おいらせ町立百石小学校
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おいらせ町立百石小学校 | |
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北緯40度36分04秒 東経141度26分17秒 / 北緯40.60102度 東経141.43814度座標: 北緯40度36分04秒 東経141度26分17秒 / 北緯40.60102度 東経141.43814度 | |
過去の名称 |
百石小学 百石簡易小学校 百石尋常小学校 百石尋常高等小学校 百石国民学校 百石町立百石小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | おいらせ町 |
併合学校 | 一川目簡易小学校 |
設立年月日 | 1877年1月21日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210002104 |
所在地 | 〒039-2217 |
青森県上北郡おいらせ町字牛込平20番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
おいらせ町立百石小学校(おいらせちょうりつ ももいししょうがっこう)は、青森県上北郡おいらせ町の旧百石町域にある公立小学校。
沿革
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- 1877年(明治10年)1月21日 - 百石村に百石小学創立。最初の児童数は26名[1]。
- 1879年(明治12年)3月5日 - 校舎新着。
- 1883年(明治16年)10月 - 一川目分校設置。
- 1887年(明治20年)
- 1月21日 - 百石簡易小学校と改称。同日、一川目分校が、一川目簡易小学校として、昇格独立。
- 8月16日 - 百石尋常小学校と改称。
- 1889年(明治22年)10月21日 - 一川目簡易小学校を併合、一川目分校、二川目分校設置。
- 1892年(明治25年)7月2日 - 高等小学校を併置し、百石尋常高等小学校と改称。
- 1901年(明治34年)9月9日 - 一川目分教場及び二川目分教場は、それぞれ昇格独立し、一川目尋常小学校及び二川目尋常小学校となる。
- 1920年(大正9年)9月7日 - 百石村字苗村谷46番地に校舎新築移転。
- 1926年(大正15年)4月 - 創立50周年記念式典挙行[1]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、百石国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制施行)により、百石町立百石小学校と改称。同日、百石中学校を併置し、高等科生を中学校に移籍。
- 1949年(昭和24年)4月18日 - 川口分校設置。
- 1955年(昭和30年) - この年から1956年(昭和31年)にかけて、校舎新築。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 川口分校を併合し、百石小学校第二校舎とする。
- 1969年(昭和44年)3月25日 - 百石町字牛込平20番1号(現在地)に、鉄筋コンクリート3階建防音校舎完成。
- 1977年(昭和52年)10月 - 創立100周年記念式典挙行[1]。
- 1993年(平成5年)3月[2] - 新校舎完成[3]。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 町村合併により、おいらせ町立百石小学校と改称。
- 2017年(平成29年)11月 - 創立140周年記念式典挙行[1]。
学区
[編集]上明堂・下明堂・新助川原・苗平谷地・後田・牛込平・下屋敷・東前川原・上前田・下前田・千刈田・堤田・東下谷地・沼端・風嵐・東後谷地・堀ノ内・新田・東下川原・洋光台・松原・苗振谷地・黒坂谷地の一部・獺野・土取・向坂[4]
児童数
[編集]学年 | 1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 特別支援 | 合計 |
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学級 | 2 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 3 | 13 |
生徒 | 46 | 47 | 45 | 54 | 33 | 35 | (11) 内数 |
260 |
進学先中学校
[編集]周辺
[編集]- 青森県道283号百石下田線
- ハッピー・ドラッグ青森おいらせ店
- ホームセンターかんぶん おいらせ店
著名な卒業生
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 『創立140周年記念誌』(おいらせ町立百石小学校・2017年11月25日発行)42頁~43頁「児童数・学級数の変遷」より。
- ^ 『東奥年鑑平成7年版』(東奥日報社・1994年9月1日発行)「市町村政 - 市町村概況」218頁「百石町 おもなできごと」から。
- ^ おいらせ町個別施設計画(建物系公共施設) (PDF) - おいらせ町・平成30年3月リリース
- ^ gaccomおいらせ町立百石小学校(通学区域)
- ^ Gaccomおいらせ町立百石小学校(児童数)