーターフロント」と呼ばれて流行の発信地となった。
沿革
[編集]- 1912年(明治45年) 隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦地区の埋め立てが開始される。
- 1919年(大正8年)2月 芝浦海面埋立地が完成し、翌3月に芝浦町一〜三丁目が成立、東京市芝区に所属する。
- 1932年(昭和7年) 芝浦町一丁目に外国・国内の貨物船専用桟橋である芝浦桟橋(芝浦埠頭)が完成する。
- 1936年(昭和11年)1月1日 芝浦町とその周辺の町域整理を実施。芝浦町二丁目に周辺地域をあわせて新たに芝浦一〜三丁目が成立する。また、芝浦町三丁目に周辺地域をあわせて西芝浦一〜四丁目が起立され、芝浦町一丁目は海岸通三丁目に変更となった。
- 1947年(昭和22年) 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い、芝浦地区は東京都港区芝浦・西芝浦となる。
- 1964年(昭和39年)7月1日 芝浦地区に住居表示が実施され、芝浦に西芝浦を統合し、現行の芝浦一〜四丁目が成立する。
町名の変遷
[編集]実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
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芝浦一丁目 | 1964年7月1日 | 芝浦一丁目 |
芝浦二丁目 | 芝浦二丁目 | |
芝浦三丁目 | 西芝浦一丁目、西芝浦三丁目 | |
芝浦四丁目 | 芝浦三丁目、西芝浦二丁目、西芝浦四丁目 |
再開発
[編集]その全面が埋め立て地であり、その為工場や倉庫が多かった芝浦では、バブル景気崩壊後の1990年代以降、付近の汐留や品川などの埋め立て地と同様、再開発が盛んになった。
その代表的なものが、2007年(平成19年)に竣工した大規模な高層住宅群「芝浦アイランド」である。都営バス操車場、新三井製糖工場などの跡地に「ケープタワー」や「エアタワー」、「グローヴタワー」など、高さ160m程度の高層マンションが4棟建設された。また同じ芝浦四丁目の沖電気工業の本社及び工場跡地にも高層住宅「CAPITAL MARK TOWER」が同年10月に竣工した。2016年1月には芝浦一丁目のヤナセ本社跡地に高層住宅「グローバルフロントタワー」が建設された。
これらに伴う児童数の増加に対応するために、芝浦一丁目にあった東京ガスの施設の跡地を再開発して2022年4月、港区立芝浜小学校が開校した。
世帯数と人口
[編集]2021年(令和3年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
芝浦一丁目 | 1,835世帯 | 3,313人 |
芝浦二丁目 | 2,218世帯 | 3,577人 |
芝浦三丁目 | 1,266世帯 | 2,094人 |
芝浦四丁目 | 8,251世帯 | 16,985人 |
計 | 13,570世帯 | 25,969人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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芝浦一丁目 | 1~5番 | 港区立芝小学校 | 港区立三田中学校 |
6~16番 | 港区立芝浜小学校 | 港区立港南中学校 | |
芝浦二丁目 | 全域 | ||
芝浦三丁目 | 全域 | ||
芝浦四丁目 | 1~19番 | 港区立芝浦小学校 | |
20~22番 | 港区立芝浜小学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]施設
[編集]芝浦一丁目
[編集]- 港区立芝浜小学校
- 浜松町ビルディング(東芝・コスモ石油本社)
- 森永芝浦ビル(森永製菓本社)
- ヤナセ本社
- 東京ポートボウル
- 港区立みなとパーク芝浦
- 港区役所芝浦港南地区総合支所
- 港区スポーツセンター
- 港区立芝浦公園
- 愛育病院
- 港区立伝統文化交流館
- シーバンス
芝浦二丁目
[編集]芝浦三丁目
[編集]- 東京工業大学田町キャンパス(附属科学技術高等学校)
- 田町駅(芝浦口)
msb () Tamachi ステーションビル- バンダイナムコアミューズメント本社
芝浦四丁目
[編集]- 港区立芝浦小学校
- 芝浦アイランド
- 住友不動産三田ファーストビル(旧・住友不動産三田ツインビル東館)
- キャピタルマークタワー
- トヨタモビリティ東京本社
- 関電工本社
かつて存在した施設
[編集]- 東京高等工芸学校
- 芝浦工業大学芝浦キャンパス
- ジュリアナ東京 - 1990年代前半の世相を象徴した大規模ディスコ
- インクスティック芝浦ファクトリー - バブル期に人気となったライブハウス
- 田町ハイレーン
- 株式会社ジェイ・シー・エム - プラスeなどを手掛けた企業[11]
芝浦が舞台になった作品
[編集]- 名所江戸百景・金杉橋芝浦 - 安藤広重作。名所江戸百景のうち金杉橋と奥に広がる芝浦を描いた一枚。
- 西部警察 - よくロケーションで使われていた。
- ゴジラvsモスラ(大河原孝夫監督)
- 侠骨一代(マキノ雅弘監督)
芝浦の名が付く企業・団体等
[編集]- 東芝 - 芝浦製作所が重電系部門の源流。その後、1939年(昭和14年)の東京電気との合併で東京芝浦電気という名称になり、1984年(昭和59年)にその略称であった現社名になった。
- 芝浦メカトロニクス(旧芝浦製作所(2代目)) - 東芝系の産業用電気機器メーカー
- 芝浦自販機 - 上記会社から自販機の事業を分社化して新規設立した会社。
- 芝浦電産 - 日本のモーター製造会社。その後に日本電産が買収して日本電産シバウラとなる。後に日本電産パワーモータと合併し日本電産テクノモータとなり、現在はニデックテクノモータ。
- 石川島芝浦機械 - 日本の農業機械メーカー。その後に親会社 (IHI) の社名変更によりIHIシバウラとなる。
- 芝浦工業大学 - 東京都江東区豊洲にある工科系の私立大学。豊洲キャンパスができる前に、芝浦キャンパスが芝浦にあったことに由来している。
- 芝浦屠場 - 正式名称は、東京都中央卸売市場食肉市場。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “平成27年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年10月1日). 2019年9月8日閲覧。
- ^ a b “各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~令和3年)”. 港区 (2021年8月1日). 2021年9月1日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年9月1日閲覧。
- ^ Google Earthより
- ^ 「雑用海図「東京海湾隅田川口附近」と東京築港」(PDF)『東京都公文書館だより』第14号、東京都公文書館、2009年3月、1-3頁、2022年10月13日閲覧。
- ^ “地域危険度一覧表:港区”. 東京都都市整備局 (2022年12月9日). 2022年12月21日閲覧。
- ^ a b “海辺の賑わいと開発される芝浦”. 三井住友トラスト不動産. 2022年8月22日閲覧。
- ^ “港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2022年6月1日). 2022年8月22日閲覧。
- ^ “2004年(平成16年)8月度こうして倒産した…”. こうして倒産した…. 東京商工リサーチ (2004年). 2015年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月5日閲覧。