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* 明治2年([[1869年]])、汐留三角屋敷に周辺の芝口新町などを併合し、汐留町が成立する。 |
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* 明治5年([[1872年]])、日本初の鉄道の起点である新橋駅(のちの[[汐留駅_(国鉄)|汐留貨物駅)が開業する。また、汐留町に周辺の武家地・鉄道用地などを編入し、新たに汐留町一丁目・二丁目が成立する。 |
* 明治5年([[1872年]])、日本初の鉄道の起点である新橋駅(のちの[[汐留駅_(国鉄)|汐留貨物駅)]]が開業する。また、汐留町に周辺の武家地・鉄道用地などを編入し、新たに汐留町一丁目・二丁目が成立する。 |
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* 明治11年([[1878年]])、[[芝_(東京都)|芝区]]の成立にともない、汐留町は芝区に所属し、東京府芝区汐留町となる。 |
* 明治11年([[1878年]])、[[芝_(東京都)|芝区]]の成立にともない、汐留町は芝区に所属し、東京府芝区汐留町となる。 |
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* 明治22年([[1889年]])、[[東京市]]の成立にともない、東京市芝区汐留町となる。 |
* 明治22年([[1889年]])、[[東京市]]の成立にともない、東京市芝区汐留町となる。 |
2007年12月20日 (木) 12:17時点における版
世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 関東地方 > 東京都 > 港区 > 汐留
汐留(しおどめ)は、東京都港区の地名・旧町名。現在の住居表示では、ほぼ全域が港区東新橋一丁目と二丁目に該当する。港区東新橋の人口は、1,551人(2007年11月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。また、汐留地区に新しく誕生した巨大複合都市“汐留シオサイト(siosite)”を指す。本稿では汐留地区(汐留シオサイト)を中心に、現行の東新橋についても述べる。
概要
以前は汐留地区のほぼ全域が国鉄汐留貨物駅の敷地であった。昭和61年(1986年)に貨物駅が廃止されたあとも、跡地に複数の地権者が存在したことにより、周辺31ヘクタールに及ぶ広大な土地が空き地のまま残され、汐留は周辺地域に比べて寂しい場所であった。ようやく平成5年(1995年)から東京都の都市基盤整備と民間のプロジェクトによって跡地の再開発が始まり、平成16年(2004年)に13棟のオフィス高層ビルが建ち並び、4つのホテルや数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市・汐留シオサイトとして生まれ変わった。現在も南の玄関口である浜松町駅北口付近と、山手線内側のヴィータ・イタリア地区で最終段階の建設工事が進行中である。東側には浜離宮恩賜庭園をはさんで東京湾、西側は新橋駅から虎ノ門、神谷町、霞ヶ関の官庁街があり、銀座、築地、臨海副都心にも近く、恰好のビジネスロケーションといえる。
現在は六本木ヒルズやお台場と並び、東京都の新しい観光名所の一つとなっている。
沿革
- 江戸時代以前は、汐留は江戸湾(東京湾)海辺の湿地帯であった。
- 慶長8年(1603年)以後、徳川家康が発令した天下普請(諸大名の財力を用いた、奉仕による城下町建設事業)によって汐留の埋立地が完成する。「汐留」の名は、江戸城外堀に潮の干満が及ばないよう海と堀とを仕切る堰があったため、この地域が潮溜りとなっていたことに由来する。これ以降汐留には木材・薪などの商人が集まって住むようになり、三角屋敷という商人たちの屋敷ができる。また、周辺には武家屋敷などが並ぶようになる。
- 享保9年(1724年)、三角屋敷の地が町として独立し、汐留三角屋敷となる。
- 明治元年(1868年)、東京府成立に伴い東京府に所属し、東京府汐留三角屋敷となる。
- 明治2年(1869年)、汐留三角屋敷に周辺の芝口新町などを併合し、汐留町が成立する。
- 明治5年(1872年)、日本初の鉄道の起点である新橋駅(のちの汐留貨物駅)が開業する。また、汐留町に周辺の武家地・鉄道用地などを編入し、新たに汐留町一丁目・二丁目が成立する。
- 明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、汐留町は芝区に所属し、東京府芝区汐留町となる。
- 明治22年(1889年)、東京市の成立にともない、東京市芝区汐留町となる。
- 大正3年(1914年)、東京駅の開設により、新橋駅が旅客営業を廃止し、新たに汐留貨物駅として開業する。同時に烏森駅が新橋駅に改称する。
- 大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により汐留駅が消失し、隣接する新橋地区とともに焦土と化す。
- 昭和7年(1932年)12月1日、関東大震災後の復興のための町名整理が行われ、汐留町に周辺地域を編入し、新たに芝区汐留が成立する。
- 昭和22年(1947年)、芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立する。それに伴い町名に「芝」の冠称がつき、東京都港区芝汐留となる。
- 昭和40年(1965年)7月1日、住居表示の実施に伴い、芝汐留に芝新橋一~六丁目の第一京浜(国道15号)より東側の地域を編入し、新たに東新橋一~二丁目となる。これによって汐留の名が地名より消える。
- 昭和61年(1986年)11月1日、国鉄汐留貨物駅が廃止される。駅跡地は再開発されるまでの一時期、東京ルーフなどのイベント会場として使用された。
- 平成7年(1995年)、東京都の都市基盤整備と民間のプロジェクトにより、汐留貨物駅跡地の再開発がはじまる。その際、旧新橋駅の遺構や、旧新橋駅を建てる際に利用された江戸時代の仙台藩上屋敷跡の遺跡などが発掘される。
- 平成14年(2002年)、再開発地区としての区画整理が終了し、汐留シオサイトという愛称がつく。都営地下鉄大江戸線・ゆりかもめ汐留駅が開業する。
- 平成15年(2003年)、電通ビル、日本テレビタワー、汐留シティセンターなど主要ビルが竣工し、各社が移転する。カレッタ汐留が開業。
- 平成16年(2004年)、汐留住友ビルが竣工し、ホテルヴィラフォンテーヌ汐留が開業する。
- 平成17年(2005年)、東京汐留ビルが竣工し、コンラッド東京が開業する。
- 平成18年(2006年)、汐留芝離宮ビルが竣工する。
- 平成20年(2008年)、汐留ビルディング1・2階の商業ゾーン、「HAMASITE Gurume」がオープン予定。
地区内の施設・名所
- 東新橋一丁目(海岸一丁目の一部を含む)
- 松下電工東京本社ビル
- 旧新橋停車場(鉄道開業時の新橋停車場の建物などを復元)
- 日本通運本社ビル
- 汐留H街区超高層棟
- アクティ汐留(賃貸マンション) 3~44階
- Foodexpress(24時間営業スーパー)
- ラ・トゥール汐留(賃貸マンション) 45~56階
- アクティ汐留(賃貸マンション) 3~44階
- スカイグランデ汐留(分譲マンション)
- 汐留芝離宮ビル
- 汐留ビルディング ハマサイトグルメ(建設中)
- イタリア公園(港区立公園)
- 汐留シティセンター
- 日本テレビタワー
- 日本テレビ放送網本社
- 汐留タワー
- 資生堂汐留オフィス 1~22階
- ホテル ロイヤルパーク汐留タワー 24~38階
- 電通本社ビル
- 汐留メディアタワー
- トッパンフォームズ本社ビル
- 東京汐留ビルディング
- ソフトバンク本社
- ソフトバンクテレコム本社
- ソフトバンクモバイル本社
- コンラッド東京 28~37階(ホテル)
- 汐留住友ビル
- リクルートグループなど
- ホテル ヴィラフォンテーヌ汐留 2階~10階
- 東京ツインパークス(分譲マンション)
- ライトウィング+レフトウイング
- 東新橋二丁目(西街区)
- コムーネ汐留(イタリア街:2007年グランドオープン)
- ウインズ汐留(場外勝馬投票券発売所)
- グラディート汐留ロッソ(マンション)
- エスペリオ汐留(オフィスビル)
- コモディオ汐留(オフィスビル)
- 京成汐留ビル 三井ガーデンホテル(2007年4月オープン)
アクセス
周囲を囲む主な道路
- 第一京浜(国道15号)
- 昭和通り・海岸通り(東京都道316号日本橋芝浦大森線)
- 東京都道313号銀座浜松町線(暫定)
- 新大橋通り(東京都道・千葉県道50号東京市川線)
- 首都高速道路都心環状線
かつて存在した施設
- セブン-イレブン(日テレタワー店 →退去→事実上関係者の利用しかできない)
- UFJ銀行東京公務部(→神田鍛冶町へ移転)
参考文献
- 島田 章『ルポ・東京再興 進む「戦略的エリア」の創造』(日本経済新聞社、2002年) ISBN 4-532-14979-7
- 財部誠一『東京から日本経済は走り出した』(講談社、2003年) ISBN 4-06-212102-6