いかさま師 (オペレッタ)
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『いかさま師』(いかさまし、英語: The Charlatan)は、1898年に発表されたアメリカ合衆国のオペレッタで、別名を「The Mystical Miss」といい、詞と曲は[1]、ジョン・フィリップ・スーザが書いた[2]。今日では、本作の一部である行進曲「いかさま師 (The Charlatan March)」だけが広く知られている。
上演
[編集]『いかさま師』は、3幕のコミック・オペラであり、台本はチャールズ・クレインが手がけ、音楽をジョン・フィリップ・スーザが書いた。本作は、デヴォルフ・ホッパーの歌劇団のために書かれたもので、1898年8月29日に初演された。H・A・クリップス (H. A. Cripps) が舞台監督を務めた[1]、ニューヨークのニッカーボッカー劇場における本作のブロードウェイ公演は、9月8日から10月8日まで続いた[3]。
キャスト
[編集]初演時の配役は以下の通り[1]。
- デヴォルフ・ホッパー - デミドフ (Demidoff)
- Edmund Stanley -ボリス王子 (Prince Boris)
- Mark M. Price - ゴーゴル (Gogol)
- アルフレッド・クレイン - ジェリコフ (Jelikoff)
- George W. Barnum - ペショフスキー大尉 (Captain Peshofki)
- Arthur Cunningham - 大公 (the Grand Duke)
- Harry P. Stone - コフェフ (Kofeff)
- C. Arthur - スコベロフ (Skobeloff)
- Nella Bergen - アンナ (Anna)
- Alice Judson - カトリンカ (Katrinka)
- Katherine Carlisle - ソフィア (Sophia)
- Adine Bouviere - 大公夫人 (the Grand Duchess)
その後、好評のうちに利益を上げた地方巡業を経て、『いかさま師』は、1899年5月4日からブロードウェイの5番街劇場で再演された[4]。ホッパーは、妻ネラ・バーゲン (Nella Bergen) とともに、このオペレッタの主演を務め、1899年12月13日からは、『The Mystical Miss』と題名を変えて、ロンドンのコメディ劇場(Comedy Theatre:後のハロルド・ピンター劇場)でも公演をおこなった[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c Klein, Charles; Sousa, John Philip (1898). The Charlatan. Cincinnati, New York, Chicago: The John Church Company
- ^ Paul E. Bierley, The Works of John Philip Sousa (1984), page 33. "Some of the songs were also used in El Capitan (1895) and The Charlatan (1898). This accounts for the fact that only fragments of the manuscript are known to exist under the original title. Little is known of the reasons for the operetta's demise except for some information given in a faded clipping from a newspaper called the Advertiser."
- ^ “The Charlatan”. Internet Broadway Database. 2017年4月11日閲覧。
- ^ “DeWolf Hopper's Return”. The New York Times. (May 5, 1899) 2017年4月11日閲覧。
- ^ “'The Mystical Miss' Opens in London”. The New York Times. (1899年12月14日) 2017年4月11日閲覧。