山本平吉
表示
現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。 依頼サブページはまだ作成されていません。雛型を利用して作成できます。 インクルード文 {{Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:山本屋平吉}} の 貼り付け先は Wikipedia:削除依頼/ログ/2019年5月17日 です。 内枠の中にあるメッセージはサブページが作成されると自動消去されます。消去されない場合は してください。 この項目の執筆者の方々へ: まだ削除が行われていない場合は、議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。また、本項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。 |
山本 平吉(やまもと へいきち、生没年不詳)とは江戸時代から明治時代にかけての江戸の地本問屋。
来歴
山平、栄久堂と号す。山本屋平吉とも称す。文化[1]から明治年間に江戸の芳町親父橋角、葺屋町河岸、堀江六軒町家主で、地本問屋を営業している。歌川国貞、渓斎英泉、昇亭北寿、歌川広重、歌川国虎、葛飾北斎、歌川貞秀、2代目歌川国輝、豊原国周の錦絵を出版している。
作品
- 歌川国貞 「時世江戸鹿子」 大判 錦絵揃物 文政初期
- 歌川国貞 「庭すずみ」 大判3枚続
- 渓斎英泉 「江戸八景」 横大判 錦絵揃物
- 昇亭北寿 「甲斐国猿橋ノ真写之図」 横大判 錦絵 文政‐天保
- 昇亭北寿 「東都日本橋風景」
- 歌川広重 「近江八景之内」 横大判8枚揃 錦絵 天保初期 ※竹内孫八と合版
- 歌川広重 「東都名所」 大判 錦絵揃物
- 歌川国虎 「羅得島湊紅毛船入津之図」 横大判 錦絵 天保期
- 葛飾北斎 「鎌倉の権五郎景政 鳥の海弥三郎保則」 大判 錦絵 天保4年(1833年)ころ
- 歌川貞秀 「横浜本町並ニ港崎町細見全図」 大判3枚続 錦絵 万延1年(1860年)
- 歌川貞秀 「頼朝大井川行列」
- 2代目歌川国輝 「東京築地馬車繁栄ホテル館勝景ノ図」 大判3枚続 明治3年(1870年)
- 豊原国周 「ひらがな盛衰記」 大判3枚続 明治16年(1883年)
脚注
- ^ 『浮世絵の基礎知識』は「芳町川岸通り堀江六軒町家主(寛政末)、芳町親父橋角(天保・嘉永期)。寛政より明治年間。」とする。