コンテンツにスキップ

利用者‐会話:Foldingfan

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、Foldingfanさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

ファーストステップ・ガイド
  • 初心者の方はまずガイドブックを読んでください。今後の編集活動にとってとても大切な内容が書かれています。
  • 児童・学生のみなさんは児童・生徒の方々へをお読みください。
  • サンドボックスでは、自由に試し書きをすることができます。
  • トレーニングも兼ねて自己紹介をしてみましょう。
  • 隣の利用者ページは自己紹介や作業用のスペースとして利用することができます。
  • 執筆・編集するときは五本の柱に注意してください。
ヘルプ
  • 利用案内 - ウィキペディアの機能や使い方に関する質問はここでできます。
  • FAQ - ウィキペディアについてのよくある質問と回答集です。
  • ヘルプ - ウィキペディアの使い方を説明したページの一覧です。
  • コミュニティ・ポータル - 利用者のための総合的なポータルページです。
ワンポイント情報
間違えてしまったら?
  • ウィキペディアはウィキというシステムを使っています。ちょっとした間違いなら、すぐに直して投稿すれば問題ありません。
  • ウィキペディアのページそのものは削除することができません。詳しくは削除の方針に書かれています。
Hello, Foldingfan! Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese speaker, you can ask a question in Help. Enjoy!
ウィキペディアの機能や使い方に関してわからないことがあったら利用案内で質問できます。
Foldingfanさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。 --R28Bot 2008年8月18日 (月) 04:50 (UTC)[返信]

森琴石の記載内容でご教示ください[編集]

初めまして。最近作成してくださった森琴石の記載で帝室技芸員であったとの記載がありますが、その出典は参考文献の中にあるのでしょうか?帝室技芸員が任じられた場合『官報』に記載されるのですが、今のところ森琴石が見当たりません。また、ネットで閲覧できる各種名簿の帝室技芸員の中に森琴石が見当たりません。お手数ですがご教示をお願いいたします。--曾禰越後守会話2014年8月19日 (火) 14:50 (UTC)[返信]

  • こちらこそ初めまして。森琴石の帝室技芸員拝命については、ご子孫のサイト「森琴石【響泉堂】 ホームページ」内や、 大型画集『森琴石作品集』に散見する記述です。 その典拠を探すと、どうも『真偽評価 書画鑑定指針』所載「森琴石伝」の記述(「森琴石 調査情報【平成20年 1月】」中程)や、森家に残る遺品(「森琴石 調査情報【平成18年 4月】」下方)のようです。ただ、曾禰越後守さんが指摘どうり、『官報』に記載が無いのは不審ですし、手持ちの資料『近代美術の巨人たち ─帝室技芸員の世界─』(サントリー美術館編集・発行、1996年)にも79名と記され、森琴石と旭玉山の名前がありません。森家の資料が公開されないと確定は出来ませんが(サイトや『森琴石作品集』にも証拠となる写真等は無い)、取り敢えず本文の記述から外すのが妥当でしょう。個人的には、琴石は日本美術協会大阪支会の「技芸員」になっていたようなので、これと帝室技芸員を混同したのではないかと思います。--Foldingfan会話2014年8月20日 (水) 01:41 (UTC)[返信]

コピーペースト中止のお願い[編集]

こんにちは、Foldingfanさん。記事名を変更する際に、新しい記事を作ってそのまま内容をコピー・アンド・ペーストされているようですが、履歴保存の都合上、ページ名の改名を行うこととされています。

また、コピー・アンド・ペーストはWikipedia:ウィキペディア内でのコピーをお読み頂きますとお解りの通り、ウィキペディア内におけるライセンス違反(GFDLおよびCC-BY-SA違反)となり削除対象となりますので、Wikipedia:ページ名の変更をお読みのうえ、対象の記事のノートページで提案および1週間以上議論していただき反対がないこと確認してからページの移動を行っていただくようお願いします。--124.45.75.51 2015年2月1日 (日) 00:50 (UTC)[返信]

望月玉仙・望月玉蟾[編集]

こんにちは、はじめまして。

Foldingfanさんが 2012年2月1日にコメントを残しておられました「望月玉仙(初代)」の記事について、望月玉蟾に改名する提案をおこないましたのでお知らせいたします。ノート:望月玉仙にお立ち寄りいただければ幸いです。--桂鷺淵会話2016年10月19日 (水) 02:09 (UTC)[返信]

木島桜谷について[編集]

こんにちは。先ほど自身の版を差し戻された木島桜谷ですが、これは投稿時のミスでしょうか。もしそうであれば、履歴継承違反(ライセンス違反)となります。もしそうであれば、こちらで申告いただければ「単純ミス」として対処させていただきます。--アルトクール会話2017年12月21日 (木) 08:04 (UTC)[返信]

歌川直広「美人蹴鞠図」について[編集]

初めまして、Tgftn614です。歌川直広の「美人蹴鞠図」の款記が「正廣」となっているようですが、間違いではないでしょうか?--Tgftn614会話2018年1月4日 (木) 11:46 (UTC)[返信]

  • 申し訳ございません。再度、図録を確認しましたが、単に自分がくずし字を読み誤っただけです。p.56の解説では「歌川直広筆」となっておりますので、作品の掲載自体は問題ないと思います。--Foldingfan会話2018年1月5日 (金) 01:04 (UTC)[返信]

要約欄への記入のお願いと細部の編集について[編集]

こんにちは。小石川人晃と申します。Foldingfanさんの投稿履歴を拝見したところ、ほとんど要約欄に記入されていないようでしたので、他の利用者のために常に要約欄に記入して頂くようお願いに参りました。

ガイドライン・Wikipedia:常に要約欄に記入するは、数あるガイドラインの中でも重要なものとして位置づけられています。要約欄に適切な要約を記入することにより、差分表示を確認することなくその編集の概要を知ることができるため、履歴の見通しをよくすることにつながります。また、差分表示を見ながら要約欄に記入していくことにより投稿する予定の内容を見直すことができるため、同じ記事への連続投稿を減らすことにもつながります。特に、リバート(荒らしへの対処を除く)や内容の大幅な変更、記述の一部を除去する際にその理由が要約欄に記入されていませんと、なぜそのような編集をするに至ったか他の利用者にとって分かりづらいという問題が生じます。それにより編集合戦が発生することも少なくありません。

もしFoldingfanさんの投稿内容が短い文章の加筆に留まる場合、その文章をそのまま要約欄にコピー・アンド・ペーストすれば、編集の全貌が分かりますし、なにより手間が掛かりません。細部の編集でわざわざ要約欄に記入するのは面倒だという場合には、要約欄用の略語を使用することも検討してください。ご面倒をお掛けしますがご理解とご協力のほどよろしくお願いします。

また、最近の編集のほとんどで細部の編集とは思えない編集をしていますが、履歴に細部の編集「」がついています。「個人設定」→「編集画面」→「細部の編集をデフォルトでチェックする」が設定されているためと思われますので、設定を解除していただくか、細部の編集でない場合にはその都度「これは細部の編集です」のチェックをはずしていただくようにお願いします。Help:細部の編集もご一読ください。--小石川人晃会話2018年8月29日 (水) 21:00 (UTC)[返信]

  • お返事が遅れて申し訳ございません。自分がウォッチリストに入れている編集を見ると、要約を書いてない場合が遥かに多いので、そこまで重要だとは認識しておりませんでした。またご指摘の通り、「細部の編集をデフォルトでチェックする」を設定しておりますが、大きな編集でも解除しておりませんでした。以後、気を付けます。ご指摘ありがとうございました。--Foldingfan会話2018年9月5日 (水) 04:12 (UTC)[返信]

松川半山の作品の収蔵先[編集]

はじめまして、お邪魔します。さてだいぶ前の話で恐縮なのですが、この版で追加された作品の収蔵先をお尋ねします。お手隙の時にでもご教示いただけないでしょうか。急ぎませんので、どうぞご都合を優先してください。気長にお待ちしています。--Omotecho会話2019年12月1日 (日) 08:25 (UTC)[返信]

畠山記念館での記述について[編集]

Foldingfanさま 「畠山記念館」の記事を拝読致しましたが、そこでの「畠山は松平不昧を強く尊敬しており、「雲州蔵帳」記載の茶道具を30点所蔵しており、同書収録茶道具を同館以上に保有する機関は存在しない。」の記述が気になりました。水田至摩子氏は畠山の学芸課長なので、記述内容は間違っていないのでしょうが、『聚美』誌での「同書収録茶道具を同館以上に保有する機関は存在しない」を(多分)丸写しする必要があるのでしょうか。氏が書かれるのは自由ですが、wikiでそれを鵜呑みにすると、畠山の宣伝になってしまいます。ですので、「畠山は松平不昧を(「強く」も取って欲しい)尊敬しており、「雲州蔵帳」記載の茶道具を30点所蔵している。」で止めてもらえないでしょうか。ご検討の程、宜しくお願いします。--Falcated会話) 2020年3月26日 (木) 09:36 (UTC) :その後、お返事がございませんので、該当箇所を削除させてもらいます--Falcated会話2020年4月11日 (土) 01:37 (UTC)[返信]

太江hん遅れました。仕事が忙しいうちに忘れておりました申し訳ございません。自分としては正直、その程度のことは好きにノートに書き込むまでもなく好きに編集して下さい、という感覚ですが・・・。--Foldingfan会話2020年4月11日 (土) 11:09 (UTC)[返信]

小林清親項について[編集]

Foldingfanさま 度々失礼致します。小林清親項での導入部のうち、「月岡芳年、豊原国周と共に明治浮世絵界の三傑の一人に数えられ、『最後の浮世絵師』」 の部分を削除したいのですが、宜しいでしょうか?

この版 この版 で、この部分は、貴殿が書かれたことが分かっています。私がなぜそう考えるのかというと、このような表現はWikipedia:大言壮語をしない にあたると思うからです。「三傑」はWikipedia:大言壮語をしないでの「『最も重要な……の一つ』『重大な……』『最も影響力のある……』」そのものではないでしょうか。それにどういう基準で「三傑」を選出したのかが分かりません。売り上げ枚数とか、明治期の新聞での掲載回数のような数値化できるものがあるならともかく、それを書いた人の主観なら、ちゃんと筆者名とその理由を記すべきですし、何にしろ、冒頭に書く必要はないでしょう。三人の内、清親と芳年は、現在でも度々展覧会が行われ、書籍も出ています、充分評価されているのですから、このような表現は不要です。 Wikipedia:大言壮語をしないでもこう記されています。「執筆の際に、記事の話題を正当化をするような修飾語を付加する必要はありません(略)あなたの執筆(編集)する記事の話題の持つ価値を信じてください。そしてその価値を、事実によって示してください」と。貴殿の書かれたものは「その価値を、事実によって示して」いないのです。

21世紀に生きる私の主観で三傑を選ぶなら、清親と芳年に、暁斎を加えます。近年、展覧会が頻繁に行われてますし、小学館『日本美術全集』16巻(2013)にて、10点も掲載されていますから(清親:3、芳年:4、国周:0)。国周は、現状、詳しい人でなければ忘れられた存在ですし、国貞の影響が強く、明治らしい独自性が、上記3人に比べると希薄です。ですが、暁斎に書き換えるつもりはありません。それはWikipedia:独自研究は載せないに抵触しますから。

もう一つの「最後の浮世絵師」は、山梨(1997)にそのような記述があるのを確認しました。しかしその後に新版画渡辺庄三郎の記述がありますよね。私は、版元がある限りは、浮世絵は生きていると考えます。山梨(1997:96)では、清親の作画は大正2年まで確認されていますが、貴殿が編集された中ですと、 池田輝方この版 は、記事によると、大正8年までは確実に作画・発表しています。 尾竹国観この版 は、記事だと、少なくとも昭和10年までは作画・出展しています。ですので、少なくとも清親は「最後の浮世絵師」ではないのです。

それで私は清親項に〇〇〇[要検証]この版を付けたのですが、1日もたたずに、注を付けた人が居ます この版。なるほど、出典があるのは分かりましたが、ではなぜ彼らを「三傑」とするのかの理由は記されていません。「最後の浮世絵師」とみなすことに私が反対なのは、すでに記しました。私の版を改訂した方とはノートで話し合いをし、私が貴殿に直談判すると記しました[1]

回りくどい話で申し訳ございませんが、ご検討の程、宜しくお願い致します。--Falcated会話2020年4月29日 (水) 07:49 (UTC)[返信]

小林清親の肉筆浮世絵欄について[編集]

Tgftn614です。小林清親肉筆浮世絵の欄を表の状態で投稿しようとしたのですが、うまくいきませんでした。もし、可能でしたらお願いできませんでしょうか?--Tgftn614会話2020年7月16日 (木) 05:25 (UTC)[返信]