仁敬王后
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仁敬王后 | |
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朝鮮王妃 | |
別称号 | 光烈宣穆恵聖純懿孝荘明顕仁敬王后 |
出生 |
順治18年9月3日(1661年10月25日) |
死去 |
康熙19年10月26日(1680年12月16日) |
配偶者 | 粛宗 |
子女 | 2人 |
氏族 | 光山金氏 |
父親 | 金萬基 |
母親 | 西原府夫人 |
仁敬王后 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 인경왕후 |
漢字: | 仁敬王后 |
発音: | インギョンワンフ |
日本語読み: | じんけいおうこう |
ローマ字: | Queen Ingyeong |
仁敬王后 金氏(じんけいおうこう きんし、インギョンワンフ キムシ、順治18年9月3日(1661年10月25日) - 康熙19年10月26日(1680年12月16日))は、李氏朝鮮第19代国王粛宗の最初の正室。尊号・徽号・諡号は光烈宣穆恵聖純懿孝荘明顕仁敬王后。陵号は翼陵。本貫は高麗の有力豪族でもあった光山金氏。
生涯
[編集]1661年に会賢洞私邸にて、光城府院君 金萬基(キム・マンギ)と正妻・西原府夫人 韓氏の長女として誕生した。朝鮮第14代王宣祖と後宮仁嬪金氏の娘、貞恵翁主は自身の直系5親等にあたる。(高祖母)
1671年、世子だった粛宗と政略結婚。舅である顕宗が崩御し、夫が即位すると、王妃に冊封された。1677年と1679年に2人の王女を出産したが、いずれも早世した。
1680年、天然痘を患ってから程なくして、慶熙宮会祥殿にて崩御した。享年19歳。御陵は翼陵。自身の死後、彼女の後釜として、仁顕王后が夫の継妃となった。
家族
[編集]- 父: 光城府院君 金萬基(1633年-1687年)
- 母: 西原府夫人 清州韓氏(生年不詳-1720年)
- 夫: 粛宗
- 長女: 公主(1677年-1678年)- 早世。
- 次女: 公主(1679年-1679年)- 早世。
登場作品
[編集]- テレビドラマ
- 『チャン・オクチョン-張禧嬪-』(SBS、2013年、演:キム・ハウン)
外部リンク
[編集]先代 明聖王后 |
朝鮮王妃 在位:1674年 - 1680年 |
次代 仁顕王后 |