板井れんたろう
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(いちばん元気くんから転送)
板井 れんたろう | |
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本名 | 板井錬太郎[1] |
生誕 |
1936年10月18日 日本・兵庫県芦屋市 |
死没 | 2017年12月6日(81歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1955年 - 2015年 |
ジャンル |
ストーリー漫画 ギャグ漫画 |
代表作 |
『おらぁグズラだど』 『いちばん元気くん』 |
板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日 - 2017年12月6日[2] )は、日本の漫画家。別名「板井レンタロー」、「荒井太郎」、「板井たけお」、「板井太郎」、「板井練太郎」などの名義による作品も多い。
人物・来歴
[編集]杉並区立久我山中学校から日本大学第二高等学校に進学。中学2年生のときに、手塚治虫の漫画作品に感銘を受け、漫画家を目指した。日大第二高時代に『漫画少年』にアマチュア投稿をしたことがある。
1955年に日本大学商学部に進学。同時に単行本『関が原の決戦』(曙出版)でデビュー。大学卒業後、仲間の園山俊二と東海林さだおらと『学漫グループ』に参加したことがある。
はじめは手塚のようにストーリー漫画を掲載していたが、1960年代から1970年代にかけて、暖かみのあるギャグ漫画に転向して人気を博した。同時に手塚の影響を受けた板井の絵柄が、「笑い目で泣く」や「笑い目で汗をかく」といった独自の表現法を生み出したが、アシスタントの吾妻ひでおをはじめ、吾妻ファンだった高橋留美子、まつもと泉なども、この表現法を用いている。評論家の石子順は「ほのぼのとしたタッチで子供の生活を描いていた。勢いがある漫画で”笑いながら泣く目”といった独特の表現が評判になった。彼の手法にいろんな漫画家に影響を受けたのでは…」と述べている[3]。
晩年は『ちゃぐりん』(家の光協会)で『いちばん元気くん』を連載していたほか、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』日曜版に長年『六助くん』を連載していた。
2017年12月6日、進行性核上性麻痺のため81歳で亡くなった[2]。
作品
[編集]- がんばれ太郎丸[4]
- 走れ風太郎[5]
- 関が原の決戦(関ヶ原の戦い)
- グンちゃん
- ララちゃん
- あきれたおるすばん
- あきれたおおみそか
- 黒姫滝の決闘
- 鼓坂の決闘
- ドロボウ学園
- 百万両の鈴
- バットくん
- スリルくん
- ポテト大将
- 火炎人間
- にっこりレディ
- サムライ同盟
- グンバツ野郎
- おらぁグズラだど
- かみなりゴロッペ
- なんでもヤッ太郎
- クレオくん
- ドカチン
- ドタマジン太(『冒険王』)
- アキレ太くん
- 遠山の金ちゃん
- ハゼドン(『たのしい幼稚園』[6]『テレビマガジン』[7])
- ラブタッチ先生キャンディ
- モテナイくん
- やっぱり!テツヤくん
- 六助くん(『赤旗』日曜版)
- いちばん元気くん(元気くんシリーズ)(『ちゃぐりん』)
- ほがらかQちゃん(『小学一年生』、1964年ごろ)[8]
- モテナイくん(『小学六年生』、1975年ごろ)[9]
アシスタント
[編集]登場作品
[編集]- 地を這う魚 - アシスタントの吾妻ひでおの自伝的作品で、板井をモデルとした人物「いててどう太郎」が登場する。
脚注
[編集]- ^ “板井れんたろうさん死去”. 朝日新聞デジタル. (2019年2月1日) 2019年2月1日閲覧。
- ^ a b “漫画家の板井れんたろうさん、81歳で死去”. 読売新聞. (2019年1月30日) 2019年1月30日閲覧。
- ^ 『しんぶん赤旗』日曜版2019年2月10日号付
- ^ 秋田書店 (1957-09). 漫画王. 東京: 秋田書店
- ^ 講談社 (1959-01). たのしい三年生. 東京: 講談社
- ^ “マンガショップ: 板井れんたろう”. www.mangashop.jp. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “[9004 テレビマガジン 1972(S47)04]”. ekizo.mandarake.co.jp. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “希少 昭和レトロ 『小学一年生』 昭和39年11月 : 先着順クーポン出現中!! 【 スペシャルクーポン 】が登場★”. cwhr.svbuqmoc.shop. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “くだん書房:目録:マンガ:雑誌:小学館:学年誌”. www.kudan.jp. 2024年7月19日閲覧。