クリッパーオデッセイ
クリッパーオデッセイ | |
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基本情報 | |
船籍 | バハマ |
所有者 |
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建造所 | 日本鋼管津製作所 |
母港 | ナッソー |
経歴 | |
発注 | 1987年12月[2] |
起工 | 1988年8月22日[3] |
進水 | 1988年10月31日[3] |
竣工 | 1989年4月1日[3] |
就航 | 1989年4月22日(おせあにっくぐれいす)[4] |
要目 | |
総トン数 | 5,218トン[5] |
全長 | 102.9m [3] |
全幅 | 15.4m [5] |
喫水 | 4.0m[5] |
満載喫水 | 4.3m[3] |
主機関 | Wartsila-Vasa 16V22HF 2基[3] |
出力 | 7,000馬力[2] |
速力 | 14ノット |
最大速力 | 19.3ノット[5] |
航続距離 | 2,960海里[3] |
旅客定員 | 128名 |
乗組員 | 52名 |
クリッパーオデッセイ(Clipper Odyssey)はクリッパー・クルーズラインが運航していたプレミアムクラスのクルーズ客船。
概要
[編集]1989年、当時世界最高のクルーズ客船と評価されていたキュナード・ライン「シー・ゴッデス(en)」をモデルに日本鋼管津製作所が建造し、昭和海運(1998年に日本郵船に合併)によって「おせあにっくぐれいす」の船名で就航した小型高級クルーズ客船である。昭和海運傘下の「オセアニッククルーズ」により運航され[2]、当初は発展途上の日本のクルーズ市場を考慮した事業の成立のため自家用ヨットでのクルージングの代用を図る最高級レベルの「ヨット型客船クルーズ」を目指す形とし[5]、「海からのDISCOVER JAPAN」をコンセプトに夏は日本近海と冬はサイパンなど南方の海域にてクルーズを実施[4]。
「日本人が海から日本を再発見できるよう浅い喫水とし、陸岸近くを航行でき浅い水深の港に入港ができる」「最高の船内サービスと船客同士の親近感が持てるよう少人数の旅客定員とする」「マリンレジャーを楽しめる」「乗客スペースを十分に広く取る」といった船型コンセプトを設定[6]、デザインはヨットデザインに造詣の深いオランダのStudio Achtが担当し外観は船首デッキに柔らかな丸みをもたせ、船体に丸窓を配しレーダーマストやインマルサットのドームは強調された形状、カラーリングはオフホワイトにナイトブルーのストライプを入れ優美な貴婦人をイメージし[2]、ファンネルマークは優雅な海のイメージを女性に例えたものとした[7]。サービス面では東京パレスホテルが飲食を担当し[4]、船尾のプラットホームから出入りする形でダイビングや水上スキーなどマリンスポーツも提供された[2]。
しかしクルーズ旅行の草創期にあった日本では上質な小型クルーズ船の需要が少なく[8]、1997年6月1日に日本から撤退[9]。同年スパイスアイランド・クルーズラインに売却され船名は「OCEANIC ODYSSEY」に改められバリ島周辺でのクルーズに用いられた[8]。その後1998年にクリッパー・クルーズラインが購入し「クリッパーオデッセイ」となり、2007年にはインターナショナルシッピングパートナーに渡りチャーター利用を中心に世界各地に配船[8]。2014年にシルバーシー・クルーズに渡り「シルバー・ディスカバラー」として運航され探検型客船として当初運航されていた日本にも寄港[8]、2019年にクロワジ・ヨーロッパに移籍し「ラ・ベル・デ・オーシャン」として就航[10]。
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船尾(神戸港中突堤)
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船首(神戸港中突堤)
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シルバー・ディスカバラー時代(インドネシア・ベノア港)
施設
[編集]- デッキ - 5層
- 客室 - オリジナルデザインのカーペットやヘッドカバーとブナ材を用いつつ真鍮をアクセントに上品で落ち着きある雰囲気とした。
- キャビンA(1室) - 特別室、バーカウンター・ベランダ付デイルームとベッドルームによるスイートルーム
- キャビンB(9室) - ベランダ付き通常室
- キャビンC(50室) - 通常室、ツインベッド・バスユニット付き
- 3デッキは緑、4デッキはピンク、5デッキは青色を基調とした[6]。
- 公室
- 7デッキ - サンデッキ
- 6デッキ - 「活動の場」の位置付けとして健康と美容の設備を設けた。
- 5デッキ - 「昼の場」の位置付けとされた。
- 4デッキ - 「夜の場」の位置付けとされた。
- メインラウンジ - ワインレッドを基調としたカーペットや天井を配し、ダンスフロアやディスコ設備を設けカクテルやショーを提供。
- ナイトバー - 黒を基調に淡い色調の壁や天井を設け日本人の感覚を意識した内装とし、後部にチーク材のデッキを配した。
- インフォメーション
- サイドドア
- 3デッキ
- レストラン(130席) - グリーンのカーペットとベージュの壁面で落ち着いた雰囲気とし、アクセントにステンレスの鏡面仕上げ天井をあしらった。
- 医務室
- レセプション[3]
- スイミングプラットフォーム
- 補助サイドドア
- シルバー・ディスカバラー時代[11]
- デッキ7
- サンデッキ
- フィットネスセンター
- ビューティー&マッサージ
- デッキ6
- メダリオン・スイート(1室)
- ビスタ・スイート(4室)
- ベランダ・スイート(8室)
- デッキ5
- ビュー・スイート(16室)
- ディスカバラーラウンジ
- プロムナード
- プール
- バー
- プールグリル
- デッキ4
- ビュー・スイート(24室)
- ロビー・レセプション
- メインラウンジ・レクチャールーム
- デッキ3
- エクスプローラー・スイート(9室)
- レストラン
- 医務室
事故・アクシデント
[編集]- 2002年7月、ベーリング海のセントマシュー島で座礁するも大規模な損傷は発生しなかった[12]。
- 2004年8月、アリューシャン列島付近で座礁し乗客と乗組員が退避。5,000ガロン(約19キロリットル)の燃料が漏出し修繕完了までに2ヶ月間を要した[13][14][12]。
- 2019年11月25日、タイのピピ島南方沖にて座礁し数時間航行を停止。その後地元海軍に曳航されプーケット港へ向かい77名の乗客が降船した。事故後本船はシンガポールで修繕を行った[15][16][8]。
脚注
[編集]- ^ “Clipper Odyssey”. shipspotting.com. 26 April 2012閲覧。
- ^ a b c d e f ヨット型クルーズ客船おせあにっくぐれいっすの概要 - 船の科学1989年6月号
- ^ a b c d e f g h 新造船写真集 クルージング客船おせあにっくぐれいっす - 船の科学1989年6月号
- ^ a b c 月刊神戸っ子1990年6月号「海船港/二つの豪華客船物語」 - 月刊神戸っ子
- ^ a b c d e 北野公夫, 「ヨット型客船「おせあにっくぐれいす」」『日本舶用機関学会誌』 1990年 25巻 3号 p.195-202, doi:10.5988/jime1966.25.195
- ^ a b c d e f 豪華客船"おせあにっくぐれいす" - 航海 第99巻(日本航海学会 1989年)
- ^ a b おせあにっくぐれいすのデラックスな旅 - 船の科学1989年6月号
- ^ a b c d e 旧おせあにっくぐれいす タイ沖合で座礁 地元海軍が無事救出 - みなと総合研究財団
- ^ a b 「ありがとう、そして、さようなら、おせあにっくぐれいす」日本のクルーズ時代をリードした、名船の撤退 - 上田寿美子(旅コム)
- ^ シルバー・ディスカバラー、クロワジ・ヨーロッパへ移籍 - WEB CRUISE
- ^ Silver Discoverer デッキプラン - インターナショナル・クルーズ・マーケティング
- ^ a b Ross A. Klein (1 October 2005). Cruise ship squeeze: the new pirates of the seven seas. New Society Publishers. pp. 234. ISBN 978-0-86571-522-6 11 February 2012閲覧。
- ^ “Cruise ship runs aground in Alaska”. CBC News. (2 August 2004)
- ^ https://news.google.com/newspapers?id=K_1PAAAAIBAJ&sjid=OwkEAAAAIBAJ&pg=3702,1647453&dq=clipper-odyssey&hl=en
- ^ La Belle des Oceans Runs Into Trouble in Asia - Cruise Industry News
- ^ CroisiEurope : incident sur La Belle des Océans, une croisière annulée - Tour Hebdo
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- MV La Belle des Océans - CroisiEurope