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仁敬王后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仁敬王后
朝鮮王妃
別称号 光烈宣穆恵聖純懿孝荘明顕仁敬王后

出生 順治18年9月3日1661年10月25日
死去 康熙19年10月26日1680年12月16日
配偶者 粛宗
子女 2人
氏族 光山金氏
父親 金萬基
母親 西原府夫人
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仁敬王后
各種表記
ハングル 인경왕후
漢字 仁敬王后
発音: インギョンワンフ
日本語読み: じんけいおうこう
ローマ字 Queen Ingyeong
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仁敬王后 金氏(じんけいおうこう きんし、インギョンワンフ キムシ、順治18年9月3日1661年10月25日) - 康熙19年10月26日1680年12月16日))は、李氏朝鮮第19代国王粛宗の最初の正室。尊号・徽号・諡号は光烈宣穆恵聖純懿孝荘明顕仁敬王后。陵号は翼陵。本貫高麗の有力豪族でもあった光山金氏

生涯

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1661年会賢洞私邸にて、光城府院君 金萬基(キム・マンギ)と正妻・西原府夫人 韓氏の長女として誕生した。朝鮮第14代王宣祖と後宮仁嬪金氏の娘、貞恵翁主は自身の直系5親等にあたる。(高祖母)

1671年世子だった粛宗政略結婚。舅である顕宗崩御し、夫が即位すると、王妃に冊封された。1677年1679年に2人の王女を出産したが、いずれも早世した。

1680年天然痘を患ってから程なくして、慶熙宮会祥殿にて崩御した。享年19歳。御陵は翼陵。自身の死後、彼女の後釜として、仁顕王后が夫の継妃となった。

家族

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登場作品

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テレビドラマ

外部リンク

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先代
明聖王后
朝鮮王妃
在位:1674年 - 1680年
次代
仁顕王后