コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「諸葛監」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kaznov17 (会話 | 投稿記録)
m 略伝: リンク
5行目: 5行目:


== 略伝 ==
== 略伝 ==
富裕な家に生まれ中国古画や[[沈南蘋]]などの画を集めて独学。熱中しすぎて身代を潰したという(『雲室随筆』)。画姓の諸葛は[[延享]]5年(1748年)に来舶した[[清]]人[[諸葛晋]]に私淑したことから名乗った。
富裕な家に生まれ中国古画や[[沈南蘋]]などの画を集めて独学。熱中しすぎて身代を潰したという(『[[雲室]]随筆』)。画姓の諸葛は[[延享]]5年(1748年)に来舶した[[清]]人[[諸葛晋]]に私淑したことから名乗った。


強烈な色彩と墨線、濃厚な陰影の画様で[[花鳥画]]を得意とした。
強烈な色彩と墨線、濃厚な陰影の画様で[[花鳥画]]を得意とした。

2012年9月7日 (金) 22:09時点における版

翠柳芙蓉白鷺小禽図 絹本着色 明和2年(1765) 神戸市立博物館

諸葛 監(しょかつ かん、宝暦5年(1717年) ‐ 寛政2年(1790年))は、江戸時代中期の画家。

は子文。通称は清水又四郎。別号に静斎・古画堂等がある。江戸の人。

略伝

富裕な家に生まれ中国古画や沈南蘋などの画を集めて独学。熱中しすぎて身代を潰したという(『雲室随筆』)。画姓の諸葛は延享5年(1748年)に来舶した諸葛晋に私淑したことから名乗った。

強烈な色彩と墨線、濃厚な陰影の画様で花鳥画を得意とした。

貧困のうちに没する。享年75。子は渡辺玄対に入門したが画業は継がなかったらしい。

作品

関連項目

出典

  • 成澤勝嗣「日本の南蘋系ノート」(「季刊古美術 第93号」) 1990年 三彩社 
');