「香取神宮」の版間の差分
Saigen Jiro (会話 | 投稿記録) 古代天皇の西暦記載法を改正(プロジェクト‐ノート:紀年法#天皇の在位と西暦をどこまで対応させるか、Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間参照)。 |
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== 参道 == |
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=== 表参道 === |
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佐原市中心部から続く参道。現在の[[千葉県道55号佐原山田線|県道55号]]にあたる。[[千葉県道56号佐原椿海線|県道56号]]との交差点近くに一の鳥居が立つ({{ウィキ座標|35|53|15.71|N|140|30|41.09|E|region:JP|位置|name=一の鳥居}})。鳥居右手には社号標がある。 |
旧佐原市中心部から続く参道。現在の[[千葉県道55号佐原山田線|県道55号]]にあたる。[[千葉県道56号佐原椿海線|県道56号]]との交差点近くに一の鳥居が立つ({{ウィキ座標|35|53|15.71|N|140|30|41.09|E|region:JP|位置|name=一の鳥居}})。鳥居右手には社号標がある。 |
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一の鳥居から二の鳥居までは道なりに約1.6km。 |
一の鳥居から二の鳥居までは道なりに約1.6km。 |
2013年5月4日 (土) 14:43時点における版
香取神宮 | |
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拝殿 | |
所在地 | 千葉県香取市香取1697 |
位置 | 北緯35度53分09秒 東経140度31分43秒 / 北緯35.88583度 東経140.52861度 |
主祭神 | 経津主大神 |
社格等 |
式内社(名神大) 下総国一宮 旧官幣大社 勅祭社 別表神社 |
創建 | (伝)神武天皇18年 |
本殿の様式 | 権現造 |
札所等 | 東国三社 |
例祭 | 4月14日 |
香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県香取市香取にある神社。式内社(名神大社)、下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
関東地方を中心として全国に約400社ある香取神社の総本社である。鹿嶋市の鹿島神宮、神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。宮中の四方拝で遥拝される一社。初詣には50万人以上が参拝する。
概要
千葉県北東部、利根川下流右岸の、その形状から「亀甲山」と呼ばれる山上に鎮座する。
古代の朝廷によって、蝦夷に対する前進基地として鹿島神宮とともに重要視された神社である。古来より軍神としての性格が強く、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対で掲げられることが多い。
本殿及び楼門は江戸時代の建立で、ともに重要文化財に指定されている。
祭神
祭神は以下の4柱。地名から香取大神とも呼ばれる。
- 主祭神
- 経津主大神 (ふつぬしのおおかみ)
歴史
創建は神武天皇18年と伝えられる。『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓をしつつ常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたものが、香取神宮の起源とされる。創建年が古すぎるとの異論もある。
大化5年(645年)には、香取神郡が設けられたが、当時神郡(神領)を持ったのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社のみであった。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下総国香取郡 香取神宮」と記載され名神大社に列した。同帳によると、当時「神宮」の称号で呼ばれたのは、神郡同様に伊勢・鹿島・香取の三社のみであった。中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握った。
中臣氏が常総地方の出身であったため、中臣氏出身の藤原氏にも篤く信仰された。経津主神は武甕槌神とともに春日大社に勧請され、藤原氏の氏神の1柱として祀られている。
神職首座は大宮司、大禰宜という。経津主神の兄(子とも伝えられる)の天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが、後世大中臣氏が養子に入り相互に重職を世襲した。
神階
- 宝亀8年(777年)7月16日、正四位 (『続日本紀』) - 表記は「香取神」
- 承和3年(836年)5月9日、従三位から正二位 (『続日本後紀』) - 表記は「伊波比主命」
- 承和6年(839年)10月29日、正二位から従一位 (『続日本後紀』) - 表記は「伊波比主命」
- 嘉祥3年(850年)9月15日、正一位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「伊波比主命」
- 天慶6年(882年)12月9日、正一位勲一等 (『日本三代実録』) - 表記は「香取神社」
境内
位置
本殿(北緯35度53分10.45秒 東経140度31分43.22秒)は、他の東国三社の鹿島神宮・息栖神社とあわせて、大地に直角二等辺三角形を描くかたちに位置している(右のリンク先参照)。
- 鹿島神宮本殿(北緯35度58分07.58秒 東経140度37分53.49秒):当社本殿から約13km、ほぼ正確な北東にある(ずれは15分未満)。
- 息栖神社本殿(北緯35度53分08.98秒 東経140度37分30.70秒):当社本殿から約8km、ほぼ正確な東にある(ずれは10分未満、緯度の違いは1秒未満)。
社殿
社殿は、本殿・幣殿・拝殿が連なった権現造である。
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楼門(重要文化財)
本殿と同様に、1700年(元禄13年)に徳川幕府により造営。屋根は入母屋造銅板葺。壁や柱は丹塗り。国の重要文化財。
- 拝殿・幣殿・神饌所(以上1棟) - 1940年の再建。国の登録有形文化財。
- 総門
- 祈祷殿 - 建物は旧拝殿
史跡・名勝
その他
摂末社
摂社
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末社
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旧摂末社
その他
- 昭和21年9月創建。明治以降の国難で殉じた香取郡出身者を祀る。春・秋2回の彼岸時に例祭が行われる。
参道
表参道
旧佐原市中心部から続く参道。現在の県道55号にあたる。県道56号との交差点近くに一の鳥居が立つ(北緯35度53分15.71秒 東経140度30分41.09秒)。鳥居右手には社号標がある。
一の鳥居から二の鳥居までは道なりに約1.6km。
津宮参道
香取市津宮から続く参道。津宮の利根川岸には、川に向かって津宮鳥居が立つ(北緯35度54分05.82秒 東経140度31分34.12秒)。祭神がここから上陸したことに由来し、これがかつての一の鳥居であった。式年神幸祭では、ここから神輿をのせた御座船が出発する。また、鳥居の近くには常夜燈(香取市指定有形文化財)、与謝野晶子歌碑がある。
鳥居から続く道がかつての表参道[4]で、二の鳥居までは道なりに約2.5km。途中には境外摂末社の忍男神社 、膽男神社、沖宮がある。
参道名物
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一の鳥居(表参道)
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津宮鳥居(津宮参道、利根川河岸)
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草だんご(参道名物)
祭事
式年祭
年間祭事
文化財
国宝
- 海獣葡萄鏡
- 直径29.6cm、縁の高さ2cm、重量4,560g、白銅製。中国・唐時代の作。
- 鏡背は葡萄唐草の地文様の上に獅子のほかさまざまな鳥・獣・虫を表す。鏡名の「海獣」は、鏡背中心部の鈕(つまみ)に表された狻猊(さんげい)を指す。狻猊は中国の伝説上の生物である。正倉院の南倉には本鏡と瓜二つの銅鏡があり、香取神宮鏡は正倉院の鏡と全く同一の鋳型から造った同笵鏡ではないが、両者は関係があると推定される。香取神宮に伝来した経緯は未詳[5]。宝物館内。昭和28年3月31日指定。
重要文化財(国指定)
建造物
- 本殿(附 棟札1枚、銘札1枚、海老錠3箇) - 昭和52年6月27日指定
- 楼門 - 昭和58年12月26日指定
工芸品
- 古瀬戸黄釉狛犬
- 阿吽一対の古瀬戸の狛犬。陶器製、阿形像の高さは17.6cm、吽形像は17.9cm。制作年代は室町時代と推定。阿形像は250円通常切手のデザインにも採用されている。宝物館内。昭和28年3月31日指定
- 双竜鏡 - 宝物館内。昭和28年11月14日指定
登録有形文化財(国登録)
- 拝殿・幣殿・神饌所(以上1棟) - 平成13年4月24日登録
千葉県指定文化財
建造物
- 旧拝殿 - 平成19年3月16日指定
工芸品
- 古神宝類 - 宝物館内。昭和35年2月23日指定
千葉県指定天然記念物
- 香取神宮の森 - 昭和49年3月19日指定
香取市指定有形文化財
- 神庫 - 平成6年3月1日指定
- 神徳館表門 - 平成7年6月1日指定
その他
- 美しい日本の歩きたくなるみち500選「佐原の町なみと香取神宮へのみち」
- ちば遺産100選「香取神宮の神幸祭とおらんだ楽隊」、「香取神宮の本殿と楼門」、「香取神宮の海獣葡萄鏡」、「香取神宮の森」
- 房総の魅力500選「香取神宮」
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
高速バス
- 京成バス・千葉交通 利根ライナー号(佐原ルート、小見川・佐原ルート、小見川ルート) - 浜松町バスターミナル出発で、東京駅八重洲口前(東京建物ビル隣り)・大栄停留所を経由
- 佐原ルート:「佐原駅北口」、「香取市役所前」下車
- 小見川・佐原ルート:「佐原駅北口」、「香取市役所前」、「佐原香取(佐原香取IC)」下車
- 小見川ルート:「佐原香取(佐原香取IC)」下車
- 東京駅から:あそう号「香取神宮」バス停下車
車
- 周辺
脚注
関連項目
- 当社に由来
外部リンク