「バスティアン・シュヴァインシュタイガー」の版間の差分
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主に左右のサイドハーフで起用されるが、本人曰く、トップ下やセンターハーフが一番やりやすいとのことである。サイドバックで起用されても無難にこなすなど運動量豊富で攻守に幅広く絡む選手だが、守備はやや荒っぽくラフプレーも多い。 |
主に左右のサイドハーフで起用されるが、本人曰く、トップ下やセンターハーフが一番やりやすいとのことである。サイドバックで起用されても無難にこなすなど運動量豊富で攻守に幅広く絡む選手だが、守備はやや荒っぽくラフプレーも多い。 |
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09-10シーズンからセンターハーフを主戦場としている。 |
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== エピソード == |
== エピソード == |
2010年4月13日 (火) 08:26時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | シュヴァイニー、バスティ | |||||
カタカナ | バスティアン・シュヴァインシュタイガー | |||||
ラテン文字 | Bastian Schweinsteiger | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1984年8月1日(40歳) | |||||
出身地 | コルベルモール | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | バイエルン・ミュンヘン | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 31 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴2 | ||||||
2004- | ドイツ | 73 (19) | ||||
2. 2010年3月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
バスティアン・シュヴァインシュタイガー(Bastian Schweinsteiger、1984年8月1日 - )は、ドイツ、バイエルン州コルベルモール出身の同国代表、ドイツ・ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属のサッカー選手(MF)。
経歴
10代前半までは、スキーでも有望な選手であった。14歳の時にサッカー一本で通すことを決めた。 1998年にバイエルン・ミュンヘンの下部育成組織に入団。2002年にUEFAチャンピオンズリーグ対RCランス戦でトップチームでデビューを果たし、以来中盤両サイドで才能の高さを披露。若返りを図るドイツ代表にも招集されるなど、ドイツサッカー界を牽引する存在として期待されている。
2004年のUEFA欧州選手権2004ではその実力が認められ本大会のメンバー入り。チームはグループリーグ敗退となったが、シュヴァインシュタイガーはフィリップ・ラームとともに実力を世界中に知らしめた。
2006年のワールドカップ・ドイツ大会の3位決定戦(対ポルトガル)では全3得点に絡む(2ゴール。およびフリーキックがポルトガルのプティのオウンゴールを誘発)活躍をし、ドイツの3位入賞に貢献した。
2008年のUEFA欧州選手権2008にも出場。グループリーグのクロアチア戦では報復行為により退場処分を受けた。しかし一試合の出場停止処分後の準々決勝のポルトガル戦では1ゴール・2アシストと全得点に絡む活躍を見せ、汚名返上を果たした。
人物
愛称は一般的にはシュヴァイニーと呼ばれるが、本人はこの名前は気に入っておらず(Schweinは豚の意)、ファーストネームから「バスティ」と呼んで欲しいと発言していた。しかし父親がシュヴァイニーを商標登録、Tシャツなどを作ったため最近ではあきらめている。2歳年上の兄トビアスもサッカー選手である。
- プレースタイル
鋭いドリブル突破から中に切れ込んでのミドルシュートを得意とする。2006 FIFAワールドカップで話題になった無回転シュートも得意にしている。精度も良く、FKなどでこのボールを駆使しゴールを狙う。また無回転でなくてもキックの精度自体が高く、代表、クラブともにプレースキッカーを任されている。
主に左右のサイドハーフで起用されるが、本人曰く、トップ下やセンターハーフが一番やりやすいとのことである。サイドバックで起用されても無難にこなすなど運動量豊富で攻守に幅広く絡む選手だが、守備はやや荒っぽくラフプレーも多い。 09-10シーズンからセンターハーフを主戦場としている。
エピソード
- 「バスティ」つながりということでセバスティアン・ダイスラーに肖り、「次のバスティ」と言われることもある。
- ワールドカップ直前の2006年5月30日に行われた日本代表との親善試合で、加地亮に激しいタックルを見舞い負傷退場させた。
所属クラブ
- 1990-1992 FVオーバーラウドルフ
- 1992-1998 TSV1860ローゼンハイム
- 1998- バイエルン・ミュンヘン(2001-02シーズンまで下部組織に所属)
個人成績
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 欧州カップ | 合計 | ||||
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試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | ||
バイエルン・ミュンヘン | 2002–03 | 14 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 16 | 2 |
2003–04 | 26 | 4 | 3 | 0 | 3 | 0 | 33 | 4 | |
2004–05 | 26 | 3 | 6 | 0 | 7 | 1 | 38 | 4 | |
2005–06 | 30 | 3 | 4 | 0 | 7 | 0 | 42 | 3 | |
2006–07 | 27 | 4 | 3 | 0 | 8 | 2 | 40 | 6 | |
2007–08 | 30 | 1 | 4 | 0 | 12 | 0 | 48 | 1 | |
2008–09 | 31 | 5 | 4 | 2 | 9 | 2 | 44 | 9 | |
合計 | 184 | 20 | 43 | 4 | 47 | 5 | 254 | 29 |
戦歴
- 2002年12月 - トップチームデビュー(UEFAチャンピオンズリーグ、対RCランス戦)
- 2003年9月13日 - 初ゴール(対VfLヴォルフスブルク戦)
- 2004年6月6日 - A代表初出場(親善試合) - ハンガリー戦
- 2005年6月8日 - A代表初ゴール(親善試合) - ロシア戦