大倉山ジャンプ競技場
大倉山ジャンプ競技場(おおくらやまジャンプきょうぎじょう)は、札幌市中央区宮の森にある札幌市が所有するスキージャンプ場で、標高307mの大倉山の東斜面にある。国内の競技大会は大倉山での開催が最も多い。正式名称は札幌市大倉山ジャンプ競技場[1]。株式会社札幌振興公社が指定管理者として管理運営をしている[2]。
概要
ラージヒルに分類されるジャンプ台で、K点120m、2004年導入のヒルサイズは134m。
バッケンレコードは2012年1月21日の第39回HTBカップで伊東大貴が記録した146.0m。女子の記録は2011年1月10日の第53回HBCカップジャンプ競技会で高梨沙羅が記録した141.0m。大会時の最大収容観客数は約3万人。
1996年の改修前のバッケンレコードは、1994年1月30日の第35回NHK杯ジャンプ大会で葛西紀明が記録した135.0m。
歴史
開場
1931年に昭和天皇の弟宮である秩父宮雍仁親王の口添えで大倉喜七郎男爵により私財を投じて建設され、完成後札幌市に寄贈された。
1932年の開場式の際、橋本正治札幌市長により、大倉の功績をたたえ「大倉シャンツェ」と名づけられたのが名前の由来である(「シャンツェ」とは、ドイツ語でジャンプ台の意味)。
なお、設計にはサンモリッツオリンピックノルウェーチーム監督で、シャンツェ設計の権威でもあったオラフ・ヘルセット中尉が任っている(ヘルセットの招聘も秩父宮の口添えの下であった)。
2回のオリンピック
1940年に東京オリンピックとともに開催される予定であった札幌オリンピックにおいては、ジャンプの会場として使用される予定であったが、日中戦争の激化を受けて開催権を日本政府が返上したために、使用されずに終わった。
1953年に80m級へ改修、向かって右側に60m級の雪印シャンツェが増設された。
その後1966年に、1972年の札幌オリンピック開催が決定したことから、1970年から国費等約7億5000万円を投入し、札幌オリンピックに向け大改修が行われた。この際にK点110m、5万人の観客を収容可能な国立競技場となり、人名が由来であった競技場の名前に「山」の文字が書き足され、「大倉山ジャンプ競技場」という名前になった。
1972年には、札幌オリンピックの90m級ジャンプの会場として使用された(優勝はヴォイチェフ・フォルトゥナ( ポーランド)。
改修
競技レベルの向上による国際スキー連盟の勧告に従って、シャンツェの改修が度々行われており、1982年に山頂へ向かうリフトが設置され、1986年K点115mに、1996年にもK点120mに改修されている。
1996年の改修に先立つ1995年に、競技場の所管が国から札幌市に移管、1998年にはジャンプ台がサマーヒル化され、リフトも延長・ペアリフト化し、さらにナイター照明、スタートハウスが設置された。
施設について
市電に西4丁目から乗車すると、晴れた日には正面に大倉山のジャンプ台がはっきりと見て取れる。
世界を転戦するスキージャンプ・ワールドカップ(以下W杯)の開催地の一つであり、ラージヒル・ノーマルヒル併設の白馬ジャンプ競技場(長野県白馬村)などと比較して観客席などの古さは否めないが、札幌市はラージヒル台がある都市としては最大であり、開催地の台の中でも最も市街地に近い台として知られている。テイクオフの瞬間、札幌市中心部のビル群に向けて体を投げ出す感覚になるという。
大倉山の風は独特で、かつ気まぐれである。ジャンパー泣かせの風としても有名であり、この風が多くの勝敗を分けた。
1972年の札幌オリンピックでは横からの突風で笠谷幸生の90m級でのメダルを奪ったが、2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会の団体戦では日本の銅メダルを後押しする向かい風を送った。
札幌市民にもウインタースポーツの大会といえばジャンプという位に馴染みのある競技で、古くは笠谷幸生や八木弘和や秋元正博、近年では船木和喜や葛西紀明、原田雅彦などの北海道出身選手が大倉山で活躍し、W杯などの大会の観戦も風物詩となっている。
現在2004年を最後に国内でのW杯は白馬が外され、大倉山でのみ転戦が組まれるようになっている。これは白馬のプロフィールが最新のルールに合わなくなってきたこともあるが、大倉山ジャンプ競技場の交通の利便性並びに北海道道民の競技への理解度といった要件も、国際スキー連盟のスケジュール設定に斟酌されているものと見られる。
敷地内には当時の資料やスキーの歴史、用具などの展示、体験コーナーがあるウィンタースポーツミュージアムがあり、シャンツエや市街を見ながら食事ができるレストランも併設されている。また、ジャンプ大会以外の日には2人乗りリフト(片道5分)を使って、展望ラウンジや屋上展望台に行くことも出来る。
1982年3月に日本のスキー界草創以来の指導者であり、宮様スキー大会国際競技会の生みの親である大野精七の功績を讃え、大倉山ジャンプ競技場に「大野精七博士顕彰碑」が建立された。
1999年11月に初代「大倉シャンツェ」の寄贈者である大倉喜七郎男爵の功績を称え、大倉山の麓に「大倉喜七郎男爵顕彰碑」が建立された。
2005年には札幌オリンピックのテーマソングとしてその名を知られる『虹と雪のバラード』の歌碑が建立された。
大野モニュメントは上部観客席への登山路ふもと、大倉モニュメントはリフト乗り場そばに建立されており、虹と雪のバラードの歌碑は大倉山ジャンプ競技場の正面に設置されている。
主な開催大会
現在施行されている大会
- スキージャンプ・ワールドカップ札幌大会
- HTBカップ国際スキージャンプ競技大会
- STVカップ国際スキージャンプ競技大会
- HBCカップジャンプ競技会
- UHB杯ジャンプ大会
- TVh杯ジャンプ大会
- NHK杯ジャンプ大会
- 全日本スキー選手権大会(ラージヒル)(長野県白馬ジャンプ競技場と隔年開催)
- 宮様スキー大会国際競技会(ラージヒル)
- 伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会
- 札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会
過去に施行されていた大会
- UHB杯サマージャンプ大会
- 大倉シャンツェ建設記念ジャンプ大会
バッケンレコード
- 大倉山ジャンプ競技場バッケンレコード(ジャンプ台記録)の変遷[3]
年月日 | 氏名 | 記録 | 備考 |
---|---|---|---|
開場時 60m級 | |||
1932 | 浜謙二 日本 | 34.0 m | |
1932 | 山田四郎 日本 | 44.5 m | |
1932 | 龍田峻次 日本 | 47.0 m | |
1932 | 浜謙二 日本 | 48.0 m | |
1932 | 小島謹也 日本 | 49.5 m | |
1932 | 松山茂忠 日本 | 51.5 m | |
1933 | 浅木武雄 日本 | 56.0 m | |
1934 | 龍田峻次 日本 | 61.5 m | |
1934年1月28日 | 伊黒正次 日本 | 67.0 m | 第3回大倉シャンツェ建設記念ジャンプ大会 |
1937年2月28日 | 星野昇 日本 | 70.0 m | 第8回宮様スキー大会 |
1938年1月9日 | 安達五郎 日本 | 70.0 m | 第7回大倉シャンツェ建設記念ジャンプ大会 |
1939年2月26日 | 浅木文雄 日本 | 79.0 m | 第10回宮様スキー大会 |
1952年改修 80m級 | |||
1952年2月25日 | 柴野宏明 日本 | 84.0 m | 第23回宮様スキー大会 |
1955年2月27日 | 吉沢広司 日本 | 86.5 m | 第33回全日本選手権 |
1956年3月11日 | 菊地定夫 日本 | 87.0 m | 第27回宮様スキー大会 |
1957年3月17日 | 佐藤憲治 日本 | 90.0 m | 第28回宮様スキー大会複合 |
1957年3月22日 | 菊地定夫 日本 | 91.0 m | オリンピック強化合宿記録会 |
1958年3月9日 | 佐藤耕一 日本 | 92.0 m | 第29回宮様国際 |
1961年3月4日 | 松井孝 日本 | 94.0 m | 第3回HBC杯 |
1962年3月4日 | 菊地定夫 日本 | 94.0 m | 第33回宮様スキー大会 |
1963年2月22日 | 菊地定夫 日本 | 102.0 m | 第2回STV杯 |
1964年2月28日 | 菊地定夫 日本 | 103.5 m | 第3回STV杯 |
1969年3月7日 | ヨセフ・マトウシュ チェコスロバキア | 104.0 m | 第11回HBC杯 |
1970年改修 K=110 | |||
1971年1月7日 | 笠谷幸生 日本 | 112.5 m | 第12回NHK杯 |
1971年3月20日 | 金野昭次 日本 | 114.5 m | 全日本スキー連盟公式記録会 |
1974年1月13日 | 笠谷幸生 日本 | 115.0 m | 第13回STV杯 |
1977年1月16日 | ヴァルター・シュタイナー スイス | 115.5 m | 第16回STV杯 |
1978年1月15日 | ビョルン・ナース ノルウェー | 118.0 m | 札幌オリンピック記念 |
1982年3月7日 | 八木弘和 日本 | 119.0 m | 第53回宮様国際 |
1985年2月15日 | 秋元正博 日本 | 122.5 m | 第27回HBC杯 |
1986年改修 K=115 | |||
1987年1月18日 | 嶋宏大 日本 | 120.0 m | 第26回STV杯 |
1987年1月25日 | プリモジュ・ウラガ ユーゴスラビア | 121.0 m | ワールドカップ |
1990年1月13日 | 安崎直幹 日本 | 121.5 m | 第17回HTB杯 |
1990年1月14日 | アンシ・ニエミネン フィンランド | 123.5 m | 第29回STV杯 |
1992年1月11日 | 原田雅彦 日本 | 123.5 m | 第19回HTB杯 |
1992年3月7日 | 西方仁也 日本 | 123.5 m | 第34回HBC杯 |
1993年2月24日 | 須田健仁 日本 | 124.5 m | 第34回NHK杯 |
1994年1月23日 | イェンス・バイスフロク ドイツ | 125.0 m | ワールドカップ |
1994年1月29日 | 葛西紀明 日本 | 127.0 m | 第21回HTB杯 |
1994年1月30日 | 葛西紀明 日本 | 135.0 m | 第35回NHK杯 |
1996年改修 K=120 | |||
1997年1月11日 | 原田雅彦 日本 | 127.5 m | 第24回HTB杯 |
1997年1月12日 | 吉岡和也 日本 | 128.0 m | 第36回STV杯 |
1997年1月19日 | ディーター・トーマ ドイツ | 134.5 m | ワールドカップ |
1997年3月9日 | ファルコ・クリスマイヤー オーストリア | 138.0 m | 第68回宮様国際 |
1998年2月1日 | 原田雅彦 日本 | 140.5 m | 第9回TVh杯 |
2002年1月13日 | 原田雅彦 日本 | 141.0 m | 第41回STV杯 |
2005年3月25日 | 金子祐介 日本 | 145.0 m | 第6回伊藤杯ファイナル |
2010年1月11日 | 葛西紀明 日本 | 145.0 m | 第52回HBC杯[4] |
2012年1月21日 | 伊東大貴 日本 | 146.0 m | 第39回HTB杯[5] |
- 女子
年月日 | 氏名 | 記録 | 備考 |
---|---|---|---|
2011年1月11日 | 高梨沙羅 日本 | 141.0 m | 第53回HBC杯[6] |
2013年8月4日 | 高梨沙羅 日本 | 141.0 m | 第14回札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会[7] |
交通アクセス
札幌市営地下鉄東西線円山公園駅からジェイ・アール北海道バス(円14荒井山線)またはばんけいバス(円山線)「大倉山競技場入口」下車。徒歩15分。
競技場の近くまで住宅地が広がっている宮の森ジャンプ競技場と違い、周囲に人家はない。競技会開催日は、当地周辺は一般車両は通行規制され、自家用車での見学は基本的にできない。円山公園駅から臨時直行バス(大人200円)が運行される。
関連項目
脚注
外部リンク
- 大倉山(札幌振興公社のホームページより)
- 金子祐介バッケンレコード動画
- 大倉山ジャンプ競技場完全マップ(レラサッポロ.com内)