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谷隼人

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谷 隼人(たに はやと、1946年9月9日 - )は鹿児島県隼人町(現・霧島市)出身で長崎県佐世保市育ちの俳優タレント。13歳の時に上京。本名、岩谷 肇(いわたに はじめ)。1980年頃に一時期岩谷 隆広(いわたに たかひろ)と名乗っていた時期もあった。

来歴・人物

本名の岩谷肇として日活映画等に出演した後、東映に入社、谷隼人として1966年『非行少女ヨーコ』で緑魔子の相手役として主演デビュー。日本人離れした端整なマスク、優れた運動能力から繰り出すアクションを売り物として東映の若手スターの一人となり、網走番外地シリーズ、不良番長シリーズ、夜の歌謡シリーズ等で活躍した。主演作『非情学園ワル』(1973年)では27歳にして高校生役を演じ、シリーズ化された。

1968年スタートのTBSのテレビドラマ『キイハンター』に国際警察秘密捜査チームのメンバー、島竜彦役でレギュラー出演した。1973年まで5年間続いた『キイハンター』は昭和40年代を代表する人気ドラマのひとつとなり、谷もまたお茶の間の人気スターとなった。引き続き、後番組の『アイフル大作戦』(1973年~1974年)、『バーディー大作戦』(1974年~1975年)には準主演格で出演。通算7年間、丹波哲郎と共にTBS土曜9時のアクションドラマの顔として活躍した。

『バーディー大作戦』の後番組『Gメン'75』への出演を打診されたが、アクション俳優からの脱皮を図り辞退したといわれる。以降は各種のドラマに加え、バラエティー番組への出演も増えていき、1986年 - 1989年TBS系バラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』にレギュラー出演し、攻撃軍の谷隊長役で一躍若年層にまで知られるようになる。これによりタレントのイメージが定着した。

1981年に『アイフル』『バーディー』で共演した松岡きっこと結婚。以後芸能界のおしどり夫婦としても数々のテレビ番組に出演した。最近では夫婦でテレビ東京の旅番組・グルメ番組に出演することが多い。

エピソード

  • 高倉健と共演が決まったとき、セリフの少なさに不満を漏らしてしまったことがスタッフに伝わり、降板した苦い経験がある。なお、その役は高倉が谷のために考案した役だったため、谷はすぐに謝罪しむしろ高倉との絆が深まったという。
  • 2005年に「ズバリ言うわよ!」の「運命のカルテ」に出演したときに、谷の人柄に細木数子が番組史上最高の絶賛をした。(これが功を奏したのか、秋のSPにも出演している。)また、秋の「オールスター感謝祭」で赤坂ミニ駅伝で3位に終わった際に、同じチームの石田純一とデリマ選手(アテネ五輪・銅メダリスト)に自分が足を引っ張ってしまったことを何度も謝罪するなど非常に責任感の強い一面を見せた。
  • 妻にパンツを履かせてもらっているほどの亭主関白である。
  • 「谷隼人」の芸名の由来は谷が本名の岩谷から、隼人は出身地の鹿児島県隼人町(現・霧島市)にちなんでの意味である。
  • 特撮ヒーロー番組「光戦隊マスクマン」で姿長官役を演じることを知ったたけし軍団やファンからは「風雲!たけし城を落とせない奴にチューブ(劇中の敵組織)を倒せるわけがない」と揶揄されることも多かった。

出演作品

テレビドラマ

バラエティ

映画

  • 1968年 - 『不良番長』
  • 1973年 - 『非情学園ワル』『非情学園ワル 教師狩り』『非情学園ワル ネリカン同期生』『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』
  • 1985年 - 『結婚案内ミステリー』
  • 1987年 - 『劇場版 光戦隊マスクマン』姿三十郎長官

その他

関連項目

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