広島グリーンフェリー
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒730 広島県広島市八丁堀16-14[1] 第2広電ビル[2] |
設立 | 1971年1月[1] |
業種 | 海運業 |
代表者 | 里谷孟(社長)[1] |
資本金 | 10億円[1] |
従業員数 | 148名[1] |
主要株主 | ジャパンライン |
関係する人物 | 小倉昌男(監査役)[1] |
特記事項:1981年時点のデータ。 |
広島グリーンフェリー株式会社(ひろしまグリーンフェリー)は、広島県広島市と大阪府大阪市を結ぶカーフェリーを運航していた、日本の海運事業者。
概要
[編集]1972年、ジャパンライン(現・商船三井)の系列会社として[3]、東洋工業・広島銀行・中国電力等広島の地元資本から支援を受け開業[4]。広島市の広島港(出島)と大阪市の大阪南港の間を9時間半で結び、廃止直前の時点では夜行便1往復を運航していた。この他ジャパンライン系では大阪 - 博多航路を運航する「博多グリーンフェリー」計画も検討されていた[3]。
1973年以降はオイルショックや[5]、1975年の山陽新幹線延伸や1978年の中国縦貫自動車道の三次インターチェンジまでの延伸により旅客のほか福山通運や日本運送といった大手運送会社からの需要が失われ[6]、燃料費高騰に伴う収支の悪化などにより50億円の累積損失を計上し[5]、1982年に解散となった。
沿革
[編集]- 1971年
- 1972年
- 1973年9月20日 - 資本金を7億5000万円に増資[3]。
- 1975年 - 6月、「グリーンアーチ」就航により、夜行便を隔日1便増便。従来の2隻も夜行便1往復に充当し、これまであった昼行便1往復は休止となる[9]。
- 1977年11月 - 「グリーンアロー」売却[10]。
- 1981年11月 - 本社を広島市南区出島の広島港フェリーターミナルに移転[11]。
- 1982年
船舶
[編集]- 1971年竣工。5,953総トン[3]、全長135.1m、幅22m、出力8,900馬力×2、航海速力21.2ノット。
- 旅客定員936名。車両積載数 : トラック67台、乗用車110台。神田造船所建造。
- 航路廃止後、来島どっくに売却された。「おくどうご6」に改名され、ダイヤモンドフェリーに傭船された。
- 5,938総トン[3]。グリーンエースの同型船。神田造船所建造。
- ギリシャに売却、2005年に解体。
- 1975年竣工。5554総トン、全長137m、幅22m、出力10,400馬力×2、航海速力21.5ノット。
- 旅客定員827名。車両積載数 : トラック104台、乗用車38台。神田造船所建造。
- 航路廃止後、来島どっくに売却された。「おくどうご8」に改名されダイヤモンドフェリーに傭船された。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 広島グリーンフェリー - 中国年鑑 昭和57年版別冊会社録・人名録(中国新聞社 1981年)
- ^ 広島<直行便>大阪 広島グリーンフェリー - 海運1973年5月号(日本海運集会所)
- ^ a b c d e f 木村繁「中核五社の経営するフェリー事業とその諸問題」 - 海運1973年11月号
- ^ 海員時事 木村繁「長距離フェリー会社の苦闘」 - 海員1982年4月号(全日本海員組合本部)
- ^ a b c d 広島グリーンフェリーの休航 - 海員1982年8月号(全日本海員組合本部)
- ^ a b 由紀章「長距離フェリー業界の動向を探る」 - 運輸と経済1983年5月号
- ^ 高成長を続けるフェリー業界 - 経済知識1971年9月号(新経済知識社)
- ^ 財界展望1972年5月号(財界展望新社)
- ^ “レファレンス協同データベース”. 2021年5月30日閲覧。
- ^ フェリー業界に又また新たな整理時代 - 海運1982年4月号
- ^ 資料と雑報 - 旅客船No.138(日本旅客船協会)
外部リンク
[編集]- 【1975年】フェリー(昭和50年)▷広島グリーンフェリー - ジャパンアーカイブズ