明聖王后
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明聖王后 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 명성왕후 |
漢字: | 明聖王后 |
発音: | ミョンソンワンフ |
日本語読み: | めいせいおうごう |
ローマ字: | Queen Myeongseong |
明聖王后金氏(ミョンソンワンフ・キムシ、崇徳7年5月17日(1642年6月14日) - 康熙22年12月5日(1684年1月21日))は、李氏朝鮮の国王顕宗の王妃で粛宗の母。姓は清風金氏、謚号・徽号等は顕烈禧仁貞献文徳明聖王后。清風府院君金佑明と徳恩府夫人宋氏の娘。
1651年世子嬪に、1659年王妃になり、1674年顕宗が亡くなると王大妃 となった。幼い粛宗が王になると朝廷の事に深く干渉しようとして西人側についた。粛宗の他に3人の娘を産んだ。顕宗と共に京畿道九里市の崇陵に葬られた。 世子嬪から王妃、大妃になったのは明聖王后金氏ただ一人である。