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「沢田マンション」の版間の差分

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[[Image:DSC00736.JPG|thumb|300px|right|沢田マンション[[高知市]] - 2004年2月1日撮影]]

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2006年10月17日 (火) 13:13時点における版

ファイル:DSC00736.JPG
沢田マンション高知市 - 2004年2月1日撮影

沢田マンション(さわだまんしょん)は、高知県高知市薊野(あぞうの)北町に建設された、集合住宅である。鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人で(のちにはそのも加わって)造りあげた。通称、「沢マン」(さわまん)。現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550、地下1階地上5階建て、入居戸数約70世帯。

自身の製材業経験やマンション建設過程での発電・給湯などに由来する、沢田嘉農氏の発動機コレクション(メーカーに現存しない1936年製のものを含む)が展示してある。

増築に増築を重ねた外観から、軍艦島とともに並んで「日本の九龍城」とも呼ばれ、建築物探訪の名所のひとつとして知られる。


概説

大工さんが木造住宅をひとりだけで仕上げる、あるいは全くの素人ログハウスを組み立てる、というような例ならば、時折り見かけることがある。しかし、一応は大工の経験を積んだとはいえ、素人が独力独学で建てた鉄筋コンクリート造の建築物というのは、日本はおろか世界でも極めて珍しいものだろう。

沢田嘉農(さわだ かのう、1927年8月11日-2003年3月16日)は、高知県生まれ。幼少時に雑誌で見た「アパート」の様子に感動して、集合住宅の建築・経営を一生の仕事にすると思い定める。 尋常小学校卒業後、祖父の援助を受けて、土佐の山中で移動しながらの製材業を始める。1年間の兵役を経験。27歳で高知県中村市(現在の四万十市)に移り、地元の製材所で働く。大工・建築の弟子入りや修業経験も無いままに、自ら現場を手掛けて住宅の建て売り販売・分譲を開始し、その後はアパート経営などにも進出。この間32歳にして、当時13歳の裕江(ひろえ、1946年-)と結婚。

1971年、高知市薊野(あぞうの)に土地550坪を買い求め、沢田マンションの建設に取り掛かる。この時、沢田嘉農は44歳であった。建設開始にあたって建築確認は取らないままであり、役所の対応も「強度に文句は言わないが、手数料の用意ができたら許可は取ってくれ」という程度の、非常に大らかなものであったという。

30トンブルドーザーと大型パワーショベルを借り、地下6m以上を掘り抜いて、約10日間で岩盤に到達。その上に柱が建てられた。作業は、敷地内の西から東へと建て増すかたちで進行。鉄筋を配置した後のコンクリート打ち込みには、小学生の娘まで動員し「届かない足でレッカー車を運転して」生コンクリートを運び、セメントの練り込みをしたという。「設計図はわしの頭の中にある」と豪語して、きちんとした図面もつくらないままであった。屋上には夫妻自作のクレーン、製材所も設けられた。

当初の構想は「10階建て・入居数100戸」という壮大なものであった。沢田夫妻の希望で初めは、母子家庭など社会的に困難な状況にある人々に対して積極的に貸されていた。沢田嘉農氏の死去以降は、増築はされず改装など現状維持にとどまり、今日に至る。

沢田マンションの歴史はまた、度重なる行政指導や工事中止命令などの軋轢の歴史でもあった。現在では、住民で自主防災組織を結成し、年に一度の避難訓練を行なうなどして、当局との関係もおおむね良好である。

沢田マンションの形容として、「違法建築」「違法建築スレスレ」などとよく言われる。ただ、いったい何をもって違法建築とするかは、その時代ごとに建築基準法の規定の変化によっても異なる。そうした建築関連法律の規定とその運用がいかに複雑であり時にはでたらめなものであるかということは、構造計算書偽造問題(耐震偽造事件)でも明らかになった。また、たとえ図面がしっかりしていても、「シャブコン」などに代表されるように、現場の作業が杜撰であっては何の意味もない。

他方、沢田マンションについては、建設から相当の年数が経過していることから、雨漏り水漏れによる鉄筋の腐食なども心配されるところである。

主な経過

  • 1971年(昭和46年) 第1期工事(50坪)開始。
  • 1972年(昭和47年) 基礎工事、水周り工事終了、1階部分6戸完工、入居開始。給水用として裕江さんが削岩機を用い、敷地内に井戸を掘り当てる。
  • 1973年(昭和48年) 第1期工事終了、4階建て24戸。スーパーマーケット開店(以後5年間営業。のちには、鮮魚店や焼肉店さらには露天風呂付き共同浴場が設けられた時期もあった)。引き続き、第2期工事(140坪)開始。5階に大家である沢田夫妻の自宅住居を建設。高知市内初の地下駐車場が完成(高さ3m、広さ140坪、収容台数25台。のちに270坪まで拡張)。
  • 1975年(昭和49年) マンションの断熱を考えて屋上を土で覆い、畑作を開始。のちに水田にも。
  • 1976年(昭和51年) 第2期工事終了。
  • 1978年(昭和53年) 沢田嘉農氏、48人乗り大型バスを沢田マンション専用として購入。以後、嘉農氏自らの運転で住民が遊びに出かける、あるいは沢田家の家族旅行、などに利用される。
  • 1983年(昭和58年) 第3期工事(70坪)開始。
  • 1985年(昭和60年) 第3期工事終了。建物として、おおむね現在の規模となる。
  • 1989年(平成元年) スロープを設置。3階まで車が進入可能に。
  • 1991年 (平成3年) 作業用リフト完成。
  • 1992年 (平成4年)1月6日 5階沢田家が全焼する火事が発生。マンションに関わる初期資料の多くを焼失した。
  • 1994年 (平成6年) 道路から部屋を目隠しするため各階に、花壇を備えたテラスの整備を開始。
  • 1996年 (平成8年) 沢田マンションの10階建てを予定して、建築確認を更新。
  • 1998年(平成10年) 4階に沢田氏ののためプール設置を計画するも、「魚を飼いたい」という孫の意向で(25坪)に変更。「沢田民宿」「沢田旅館」営業終了。それまでの通常の入居に加えて、以後はウィークリーマンションのように、部屋の短期賃貸も行なう形式に。
  • 1998年(平成10年)9月24日 98高知豪雨。高知市東部がほぼ2日間にわたり浸水。沢田マンション地下室も水没、油を近隣に流出させる事故が発生。
  • 2000年(平成12年) 沢田マンション住民の間で卓球が流行する。
  • 2002年(平成14年)4月1日 沢田マンション公式Webページ『沢マンどっと混む』開設。
  • 2002年(平成14年)6月 「第1回沢田マンション祭り」開催、参加者数140名。
  • 2002年(平成14年)9月 『沢田マンション物語』出版、高知県内でベストセラー。刊行当日、高知市当局より建築行政指導が入る。この前後より20-30代の住人が増加。
  • 2002年(平成14年)10月30日より 高知市のギャラリー「graffiti」にて「嗚呼沢田マンション 27号室の日常展」を開催。
  • 2002年(平成14年)11月 「沢田マンション秋祭り-月見の宴」開催、参加者数130名以上。
  • 2002年(平成14年) 沢田家の住居である5階屋上にかまぼこ形のリビングを増築。おおむね現在の外観となる。 
  • 2003年(平成15年) 沢田嘉農翁、肝臓病で逝去。享年75。
  • 2005年(平成17年) 「高知遺産」にて、沢田マンションが紹介。同書の関係者の1/3が沢田マンション住人。
  • 2006年(平成18年) 4月から3ヶ月間、期間限定のカフェ「weekend cafe sumica」が営業(既に閉店)。

現在は、大家さん経営のアロマセラピールームが営業中。通常の賃貸入居、ウィークリーマンション事業も継続中。

地番住居表示

高知県高知市薊野北町1-10-3   

関連書籍など

沢マンでのロケ作品

  • 同書付録のDVD冒頭は沢田マンションでの撮影風景などが収録されている

少人数自力建築の例

国内

  • 「喫茶・大菩薩峠」-- 島利喜太(しま りきた)

海外

  • このような独力での建築は、海外では一般に self build などとも呼ばれる。
  • ロサンゼルス郊外に、お婆ちゃんが瓶とセメントでつくった「ごみ屋敷」。

関連項目

外部リンク

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