グリーンエース
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(おくどうご6から転送)
グリーンエース | |
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ピレウスで係船中の「MARINA」(最左) | |
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | 日本 |
所有者 |
広島グリーンフェリー 来島どっく 来島興産 |
運用者 |
広島グリーンフェリー ダイヤモンドフェリー |
建造所 | 神田造船所 |
母港 |
広島 松山 |
姉妹船 | グリーンアロー |
航行区域 | 沿海[1] |
IMO番号 | 7203467 |
改名 | おくどうご6 |
経歴 | |
起工 | 1971年 |
進水 | 1971年 |
竣工 | 1971年12月24日[1] |
最後 | 2011年、トルコで解体 |
要目 | |
総トン数 | 5,953 トン[2] |
載貨重量 | 2,129 重量トン[2] |
全長 | 135.3 m[2] |
幅 | 22.0 m[2] |
深さ | 7.5 m[2] |
満載喫水 | 5.3 m[2] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 2基[2] |
推進器 | 2軸[2] |
最大出力 | 16,020馬力(連続)[2] |
航海速力 | 21.5ノット[2] |
航続距離 | 1,800海里[1] |
旅客定員 | 936名[2] |
車両搭載数 | トラックおよびバス76台、乗用車110台[2] |
グリーンエースは、広島グリーンフェリーが運航していたフェリー。後にダイヤモンドフェリーでも運航された。
概要
[編集]広島グリーンフェリーの第一船として神田造船所で建造され、航路に就航した。
1982年12月、ダイヤモンドフェリーに用船され、おくどうご6として神戸 - 松山 - 大分航路に就航した。
1988年、来島興産に移籍。1989年4月17日、経由地の松山港から神戸港に向かう途中、播磨灘で貨物船第八乗吉丸(199総トン)が船尾に衝突する事故が起きている[3]。
1990年7月、ブルーダイヤモンドの就航により、用船解除となった。
1990年7月、ギリシャのG.A. Ferriesに売却され、MARINAとなり、ペラマでクルーズフェリーへの大規模改装を受け、1994年に就航した。
2009年9月、G.A. Ferriesの破産によりピレウスで係船された。
スクラップとしてトルコに売却され、2011年9月にアリアガへ回航され、解体された。
航路
[編集]広島グリーンフェリー
- 広島港 - 大阪港
ダイヤモンドフェリー
- 神戸港 - 松山港 - 大分港
G.A. Ferries
- ピレウス - シロス - パロス - ナクソス - イカリア - フルニ - サモス
- ピレウス - シロス - イカリア - サモス - キオス - レスボス - レムノス - カバラ
- ピレウス - アシパレア - カリムノス - コス[要曖昧さ回避] - ニシロス - ティロス - シミ - ロドス
- ピレウス - パロス - ナクソス - イカリア - フルニ - カルロバシ - サモス(2004年 -)
- ピレウス - シロス - イカリア - フルニ - カルロバシ - サモス(2009年)
設計
[編集]船内は4層構造で、上部からプロムナードデッキ、キャビンデッキ、カーデッキ、ワゴンデッキと呼称されており、プロムナードデッキは操舵室および展望室、キャビンデッキおよびカーデッキの前方が旅客区画、カーデッキ後方が乗用車搭載区画、ワゴンデッキが大型車搭載区画となっている[4]。
船内
[編集]- 遊歩甲板[1]
- 展望室
- A甲板(居住区甲板)[1]
- 1等客室(98名)
- 特別2等室(188名)
- エントランス
- 案内所
- 浴室
- 喫煙室
- カフェテリア
- ビュッフェ
- 売店
- ゲームコーナー
- B甲板(乗用車甲板)[1]
- 2等室(547名)
- ドライバー室(76名)
- 浴室
- エントランス