「多度津造船」の版間の差分
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m 1970年代の記述で、丸亀町(明治33年に丸亀市)の記述はおかしい。今治造船の丸亀工場(現在は丸亀事業本部)は香川県丸亀市に存在する。 |
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[[太平洋戦争]]の戦時体制による企業合同と造船合理化政策によって、[[1943年]]に[[今治造船]]とともに'''伊予木鉄造船'''として設立された<ref name="Report_1995"/>。[[愛媛県]][[越智郡]][[波止浜町]]の工場敷地は[[塩田]]を埋め立てて建設された<ref name="Report_1995"/>。戦中は木鉄交造船や[[上陸用舟艇]]を建造していたが、戦後、[[産業設備営団]]から設備・機械の払い下げを受け<ref name="History_03"/>、鋼船の建造を開始、[[1950年]]に'''波止浜造船'''に社名を変更した<ref name="Report_1995"/>。 |
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1970年代に入り建造船の大型化で波止浜地区が手狭になったことから、[[来島どっく]]の大西工場([[愛媛県]][[大西町]])、[[今治造船]]の丸亀工場([[香川県]][[丸亀 |
1970年代に入り建造船の大型化で波止浜地区が手狭になったことから、[[来島どっく]]の大西工場([[愛媛県]][[大西町]])、[[今治造船]]の丸亀工場([[香川県]][[丸亀市]])に続いて、波止浜造船も多度津工場([[香川県]][[多度津町]])を建設して拠点を移したが、[[オイルショック]]の影響による造船不況で経営状況が悪化した<ref name="History_03"/>。[[1978年]]には[[常石造船]]の傘下に入り経営再建を目指したが、翌年の[[1979年]]に倒産した。その後、大島分工場および波止浜工場はハシゾウ(現[[あいえす造船]])へ譲渡された。[[2000年]]に常石造船に吸収合併され波止浜造船は消滅<ref name="nikkei-np_20130209"/>、多度津工場は常石造船多度津工場となった。 |
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[[2013年]]2月、ツネイシホールディングスは多度津工場からの撤退を表明<ref name="nikkei-np_20130209"/>、'''多度津造船'''として分社化した後、今治造船へ売却された<ref name="tsuneishi_20130717"/>。 |
[[2013年]]2月、ツネイシホールディングスは多度津工場からの撤退を表明<ref name="nikkei-np_20130209"/>、'''多度津造船'''として分社化した後、今治造船へ売却された<ref name="tsuneishi_20130717"/>。 |
2020年6月25日 (木) 01:22時点における版
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒764-8503 香川県仲多度郡多度津町東港町1-1 |
設立 | 2013年3月27日 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 1470001013861 |
資本金 | 1億円 |
主要株主 | 今治造船 |
多度津造船(たどつぞうせん)は、香川県仲多度郡多度津町の造船会社。今治造船グループの系列会社である。
概要
太平洋戦争の戦時体制による企業合同と造船合理化政策によって、1943年に今治造船とともに伊予木鉄造船として設立された[1]。愛媛県越智郡波止浜町の工場敷地は塩田を埋め立てて建設された[1]。戦中は木鉄交造船や上陸用舟艇を建造していたが、戦後、産業設備営団から設備・機械の払い下げを受け[2]、鋼船の建造を開始、1950年に波止浜造船に社名を変更した[1]。
1970年代に入り建造船の大型化で波止浜地区が手狭になったことから、来島どっくの大西工場(愛媛県大西町)、今治造船の丸亀工場(香川県丸亀市)に続いて、波止浜造船も多度津工場(香川県多度津町)を建設して拠点を移したが、オイルショックの影響による造船不況で経営状況が悪化した[2]。1978年には常石造船の傘下に入り経営再建を目指したが、翌年の1979年に倒産した。その後、大島分工場および波止浜工場はハシゾウ(現あいえす造船)へ譲渡された。2000年に常石造船に吸収合併され波止浜造船は消滅[3]、多度津工場は常石造船多度津工場となった。
2013年2月、ツネイシホールディングスは多度津工場からの撤退を表明[3]、多度津造船として分社化した後、今治造船へ売却された[4]。
沿革
- 1943年 - 波止浜で伊予木鉄造船として創業
- 1948年12月 - 鋼船建造開始[2]
- 1950年 - 波止浜造船に社名を変更
- 1970年 - 大島造船を買収、大島分工場とする
- 1973年 - 香川県多度津町に新工場を建設、波止浜工場は修繕中心となる
- 1976年 - 常石造船と業務提携
- 1977年 - 常石造船の傘下で経営再建を開始
- 1978年 - 経営破綻により倒産
- 1988年5月 - 大島分工場が独立、ハシゾウ(現あいえす造船)を設立
- 1988年 - 波止浜工場をハシゾウに譲渡、修繕船事業を継続する
- 2000年6月 - 常石造船との合併により、常石造船多度津工場となる
- 2013年3月27日 - 常石造船の完全子会社として多度津造船を設立[4]
- 2013年9月1日 - 多度津造船に多度津工場の全事業を継承[4]
- 2014年12月31日 - 常石造船が保有する多度津造船の全株式を今治造船に譲渡[4]
- 2015年1月1日 - 今治造船グループの一部となる
事業拠点
現在の事業所
- 多度津工場
- 香川県仲多度郡多度津町東港町1-1 北緯34度16分50.9秒 東経133度44分41.6秒
- 敷地面積:40万m2、建物面積:8万6千m2、建造設備:第1号船渠(380m×59m)
過去の事業所
- 波止浜工場
- 愛媛県今治市波止浜 北緯34度6分26秒 東経132度58分15.9秒
- 現在は今治造船今治工場の一部となっている。
- 大島分工場
- 愛媛県今治市吉海町本庄332番地 北緯34度9分8.5秒 東経133度1分39.6秒
- 芸予諸島の離島の一つである大島に所在する。現在はあいえす造船の本社工場として稼働している。
脚注
- ^ a b c 「臨海都市圏の生活文化 : 昭和を生き抜いた人々が語る.」『愛媛県生涯学習センター』1996年3月 。2016年3月21日閲覧。
- ^ a b c 「愛媛県史 社会経済3 商工」『愛媛県史編さん委員会』1986年3月31日 。2016年3月21日閲覧。
- ^ a b “ツネイシHD、多度津工場の生産停止 地元は雇用懸念”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2013年2月9日). オリジナルの2016年3月21日時点におけるアーカイブ。 2016年3月21日閲覧。
- ^ a b c d "多度津工場売却に関するお知らせ" (Press release). 常石造船株式会社. 17 July 2013. 2015年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月21日閲覧。