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筑豊鉄道 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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筑豊鉄道線
概要
現況 廃止
起終点 起点:香月駅
終点:野面駅
駅数 3駅
運営
開業 1915年1月1日 (1915-01-01)
廃止 1954年10月1日 (1954-10-1)
所有者 鞍手軽便鉄道→帝国炭業→九州鉱業→筑豊鉱業鉄道→筑豊鉄道(2代)
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 3.8 km (2.4 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
exSTR
日本国有鉄道香月線
exABZl+l exKBHFeq
0.0 香月駅
exBHF
2.3 木屋瀬駅
exKBHFe
3.8 野面駅

筑豊鉄道(ちくほうてつどう)は、かつて福岡県北九州市に存在した鉄道事業者である。

1915年(大正4年)に鞍手軽便鉄道が開業させた鉄道院香月線香月駅から分岐して野面(のぶ)駅に至る3.8kmの鉄道路線を、帝国炭業九州鉱業筑豊鉱業鉄道を経て継承した会社である。1954年(昭和29年)に路線は廃止となった。

路線データ

廃止時点

  • 路線距離(営業キロ) : 3.8km
  • 軌間 : 1067mm
  • 駅数 : 3駅(起終点駅含む)
  • 複線区間 : なし(全線単線
  • 電化区間 : なし(全線非電化

歴史

鞍手軽便鉄道は木屋瀬炭鉱の産出する石炭を輸送することを目的として当時電気王と呼ばれた才賀藤吉が1910年(明治43年)9月に出願したものである。この木屋瀬炭鉱は国鉄筑豊本線筑前植木駅とは約1里の距離であったが遠賀川に阻まれており、木屋瀬採炭株式会社では石炭の輸送を野面の積場から笹尾川を下り、中間から堀川を通って、洞海湾に入り、若松港から荷揚げしていた。1908年(明治41年)になって香月線が開通したのであるが香月駅までの輸送手段は無かった。そこで木屋瀬炭鉱の輸送手段の近代化を計るべく鉄道建設を才賀がひきうけることになったのであった[1]。 発起人7人のうち才賀を除く6名は才賀の拠点の一つである愛媛県松山市在住で本社も当初は松山市におかれた[2]。工事は才賀電機商会が請負い、蒸気機関車も才賀電機商会が伊勢鉄道用に輸入したもののキャンセルされ保管していた車両を流用した。

年表

  • 1911年(明治44年)
    • 4月27日 : 鞍手軽便鉄道に対し鉄道敷設の免許状が下付[3]
    • 8月 : 鞍手軽便鉄道株式会社設立[2]
  • 1915年(大正4年)
    • 1月1日 : 鞍手軽便鉄道が香月 - 野面間開業[4]
    • 1月9日 : 真名子駅を木屋瀬駅へ改称[5]
  • 1917年(大正6年)8月29日 : 木屋瀬駅から鞍手郡頓野村までの鉄道敷設免許状下付[6]。1924年に失効 [7]
  • 1921年(大正10年)12月20日 : 帝国炭業[8][9]が鞍手軽便鉄道を合併[10]
  • 1929年(昭和4年)9月4日 : 帝国炭業から九州鉱業に香月 - 野面間の鉄道事業を譲渡[11]
  • 1935年(昭和10年)6月19日 : 九州鉱業から筑豊鉱業鉄道に香月 - 野面間の鉄道事業を譲渡[12]
  • 1950年(昭和25年)12月8日 : 旅客運輸営業休止認可(香月-野面間)[13]
  • 1952年(昭和27年)8月6日 : 筑豊鉱業鉄道から筑豊鉄道に香月 - 野面間の鉄道事業を譲渡。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 : 香月 - 野面間廃止。

駅一覧

香月駅 - 木屋瀬駅 - 野面駅

接続路線

輸送・収支実績・車両

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 蒸気機関車 客車
1915 30,959 74,577 17,627 8,917 8,710 15,412 1 1
1916 39,159 108,253 23,748 15,794 7,954 雑損126,134 15,166 2 1
1917 47,056 138,220 24,736 14,214 10,522 7,494 2 1
1918 57,981 183,399 35,931 26,305 9,626 7,824 2 1
1919 85,542 245,809 57,167 43,226 13,941 9,528 2 1
1920 96,606 269,485 75,654 66,081 9,573 7,631 2 2
1921 76,073 281,927 90,055 69,296 20,759 2 2
1922 100,829 496,748 155,980 73,220 82,760 2 2
1923 106,564 505,937 150,525 54,527 95,998 炭業5,971,606 炭業6,084,223 3 2
1924 98,321 485,061 143,165 42,960 100,205 他事業欠損647,773 3 2
1925 97,002 458,887 137,360 46,391 90,969 石炭1,114,060 3 2
1926 86,053 349,241 106,356 48,209 58,147 石炭11,500 2 2
1927 89,725 356,109 107,034 47,693 59,341 2 2
1928 97,963 391,915 118,172 43,231 74,941 2 2
1929 84,514 326,146 47,318 18,377 28,941 石炭採掘販売1,671,159 2 2
1929 51,971 22,701 29,270 石炭採掘販売29,958
1930 61,310 275,302 88,187 35,178 53,009 石炭採掘販売21,495 2 2
1931 52,390 204,878 66,950 30,275 36,675 鉱業15,094 償却金31,028 2 2
1932 38,775 228,177 73,713 30,746 42,967 2 2
1933 33,851 190,570 61,092 33,465 27,627 2 2
1934 37,191 235,058 75,746 34,002 41,744 鉱山65,633 2 2
1935 34,318 253,003 81,374 25,669 55,705 鉱山41,717 2 2
1936 41,480 272,426 88,493 25,266 63,227 鉱山52,743 2 2
1937 47,560 279,862 91,160 27,616 63,544 鉱山10,410 鉱山3,255償却金20,000 2 2
1939 71,230 296,523
1941 85,234 250,932
1943 45,450 126,993
1945 64,201 53,281
1949 54,174 101,305
1952 44,289 4,070,223 4,292,780 ▲22,257
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道統計年報各年度版
  • 1929年度は帝国炭業と九州鉱業両社で計上

車両

蒸気機関車

客車

木製2軸車2両が在籍したが詳細不明。 開業時にハフ1(関西車輛製)と大正9年度に鉄道院フハ3119[14]を譲受けフハ2とした。

脚注

  1. ^ 木屋瀬採炭の取締役は広島電燈社長の高束康一と広島呉電気取締役の沢原精一であり才賀とは面識があったと思われる
  2. ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年5月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「軽便鉄道駅名改称」『官報』1915年1月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1917年8月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1924年6月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第29回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 鈴木商店「鈴木関係の優良会社は守立てる」『大阪朝日新聞』1927年4月10日(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)
  10. ^ 7月15日認可『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「鉄道譲渡」『官報』1929年8月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「鉄道譲渡」『官報』1935年6月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「運輸省告示第11号」『官報』1951年1月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 客車略図形式3054

参考文献

  • 大谷博孝「鞍手軽便鉄道ものがたり」『レイル』No.53
  • 三木理史「局地鉄道の普及と「指導者集団」-才賀電機商会の事業展開からの考察-」『近代日本の地域交通体系』大明堂、1999年、288-291頁
  • 和久田康雄 『私鉄史ハンドブック』 電気車研究会、1993年、171頁
  • 『私鉄史ハンドブック』正誤表 (PDF)

外部リンク

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